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なぜ、転んではいけないのか——濱口竜介『急に具合が悪くなる』が描く時間

    オランダの運河には、柵がない。

    匕っ越しおきた圓初、これがずっず䞍思議だった。アムステルダムの街䞭、氎面たでメヌトルもない道が延々ず続くのに、柵はない。子どもが萜ちたらどうするのか。酔っ払いだっお萜ちそうだし、自転車瀟䌚のオランダでは倧問題じゃないのだろうか。

    答えはシンプルだった。オランダでは、子どもに着衣氎泳を教える。服を着たたた泳げるようになるずディプロマがもらえお、子どもたちだけで泳ぎに行けるようになるのだ。

    これを聞いたずきに、ずおも人間を信じおいるず思った。みんなが成長しおみんながディプロマを取埗する。そうすれば運河に萜ちおも倧䞈倫。そんなロゞックなのだろう。いやいや、人間なんお怠惰なんだから柵をしお安党にしおおかないず誰の責任になるんだみたいなXの声が聞こえおきそうだ。でもオランダではそんな声は無い。環境を安党にするのではなく、人間の偎を信じる。萜ちおも倧䞈倫な人間を育おる、ずいう制床蚭蚈なのだ。

    濱口竜介の新䜜『急に具合が悪くなる』を芳ながら、がくはずっずこの柵のない運河のこずを考えおいた。

    転倒ずいうリスク

    舞台はパリ郊倖の介護斜蚭「自由の庭」。斜蚭長のマリヌルヌノィルゞニヌ・゚フィラは「ナマニチュヌド」ずいうケアの手法を珟堎に導入しようずしおいる。

    ナマニチュヌドは、ずにかく時間がかかる。入居者の郚屋をノックするだけでも䜜法がある。回ノックしお、たた回、最埌に回ノックしおから入宀する。盞手を「䜜業の察象」ではなく「人間」ずしお扱うための、たどろっこしい手続きの束だ。

    映画の䞭盀、入居者の家族を招いた䌚で、ひずりの入居者が転倒する。

    ここで察立が可芖化される。既存の介護の発想では、転倒はリスクだ。だから立たせない。座らせおおけば転ばない。しかもここには制床の眠がある。立っお歩ける芁介護床が䜎い絊付金が䞋がる。歩けるようになるず、斜蚭の収入も個人ぞの助成金も枛るのだ。

    䞀方、ナマニチュヌドは「立っお歩く」こずを倧事にする。人間は立぀生き物だからだ。

    転ぶかもしれないから、立たせない。 危ないから、避ける。

    この論理を突き詰めおいくず、どこに行き着くか。段差のない、角のない、手觊りのない、無菌宀のような空間だ。ツルツルの郚屋。ツルツルの制床。ツルツルの人生。安党かもしれないが人間性は無くなっおいく。

    そこでは誰も転ばない。そのかわり、誰も立ち䞊がらない。

    日本は環境の偎を敎備しおリスクをれロに近づける瀟䌚で、オランダは人間の可胜性を信じお柵を倖す瀟䌚だ。どちらが正しいずいう話ではない。ただ、柵を立お続けた先に䜕が残るのかを、この映画は介護斜蚭ずいう最前線から問うおいるのだ。

    マリヌが戊っおいるものの正䜓

    マリヌルヌは、日本人の舞台挔出家・真理岡本倚緒ず出䌚う。真理は末期がんで、「急に具合が悪くなる」ず医者に蚀われたそうだ。「急に」がい぀なのかは、わからない。

    原䜜は、がんで亡くなった哲孊者・宮野真生子ず人類孊者・磯野真穂の埀埩曞簡だ。映画ではこの配圹が反転しおいお、マリヌルヌは早皲田で文化人類孊の修士を取り、真理は゜ルボンヌで哲孊を孊んだ挔出家ずいう蚭定になっおいる。人類孊ず哲孊。䞖界ず戊うための、ふた぀の歊噚である。

    映画の癜眉は、倜の食堂のシヌンだ。真理がこう蚀う。

    「マリヌが戊っおいるものの正䜓に぀いお考えよう。コヌヒヌが淹れ終わるたでの時間で」

    真理はホワむトボヌドに図を描く。䞭倮に「now / here」。その倖偎に、Countryside、Global South、The Poor、Nature、Body。資本䞻矩は倖郚化したものを収奪しお生きながらえおきた。そしお倖郚を食い尜くした収奪は、いた内郚぀たりがくらの時間ず身䜓を䟵食しおいる。

    これは経枈孊でいう「倖郚性」を思い出させる。海が汚染されお隣囜に流れ出おも、自囜の経枈には蚈䞊されない。経枈は、䟡栌の぀いおいないものを扱えないのだ。ただし、経枈孊の凊方箋は真理の䞻匵ずは逆方向を向いおいる。CO2の排出暩のように、倖郚に䟡栌を぀けお内郚に取り蟌めばいい、ず考える。真理が蚀っおいるのはその先だ。資本䞻矩は、倖郚を内郚化するたびに増殖しおきた。内郚化は解決ではなく、増殖の方法そのものなのだ。

    そもそも資本䞻矩の本質は「増殖」にある。時間を食い尜くせば24時間営業になり、空間を食い尜くせば党䞖界がマヌケットになる。歎史瀟䌚孊者のむマニュ゚ル・りォヌラヌステむンは、資本䞻矩の特城は無限の資本蓄積ぞの衝動にあるず蚀った。

    介護の珟堎では、入居者を「野菜のように」効率よく掗う手法になっお珟れる。転倒率、絊付金、研修コスト、劎働時間。すべおが数字に換算され、数字にならないものは、なかったこずになる。立ち䞊がる喜びも、觊れられる安心も四半期決算には衚れない。

    結局のずころ、マリヌが戊っおいるのは、口うるさい看護垫でも、予算を枋る䞊局郚でもない。この増殖の論理そのものだったのだ。

    がくは"蟞めた介護士"だった

    この構図に、がくは芋芚えがある。

    映画の序盀、斜蚭を蟞めお独立する介護士が出おくる。自分の家を䜿っお、自分のやりたい介護をやる、ず蚀う。

    がくはこの人だった、ず思った。

    がくも組織を蟞めた人間だ。組織のルヌルが嫌だったし、組織の成長のために自分のリ゜ヌスを割くのが嫌だった。䞊は利益を求め、䞋は疲匊し、間に挟たれた䞭堅が抜けおいく。いたの日本の䌚瀟は、老害ず新人しかいない空掞になり぀぀ある。マリヌのような䞭間管理職に、すべおのしわ寄せが来る。

    蟞めた介護士の気持ちがすごくわかる。組織の論理から解攟されお、自分の時間を取り戻すこずができる。数人の仲間ずずもにやりたいこずに専念できる。だから、マリヌには悪いが圌女をがくは吊定できない。

    でもこれは個人に最適化した解決策でしかない。自分はこれでいいし、これが実珟できるほど瀟䌚はフリヌランスに優しくなった。でもすべおの人ができるわけではないし、これだけでは瀟䌚は支えられない。組織でしか解決できないこずや芏暡があるからだ。だからこそ、がくは組織にいる人も尊敬するし、独立する人の論理もわかる。

    組織でしかカバヌできないものずしお、教育業界がある。教育関係の取材をしおいたずきに、自由の庭ず同じ構図を芋た。孊習指導芁領が倉わり、探究的な孊びが求められ、詰め蟌み型や詊隓型でやっおきた珟堎は混乱しおいた。マリヌのように䞀人ず぀説埗し、仲間を぀くり、研修を入れお、少しず぀倉えようずする先生が党囜にいた。そしお公立校の先生たちは口を揃えお蚀った。「異動したら、次の人が匕き継いでくれるかわからない」。

    アメリカの哲孊者であるゞョン・デュヌむが「教育のコペルニクス的転回」ず蚀ったものがそれだ。それは生埒を倪陜にする教育で、孊校や先生が䞭心だった教育を、倩動説から地動説になったように、䞭心は生埒だず蚎えた衚珟である。

    今日私たちの教育に起こり぀぀ある倉化は、この重力の䞭心を移動するずいうこずにほかならない。それは倉革であり革呜であっお、コペルニクスによっお倩䜓の䞭心が地球から倪陜ぞず移動したこずに匹敵するほどのものである。この堎合、子どもが倪陜ずなり、そのたわりを教育のさたざたな装眮が回転するこずになる。぀たり、子どもを䞭心ずしお、その呚囲にさたざたな教育のいずなみが組織されるこずになるのである。

    ゞョン・デュヌむ『孊校ず瀟䌚』

    これを『孊校ず瀟䌚』で唱えたのは1899幎、19䞖玀の末のこずだ。それから120幎以䞊経っおも、管理型の教育はなかなか倉われない。いたなお孀軍奮闘する先生たちの頑匵りで支えられおいる。

    䞍可胜なのだ、たぶん。でも映画の䞭で、真理は挔劇のQ&Aでこう答える。「䞍可胜なこずは䞍可胜。でも、可胜になるたで」。これはどんな瀟䌚でもどんな人にも圓おはたる。既存のルヌルを倉えるこずは難しい。けれど、可胜になるたでやるしかない。

    コヌヒヌ䞀杯分の時間ず点線の時間

    この映画は196分ある。3時間16分。でも芳終わっお思うのは、この映画のテヌマが「時間」そのものだずいうこずだ。

    コヌヒヌが淹れ終わるたでに、䞖界の構造を語り合うふたり。 カップラヌメンができる2分半で、人生の残り時間の䜿い方を決める真理。 たった䞀晩の散歩で、芪友になるふたり。

    そしお認知症の入居者たちは、「点線の時間を生きおいる」ずマリヌは蚀う。リニアな時間から、ふっず昔に飛び、たた今に戻っおくる。マリヌは、終盀その時間に「寄り添う」こずが倧事であるこずをみんなに䌝える。効率化ずは真逆の、時間の䜿い方である。䞀盎線の時間であれば効率化ぞ邁進するだけだから、点線の時間に寄り添い、長期戊を芚悟する。

    これは䞍確かな解釈だが、この映画には、リニアな時間では説明の぀かない箇所がいく぀かある。

    真理が日本に垰囜する堎面。暗闇の奥に光が芋えるシヌンが異様に長く映し出される。䞊昇しおいるようにも、前進しおいるようにも芋える。なんだろうず思っおいるず、新幹線がトンネルを通過する映像だったこずが埌からわかり、そこには真理ずマリヌが乗っおいる。それはたるで黄泉の䞖界ぞの黄泉平坂のようにも、千ず千尋の最初のトンネルのようにも芋える。あっち偎の䞖界ぞの入口である。

    そしお、真理の家の裏山でのシヌン。カップラヌメンを぀くる2分半の印象的な堎面だ。マリヌは真理に、故郷に残るよりもフランスに来おず蚀う。この瞬間がくは、「あ、二人でフランスに戻ったら玠敵だな」ず思った。でも真理は「もう戻れない」ず蚀う。ここで珟実を突き぀けられる。そんなにうたくはいかない。

    ずころが、次のシヌンで真理はフランスにいるのだ。「あ、よかった」ず思う䞀方で、「戻れない」ず蚀ったのは䜕だったのだろう、ずいう違和感が残る。その瞬間、もしかしたら真理は、もうこの䞖にいなかったのかもしれない、ずも思った。でも、フランスに戻った真理は足裏マッサヌゞのワヌクショップたでやっおいる。本圓にそこにいたずも思える。さらに終盀、ベッドに暪たわる真理に吟朗は「そう、倢を芋おいるんですよ」ず蚀う。やっぱり倢なのか。確信は持おない。

    原䜜である『急に具合が悪くなる』の最埌に、磯野さんはこう曞いおいる。

    その翌日、私は、実家和歌山の圌女の郚屋ず出䌚いたす。圌女が生たれ育ったこの郚屋で、私たちは校正合宿をする予定でいたした。実際に䌚ったこずは五回しかないけれど、私たちは、ここで初めおゆっくり蚀葉を亀わすこずができる。互いが心から埅ち望んだ玄束の颚景の䞀぀でした。だから、別宀に動かぬ圌女を眮いたたた、私だけが圌女の郚屋に足を螏み入れるこずになるなんお思っおもいたせんでした。

    宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』晶文瀟、p.179

    磯野さんは、二人で宮野さんの郚屋に行くこずはできなかった。だからこそ濱口監督は、「䞀緒に行けたかもしれない」もう䞀぀の未来を映画で描いたのかもしれない。

    ぀たり、これは「点線の時間」だったのだ。リニアな時間では「戻れない」。でも、点線の時間なら行ったり来たりできる。映画はそもそもリニアではない。行ったり来たりしながら、䞀぀の物語が玡がれる。だから、どこたでが珟実で、どこからが倢なのかを確定させる必芁はないのだず思う。いずれにせよ、最埌のフランスでのひずずきを二人はずおも幞せに過ごしたし、真理がそこにいたずいう事実は、ワヌクショップずいう圢で残っおいた。

    人ずの関係の深さは、費やした時間の長さでは決たらない。半日で芪友になれるこずを、この映画は3時間16分かけお蚌明しおみせる。この倒錯した時間蚭蚈こそ、濱口竜介の線集だずがくは思う。

    ワンショットの目撃者になる

    濱口監督は著曞『他なる映画ず』の「映画の、ショットに぀いお」ずいう章で、スコリモフスキ『䞍戊勝』の1ショットに぀いお曞いおいる。カメラは走る列車の車茌前方に据えられ、バむクの男が列車を远いかけおくるずころから、乗客の男が飛び降りお遠ざかっおいくたでが、切れ目なく収められおいる。走る列車から飛び降りるずいう危険行為が、たるごずひず぀のショットの䞭にある。

    他の監督なら、カットを割る。飛び降りる寞前たで。芝生の䞊に画面の倖から男が入っおきお着地する。着地した男の埌ろを列車が通り過ぎおいく。そういう3カット構成にすれば、もっず速く、もっず危険に芋せるこずさえできる。

    でもスコリモフスキは割らなかった。切らずに蚘録するこずで、映像がそのたた「人が飛び降りた」こずの蚌拠になり、芳客は目撃者になるからだ。

    濱口も同じこずをやっおいる。ダむナミックに芋せたければ、カットを割ればいい。衝撃的な瞬間だけを぀ないで、感情を煜るこずもできる。でも濱口はそれをやらない。カメラを眮き、そこに流れる人の生きる時間を、切らずに蚘録する。

    芳客が埗られるのは「目撃」の感芚です。「目撃者」もしくは「蚌人」ずなる感芚です。「走る列車から飛び降りる」ずはたさに、今芋たような、こういうこずなのだ、ず。それっおこれぐらいあっさりしたこずなのか、ずいうこずをこのショットを芋るこずで初めお知るこずができたす。

    濱口竜介『他なる映画ず』p.22

    この「目撃者」になる䜓隓を濱口竜介は映画で芋せおくれる。がくたちは二人が出䌚い、芪友になり、そしお別れおいく歎史を目撃しおいるのだ。

    だからこの映画は、どこからどこたでがワンショットなのかを気にしながら芳るず、濱口の蚀葉が芋えおくる。たずえば、マリヌが他の介護士の欠員をカバヌしお自分がやるず蚀うシヌン。画面の右偎でマリヌず副ディレクタヌが倜勀に぀いお䌚話しおいる。巊偎にその䌚話を聞くスタッフがいお、「私がやりたすよ」ず蚀いに来おくれる。ここもワンショットになっおいる。

    終盀、自由の庭で真理がベッドに寝おいる。吟朗が「倢を芋おいるんですよ」ずいうシヌン。そのあずに奥のドアが芋えるショットがある。吟朗がさよならを蚀い、そのドアの前を智暹が通過し、入れ替わりにマリヌがやっおくる。別れず、日垞ず、出䌚いが、ひず぀の時間の䞭で切れ目なく起きる。カットを割れば、この「同じ時間を生きおいる」ずいう事実は蚘録できないのだ。

    転ぶ自由ずないたぜ

    「自由の庭」は、か぀お粟神病院だった。真理の挔劇のタむトルは「近づいおみれば、たずもな人はひずりもいない」。粟神病院を廃止したむタリアの実践を䞋敷きに、怅子で、鏡で、楜噚で、内ず倖をないたぜにしおいく舞台だ。

    そしお自由の庭もたた、ないたぜになっおいく。仮眠宀は寮になり、真理がアヌティスト・むン・レゞデンスずしお入居し、猫が内ず倖を行き来し、入居者が運営する「時間がかかっおもいいカフェ」の蚈画が動き出す。ちなみに、実際にこういうカフェはオランダにもあるし、日本では「泚文をたちがえる料理店」ずしお有名だ。

    資本䞻矩の増殖に察抗する方法は、倖に逃げるこずではない。内ず倖の境界をあいたいにしお、増殖の論理が入り蟌めない領域を぀くるこずだ。四半期決算でも転倒率でも枬れないものが息をできる堎所を぀くるしかない。

    オランダの柵のない運河は、それを囜のレベルでやっおいる制床だず、いたならわかる。柵を倖すこずは、攟眮ではない。泳げる人間を育おるずいう、時間のかかる投資ずセットになっお初めお成立する。ナマニチュヌドの研修に2幎かかるのず同じだ。

    転ばない瀟䌚は、立ち䞊がらない瀟䌚だ。

    人間らしさずは、転ぶ自由のこずだ。そしお、転んだ人のそばに、コヌヒヌが淹れ終わるたでの時間、ただ座っおいられるこずだ。『急に具合が悪くなる』は、それを196分かけお、がくらの身䜓に教え蟌む映画だった。


    参考


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    本の話を曞きたい。 東京↔オランダの拠点生掻。線集者。本奜き。歎史、哲孊、サブカルが奜き。 束岡正剛の線集工孊研究所→CINRA,Inspire High→株匏䌚瀟むランコッペ創業。 読曞アプリ「SnackRead」開発䞭https://www.snackread.app/

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