
春になると、
目の前の野ざらしになった畑に、
わらわらと人間が這い出してくる。
それも決まって早朝。
彼らの目当ては、緑の渦を巻く「こごみ」だ。
紫煙をくゆらせながら高台から見下ろしていると、またこの季節がやって来たと思うと同時に、私の野生が目を覚ます。
地面にへばりつき、視線はこごみから離さず、必死に指先を動かす無防備な背中。
こちらの気配など気づいてもいない。
狩猟本能が駆り立てられ、
思わずおしりを振る動作に入ってしまう。
だが、
私は飛びかかる代わりに、深く、長く、紫煙を吐き出した。
煙が朝の冷気に溶ける頃、
私の本能は冷徹な思考へと形を変える。
人間たちは知らない。
自分が何かを「採っている」つもりで、
実はその場所に「捕らわれている」のだということを。
老いたとて、剥き出しの欲望は枯れることを知らないらしい。
その必死な姿は、どこまでも滑稽で、どこまでも醜く、そして美しい。
野ざらしの畑が持つ無言の誘惑を、
私の文章に。
あの緑の渦が放つ、抗えぬ甘い呪縛を、
私の言葉に。
そうして獲物を仕掛けられないものか。
私は尻尾をパタパタさせながら、
次の一手の構想を練る。
「滑稽だ」と毒づきながら、
目の前の光景をデータとして貪り、次の罠を練り上げる私自身もまた、表現という業に捕らわれた一匹の獲物に過ぎないのかもしれない。
春は獲物が多くて退屈しない。