メインコンテンツへスキップ
見出し画像

解雇祝いの焼き鳥屋から始まったこと

    第一章 解雇祝いの焼き鳥屋

    池袋の大通りを一本曲がった先の、少し細い道にその店はあった。
    昼の十一時半。開店前に着くと、僕たちの前に一組だけ、先客がいた。

    夜は保育園から三姉妹が帰ってくるから、夫婦で行くなら昼しかなかった。 昼からやっていてちょうどいい焼き鳥屋を、妻が見つけてきた。

    ビルの一階のお店に入ると案内されて、いちばん奥の席へ通された。少しだけ階段を下りた先にある半個室。四人掛けの黄色いテーブル席だった。
    ネットの画像だと、もう少しきれいな店に見えた。けれど実際は、どこか薄汚れていて、明るいのにくたびれている、大衆居酒屋らしい空気があった。
    店内はがらんとしていて、厨房の物音がときおり聞こえるくらいだった。酒のにおいがうっすら残る中に、焼き鳥の焦げる匂いが混じっていた。

    僕たちはその日、「解雇祝い」をしに来ていた。
    切り出したのは僕だ。深く考えての提案ではなかった。

    教会の解散で、妻の解雇が決まった。僕も友好団体の職員。先行きは不透明だった。生活はこれからどうなるのか、何も見えない。それで、妻は少し苛立っているようにも見えた。先の見えない不安を、言葉にしないまま抱えているようにも見えた。だから、少しでも空気をほぐしたくて、その場の思いつきで言ってみたのだ。

    「じゃあ、解雇祝いでもする?」

    聞いた妻は、「ハハハ」と笑った。やけくそにも聞こえる笑い方だった。でも、どこか少し乗り気でもあった。その場で妻は「探してみる」と言って、前日にこの店を予約してくれた。

    僕たちの信じてきた宗教で、お酒は飲まない教えだった。だから乾杯と言っても、ジョッキの中身は酒ではない。僕はジンジャーティー、妻はオレンジジンジャー。合わせたわけではないが、ジンジャーにはどこか大人な感じが漂った。

    「じゃあ、解雇祝いで」

    静かな店の中でグラスを合わせる。鈍い音が、小さく響いた。
    一口飲んで、僕たちは顔を見合わせた。
    「あー、こういう感じか」
    ほとんど同時にそう言って、少し苦笑いした。何口か飲んでから、僕がたまらず「ちょっとなんか、違うよね?」と言うと、妻は噴き出すように笑った。

    最初の料理が運ばれてきた。妻は静かに「おいしい」と言いながら、焼き鳥をいつもより多めに頬張っていた。その姿を見ながら、僕は最近出した電子書籍の売れ行きが頭打ちになっていることを話した。妻は焼き鳥を口に運びながら、あっさりと言った。

    「こういうのは何年もかけて進んでいくものだから、やりつづけられるかの勝負だよ」

    せっかちな僕は、何か始めるとすぐに結果を求めてしまう。早く広げたい、形にしたい、生活につなげたい。そんな焦りが自分の中に出てきていた。でも、妻の言葉を聞いて、気持ちが和らいだ。たしかに、もう少し落ち着いて進んでもいいのかもしれない。

    その日の僕たちは、過去を振り返るよりも、これからの話をしていた。出版から始まった僕のこれからのこと。フリーランスに向けて動き始めた妻のこと。何がどうなるかはまだ分からない。それでも、お互いに新しいことへ踏み出している高揚感があった。互いの挑戦を認めて、支え合いながら進んでいける。そんな信頼感が、いつの間にか二人の間に育っていた。

    あの昼、薄汚れた焼き鳥屋の奥の席で、僕はたしかに思った。
    ああ、僕たちはようやく、同じ未来の話を笑ってできる夫婦になったのかもしれない、と。

    第二章 結婚をわかっていなかったころ

    最初からこういう夫婦だったわけではなかった。
    結婚したばかりのころの僕は、家庭を「一緒につくるもの」だと思えていなかった。むしろ、結婚しても子どもが生まれても、自分のやりたいことを追いかけていればいいと思っている、ずいぶん都合のいい“少年”だった。

    今振り返って、それをいちばんはっきり思わされるのは、新居への引越しのときだ。

    ちょうどその時期にかぶせて、出張が入った。独身のころの僕は仕事一本。断れないと思い込んでいた。僕は、引っ越し作業を当然のように妻と両家の母親に任せ、出張に出かけた。しかも、知人から譲ってもらった電子レンジを、ろくに掃除もしないまま、新居に無造作に置いていった。

    出張から帰ってきたとき、妻は、殺気すら感じるような目で僕を見た。

    「レンジ、何も掃除してなかったよね」

    その一言に、僕は愕然とした。正直に言えば、そのときの僕は、そんなに怒ることだろうか、と思った。でも、妻が怒っていたのは、レンジの汚れそのものではなかったのだと、今ならわかる。
    新しい暮らしを、一緒に立ち上げようとしていないこと。二人で住む家を、一緒につくっていくものとして僕が受け取っていないこと。本当はそのことに、傷ついていたのだ。

    僕は話を聞いて、完全には分かりきらないまでも、とにかく謝った。妻もその謝罪を受け入れてくれた。数日後、「怒りをぶつけてしまってごめんね」と書かれた手紙もくれた。

    関係は表面上、すぐに戻った。けれど、あのときの妻のまなざしはずっと、心のどこかに残っていた。何か大きなことを見落としているような感覚が、うまく言葉にならないまま、魂に刻まれた。

    僕はまだ、結婚というものがよく分かっていなかった。
    結婚しても、子どもが生まれても、自分のやりたいことや挑戦したいことをとことん追いかけていればいい。相手の人生は、相手が自分で歩いていくもの。
    乱暴に言えば、僕はそんなふうに思っていた。

    夢を語ることは好きだった。理想を思い描くことも好きだった。
    でも、その理想の中に、妻の日常や、目の前の現実をちゃんと住まわせることができていなかった。

    第三章 夫婦になるまでに、何度もずれた

    その未熟さが、もっとはっきり形になって現れたのは、二人目の子どもが生まれたあとのことだった。

    妻は里帰りをしていて、一歳とゼロ歳の年子の娘をほとんど一人で見ていた。義母も忙しく、実際にはほとんどワンオペに近い状態だった。下の子は夜泣きが激しく、妻は眠れないまま朝を迎える日も多かった。
    自由に動けないしんどさも、果てしなく積み重なる疲労も、今なら少しは想像できる。

    週に一度は義実家に顔を出して、子どもの相手をした。ベストを尽くしているつもりだった。
    妻は何か言いたそうだった。けれど僕は、その沈黙の意味を汲み取れなかった。

    里帰りから戻る時期、また出張が入った。
    その話をすると妻は、「絶対にやめてほしい」と言ってきた。何度も、はっきりと。そのたびに泣いていた。「普通なら離婚する」とまで言ってきた。

    僕はそれでも、ことの深刻さを理解できていなかった。仕事だから仕方がない。少し無理をしてでも乗り切るしかない。
    また自分の理屈のほうを信じていた。

    そんなとき、追い打ちをかけるように、僕の不注意で妻と娘たちにコロナをうつしてしまった。ただでさえ大変な時期に、妻は高熱を出しながら、二人の子どもの看病をしていた。二人を抱きかかえて、病院にも行った。

    そのとき初めて、さすがにまずいと思った。
    本気で離婚を切り出されるかもしれない、と思った。

    ようやく出張をやめた。
    里帰りから戻ったとき、僕は妻に、「離婚されると思った」と、そのまま口にした。
    すると妻は、もったいぶることなく言った。

    「それだけはしない。大変だけど、やっぱりあなたが大好きなのは変わらない」

    その言葉を聞いたときのことを、今でもはっきり覚えている。責められると思っていたところに、まっすぐな言葉が返ってきた。
    それは、ただ優しい言葉というより、僕の中の何かを静かに崩す言葉だった。

    「ああ、この人は、本当に僕と生きていこうとしてくれていたんだ」

    それまでの僕は、妻が怒ることも、泣くことも、どこかで「自分を困らせる反応」のように受け取っていたのかもしれない。
    でも本当はずっと、「一緒に生きよう」と訴えてくれていたのだ。
    その気持ちに、ようやく触れた気がした。

    そこから少しずつ、僕は子どもの世話や家事を「手伝う」のではなく、自分のやるべきこととして考えるようになった。最初は、気持ちが追いついていたわけではない。とにかくやるしかないと思って、やっていた。

    でも、やっていくうちに、見えてくるものがあった。

    妻はどういうときに疲れるのか。何があると助かるのか。何を言われると傷つくのか。
    逆に、どんなときにほっとした顔をするのか。温もりを感じてくれるのか。そういうことが、少しずつ分かるようになってきた。

    不思議だったのは、その頃から、妻に信頼されている感覚が自分の中にも生まれてきたことだった。こちらが変わろうとしたぶんだけ、妻もまた、僕のことを理解し、支えようとしてくれているのが伝わってきた。

    夫婦になる、というのは、最初からそうなっていることではないのかもしれない。何度もずれて、何度も傷つけて、ようやく少しずつ、同じ方向を見る時間が増えていく。
    少なくとも僕たちは、そんな夫婦だった。

    第四章 教会の解散と、生活の足場

    だから、「解雇祝い」に返って思う。
    薄汚れた店の奥で、モクテルを掲げながら、これからの話を笑ってできたあの時間は、最初から与えられていたものではなかった。
    危ういところをくぐり抜けながら、関係を手放さずにきたその先に、やっと辿りついた時間だった。

    そうやって少しずつ夫婦として歩み寄ってきたところに訪れたのが、教会の解散と、妻の解雇だった。といっても、教会の解散そのものに、精神がひっくり返るような揺れがあったわけではなかった。
    もっと前から、心のどこかでは、そういう日が来るかもしれないと思っていたからだと思う。解散命令請求が出されたときから、僕の中ではうっすらと、地面が傾き始めていた。だから正式に決まったときも、「まさか」とはならなかった。

    ただ、解散が現実になったとき、じわじわと迫ってきたものはあった。信仰がどうこうというより、もっと生活に近いところの、足場が崩れる感覚だった。

    僕は教会の友好団体で働いていた。母体がなくなるということは、仕事が大きく減ることを意味していた。いつまでこの団体が続くのかも見えなくなった。
    妻は教会のスタッフだったから、解散になれば解雇は避けられなかった。
    数か月のうちに妻の給料はなくなる。僕の仕事も、先が見えない。

    それだけでも十分に重かった。
    けれど、いちばん追い詰められたのは保育園のことだった。夫婦のどちらかが働いていなければ、通えなくなる。三姉妹を抱えたまま、保育園に行かせず次の仕事を探すことは、現実的に考えられなかった。

    だから、解散という言葉を聞いて最初に押し寄せてきたのは、悲しみよりもまず、「これからどうするか、すぐ考えないといけない」という追われるような気持ちだった。

    解散の知らせを受けたあとだったと思う。僕が「やっぱ解散しちゃったね……」と口にすると、妻は「まあでもそりゃそうだよ」と、火にかけたフライパンを見つめながら、いつもの調子で返してきた。
    その冷静さに救われた部分はあった。一方で、冷静でいなければやっていけない現実のほうが、すでに来てしまっている感じもした。

    第五章 失ったあとに、本を書く

    解散を惜しむことはさて置き、次を考えなければならなかった。

    何ができるだろう。
    どうやって働くのだろう。
    子どもたちの生活をどうしたら守れるだろう。

    それを考え始めたとき、僕の中で、数年前からどこかでくすぶっていたものが少し顔を出した。
    本を書いてみたい、という気持ちだった。

    文章を書くことは好きだった。
    ただ、一度書き始めると、かなり推敲してしまう。だから、本業や家族に向けるはずの時間や気力を、執筆のほうに全部持っていかれてしまう気がして、怖かった。
    だから、やってみたいと思いながら、踏み出せなかった。

    でも、仕事が減った。今なら、AIもある。
    むしろ今しかないのかもしれないと思った。

    動機はひとつではなかった。下心も、反骨心もあった。そして、誰かを少しでも楽にしたいという願いもあった。

    きっかけは、数年前に教会への解散命令請求が出たことだった。
    「統一教会」、「宗教二世」という言葉が広く知られるようになったうえに、自分の人生には、加えて「東大」、「自宅浪人二年」という、妙に人の目を引きそうな材料が、いくつもあった。
    これだけの材料があれば、少しは関心を持ってもらえるんじゃないか。そう思った。

    それに、解散に落ち込んでいるだけでは、どこか負けた気がした。
    だったら、やってみたかったことをこの際始めて、イキイキと日々を過ごそうと思った。

    だけど、それだけではない。
    もし自分の書いたものを読んで、「こういう生き方もあっていいんだ」と少しでも思ってくれたら。
    あるいは、自分を責めすぎてしまう人が、少しだけ肩の力を抜けたら。
    そんなことも、どこかで願っていた。

    妻もまた、フリーランスのデザイナーに向けて動き始めようとしていた。二人とも、これまでの働き方の外側に出ていくしかなかった。
    でも不思議なことに、その「しかなかった」の中に、少しだけわくわくが混じっていた。

    妻は、僕の挑戦を応援してくれた。
    将来の収入につながるかもしれないという期待も、少しはあった気がする。
    でも、それを僕へのプレッシャーにしないように、長い目で見てくれていた。

    第六章 三百部のあとに来た静けさ

    本を出した最初の三日間は、できるだけ多くの人の目に触れてほしかった。
    利益よりも広がることを優先して、価格は一番安い設定にした。信徒や二世の人たちの手に届けば、それが最初の広がりになると思ったからだ。

    すると、思っていた以上に売れた。

    自己啓発の小さな部門だけではなく、エッセイ部門全体のベストセラーにまでなった。
    正直、そこまで行くとは思っていなかった。画面を見ながら、純粋にうれしかった。ここまで行けるものなのか、と少し驚いた。

    一方で、「ここからが本当の勝負だ」という緊張感もはっきりあった。
    最初に順位が上がって、多くの人の目に触れるようになれば、その先は自然に広がっていくかもしれない。そんな期待も、ありはした。

    ただやはり、現実はそれほど単純ではなかった。

    価格を通常に戻した途端、売れ行きは目に見えて落ちた。
    三日間で三百部売れたのだから、この勢いなら、さすがに一日十冊くらいは売れ続けるんじゃないか。そう甘く見ていた。
    でも実際には、一日二冊売れればいいほうで、一冊も売れない日が増えていった。

    あれだけ動いていたものが、急に静かになる。
    その落差がいちばん堪えた。

    自分の考えがどこか軽率だったことも見えてきた。テーマにインパクトがあれば売れる、というほど、この社会は甘くない。見ず知らずの人が、自分の書いた本にお金を払ってもいいと思えるだけの信頼や安心は、そう簡単には生まれない。
    そんな現実にぶつかった感じがあった。

    自分が今まで、世の中の人たちの努力を、どこかで軽く見ていた気がした。
    この世で努力しているすべての人に、「すみません」と謝りたくなった。

    正直けっこう、苦しかった。
    家族への態度も、少しぶしつけになった。

    第七章 外へ届いた言葉、そして船出

    だけど、妻はどこか落ち着いていた。
    僕が「全然売れなくなったわ」と、笑って、苦しさをごまかすように言うと、「そっか、まあでもそんなものじゃない?」と受け止めた。
    逆に、一冊でもその日に売れると、僕の方を振り向いて、「すごいじゃん」と言った。

    妻自身も、デザインの仕事が少しずつ来るようになっていた。収益そのものは大きくなかったけれど、給料として受け取るお金とは別に、自分たちで始めたことが、ほんの少しでも形になって返ってくる。その手応えは、たしかに大きかった。

    僕にも、売れ行きは落ちていったが、別のかたちの反応が少しずつ届き始めた。そこには、数字とは違う、温かみのある手応えがあった。

    教会を離れた二世の人たちから本を読んだと連絡をもらった。
    正直に言えば、離れた二世の人たちにこの本がどう読まれるのかが、僕は一番怖かった。離れた人たちの中には、もっと大きな痛みや重い経験を抱えてきた人もいると知っていた。
    誰かを傷つけるかもしれない、やはり出版しない方がいいのではないかとさえ思っていた。
    読んだとしても、感想なんて書きたいとは思えないのではないか、と。

    だからこそ、離れていてもなお、本をきっかけにつながろうとしてくれたことが、ありがたかった。救われる思いだった。
    そこには、僕が勝手に恐れていたよりも、ずっと温かいものがあった。

    教会とはかかわりのない人からも感想が届いた。

    「何度か涙しました。まっすぐ自分の感情と向き合った日々がきっと、今の宮下さんの歩みを豊かにしているのだと思います。『価値を証明しなくていい』の一言に体の力が抜けていきました」

    ああ、届いていたのだと思った。

    僕が書いたのは、教会の中で育った人間の話で、本にはコミュニティの文化や言葉もちゃんと含まれている。そうじゃないと僕の話ではなくなってしまうから。
    でも、枠組みが宗教であるというだけで、中にいる一人一人の奥にある気持ちや願いは、もっと多くの人に通じるものなのかもしれない。
    そう思えた。

    ライターさんに取材をしてもらったときも、似た感覚があった。
    画面越しではあったけれど、その人は、時に笑い、時に胸を痛めるような表情をしながら、真実に話を聞いてくれた。
    予定の時間を少し過ぎてしまった最後に、「充実した内容を話してくださってとても良かったです。もしかしたら二回分の記事になるかもしれません」と言われた。

    内輪の話だと思っていたものが、外の人にも「聞くに値する話」として受け取ってもらえた気がした。
    それは、売上とは別のところで、僕を静かに救ってくれた。

    たぶん僕は、この出版を通して、本を売りたかっただけではなかったのだ。
    閉じた場所で紡いできた言葉だけれど、それでももっと広い世界の誰かと通じ合ってみたかった。
    そんな願いが、少しだけかなった気がした。

    いつの間にか、僕たちは未来の話をするようになっていた。

    「いつか山手線の輪の中に家を建てたいね」と、僕にとっての大口を妻にたたいてみせた。
    いろんな人を招いて、楽しく交わることのできる家。
    今までなら、そんなことは想像もしなかった。
    いつも地に足の着いた妻も、僕のたたいた大口を真に受けて聞いてくれた。

    不思議と、僕たちにもそんな未来があるかもしれないと思えた。

    その話をしている時間が、これまでの夫婦の会話で、いちばん楽しかった気がした。
    夢物語というより、まだ見えない海に向かって、でもたしかに同じ方角を見て立っている感じがあった。

    だからこそ、あの日、池袋の焼き鳥屋で交わした乾杯は、やはりただのやけくそではなかったと思う。

    少しやけくそで、少しおかしくて、でもそれだけではない。
    失ったものの大きさを知りながら、それでもここから始めるしかないと、二人でどこか腹をくくっていた。
    不安もあった。先行きはまったく見えていなかった。
    それでも、新しい人生のステージに乗り出していくような、確かな高揚感があった。

    焼き鳥を頬張りながら、妻は静かに「おいしい」と言った。
    僕はこれからの話をしていた。出版のこと。妻の仕事のこと。子どもたちのこと。まだ形になっていない未来のこと。

    そのとき妻が、少し笑いながら言った。
    「あのときのまま今になってたら、マジでやばかったよね」

    引っ越しのときのことや、子どもが生まれたあとの危うい時期のことを、すぐに思い出した。
    僕は思わず大声で笑ってしまった。本当に、その通りだと思った。
    あの頃のままの僕たちだったら、解雇も、その先の不安も、こんなふうに同じ席で受け止めることはできなかったに違いない。

    あの乾杯は、解雇そのものを祝っていたのではない。

    おそらく僕たちは、ここまで何とかたどり着いたこと、そしてこれから始まる船出のようなものを、あの東京の片隅で、静かに祝い合っていたのだと思う。

    あなたへのおすすめ