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中身のない話

     昨日書いた小説も明日書くはずの小説もどれもこれも仕事や生活とは関係ない切り離された存在であり、それが存在せずとも生を全うすることは可能であるのですが、それとは別に趣味の中に存在する字書きとはつまりは我々のようなもののことを人は暇人と呼ぶのです。
     詞を書けぬとき詩を書き、物語の中の空や海や山、そこに存在している空気の色や匂いに敏感に反応しそれは文字となって紡ぎ出されています。それらはまたその物語の中での存在ではありますが我々にとっては確かに存在する一つの世界であるのです。
     例えばそう、山の中に佇む小さな小屋は木造の平屋できっと物置きなのでしょうか?人の気配はなく扉が一つと換気窓のような格子があるのみで手洗い場や台所などは存在せず、またその周辺にもそのような建物が存在しないことからこれが人間社会の生活とは独立したただの小屋であることがわかります。生い茂った木々の隙間から溢れる太陽の光がたまにその小屋を照らしていて、私が少し上を見上げますと私の顔にもその太陽の光が当たっているのです。そして辺りを見回すと私の周りには砂利の道があって、それは小屋に続いております。その砂利道をかたどる様に周りには木の生えた地面から雑草が少し生えていて、しかし太陽の光があまり届かないせいかそれらはあまり成長していないような、また日陰でも成長できるようなそんな草ばかりが生えていて、私はそこに漂う自然の木や草の匂いを嗅いでいます。
     そこにどれくらい居たでしょうか。1時間くらいでしょうか。私は失恋してそこに居たのだとおもうのですけど、気がつくと周りを熊が囲っていてます。それは現実世界では死を意味しますがここはフィクションの世界ですので私はその熊と友達になってイケメンの熊に慰めてもらうのです。
     はたまたそう、ここは日本で一番高い山の山頂付近で、もう少しで日の出が始まってしまうので急いで登っているその瞬間なのです。しかしその足は重たくこれまでの山道を思えば当然かもしれませんがガクガクと震え、また力なく倒れ込みそうになる。ここは先述した通り山の山頂付近なのですが、男はそれが銭湯のリラクゼーションコーナーに見えてきて、ああもうここでいいやと諦めて座り込んでしまう。ゴロゴロとした岩はこの火山が噴火した時にできた岩であり、その黒々とした岩を見ると木造りの我が家が恋しくなって、諦めて帰ってしまう。その後ろで山頂まで登り切った我々はそこから見える絶景に息を呑み思わず写真を撮ることも忘れただ日の出を黙って見ている。それはなんとも言葉では言い表せない景色で、もしその写真を私が撮っていたとして写真コンクールにでも応募しようものならその作品に言葉をつけるのが烏滸がましくなってしまうような、そんな景色なのです。
     しかしながらこれらもまた、味わった感動や体験したことではなく架空の誰かもしくは私の話であり、全てはただ情景描写にハマっているだけのものであり、実在する私とは関係ないのでありました。
     タヌキ。

     
     

    miΩ

     
     
    物語はフィクションであり、実在するmiωとは一切関係ありません。キツツキ。

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