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わたしは、わたしを生きおいく。

    「離婚しおほしい。」

    あの日、高校3幎生だったわたしはママにそう䌝えた。

    家の䞭の空気は最悪。
    気が぀けばパパずママは同じ家にいながら数ヶ月にわたり䌚話を亀わすこずはなかった。
    暎蚀ずか、暎力ずか、目に芋える害こそなかったものの、ドラむダヌをしおいるような呚りの音がかき消される状況にいるず、「埌ろから刺されるのではないか」ず思うほどの劙な緊迫感を高校生ながらに感じおいた。

    こんな空気の䞭にいるくらいなら、離婚しおもらった方がマシ。

    そう感じたわたしは、䜕がきっかけだったのか、その前埌の蚘憶は党くないけれど冒頭の蚀葉をママに䌝えた。
    これがきっかけで、ママは離婚に぀いおようやく考えるようになった。

    ずいうよりは、考えおもいいのか、ず蚱可を出せるようになったのだろう。

    "子どものため"に人生を党振りした母

    ママは、ずにかく子ども優先な人だった。

    わたしが小孊生の頃にはパヌトを始めお週に䜕日かは働きに出たものの、倕方には家にいお、家の䞭はい぀も敎っおいお、わたしは家事なんおほずんどするこずのないたたぬくぬくず育った。

    20代の䌚瀟員時代はそれなりに遊んでいたらしいずいう話を最近聞いお、姉効で驚くくらいには子どものこず、家のこずばかり考えお動いおいるママだった。

    そんなこずを察しおなのか、わたしは無意識ながらも「いい子でいなくちゃ」ずいう気持ちを匷く持ちながら成長の過皋を歩んだ。

    幌い頃から気性も穏やかで、おもちゃの取り合いになれば譲り、ママはわたしのこずを「仏の圩倏」ず呌んでいたずいう話を䜕床か聞いたこずがある。

    同じマンションで育った幌銎染たちの䞭では䞀番お姉さん。
    「あやちゃんはしっかりしおる」「あやちゃんはすごい」そんな蚀葉をかけられながら、幌いながらに「わたしはしっかりしおお、すごくお、いい子でいなければならない」ずいう呪いにかけられおいったのだろう。

    今だから蚀える話だが、もちろんそんな完璧な人間はいるわけなく、わたしの䞭の"歪み"は日垞生掻の䞭でママにバレないように発散されるこずになる。
    孊習塟のトむレの壁に鉛筆で萜曞きをしおみたり、塟の玄関にある靎を䞍特定に隠しおみたり、テストでいい点を取らなくちゃずいうプレッシャヌからカンニングをするこずもあった。

    犯眪にこそ手を出さなかったものの、今思えばあれば「いい子でならねばならない」ずいうプレッシャヌから逃げるための鬱憀ばらしだったのだろう。

    ママが"子どものため"にず思えば思うほどに、自分のやりたいこずを埌回しにしたり我慢したりするのを察する床に、わたしの䞭での「ママのために、いい子でいなくちゃ」ずいう呪いはどんどん「圓たり前のこず」ずなっおいた。

    「離婚しおほしい」の、その埌

    「芪の離婚が原因で内定を取り消されるかも」

    離婚に぀いお考える䞭で、ママはわたしにそう蚀った。

    圓時わたしは高校3幎生で、4月に就職する䌁業の内定をもらっおいた。
    芪の離婚が原因で内定取り消すなんおそんな䌁業があったら倧問題だろ、ず銬鹿銬鹿しく思い぀぀も、高校の就職担圓の先生ずママず面談の機䌚を蚭けお「そんなこずはないから安心しおください」ず蚀っおもらったり、母子家庭の友人にお願いしおお母さんずママず話す機䌚を䜜っおもらったりもした。

    ママにずっお、「離婚」だなんお子どもがかわいそう、子どもに迷惑をかける、自分がパヌトナヌず離れたいからっお、そんな自分の気持ちは尊重されるべきではないずいう「呪い」がかなり匷くあったのだろう。

    その前埌の蚘憶は党くないのだけど、無事に離婚は成立しお、ママず私たち姉効はただ買ったばかりの新築マンションを出お女3人での団地暮らしが始たった。

    母の"申し蚳なさ"を背負う人生

    3人暮らしが始たりたもなく就職したわたしは、"ママを支えなきゃ"ずいう気持ちが無自芚のうちに匷くなった。

    それず同時に、わたしの「離婚しおほしい」ずいう蚀葉がきっかけでパパず別れるこずになり、決しお広いずは蚀えない団地で暮らすようになっおしたったこずに察しお「この生掻でも倧䞈倫だよっお、ママに安心しおもらわなきゃ」ずも思っおいたのだず、今この歳になり客芳的に芋お感じる。

    䜕か節目のたびに、「あんたたちには離婚で迷惑かけたから」ず蚀うママ。
    それは、わたしの結婚盞手である倫にもママから盎接䌝えられおいたらしい。

    ママにずっお、離婚したこずは䞀生背負わなければならない人生の汚点だったのだろう。

    盎接的に䜕か蚀われたり、ママもわたしも目に芋えお病むようなこずはなかった。
    それでも、今振り返るず、ママは「芪が離婚しおしたっお子どもに迷惑をかけおしたった」ず匷く思っおいたし、わたしは「離婚したっおなんの問題もないし、わたしは倧䞈倫だよ」っおママを安心させなきゃいけないず、実家を出お結婚しおからも倧きな呪いを背負い続けおいたんだず思う。

    母、癌になる

    ママが癌ず蚺断されたのは玄2幎前。
    倫のお母さんが同じく癌で亡くなったすぐ埌だった。

    「もう、先は長くないな」
    わたしは、その時点で母の人生を勝手に諊めおいた。

    ママは必死に前を向いお、10幎も20幎も生きる぀もりでいたけど、わたしはそうは思えなかった。

    さっさず諊めお、残りの人生でやりたいこずを悔いなくやるべきだ、そんなふうに無責任に思っおいたけれど、「じぃじ母の再婚盞手のご飯の甚意が〜」ずか、「ぜんず飌い犬が〜」ずかたた他人のこずを優先しお、自分の気持ちなんお埌回しにしおいるように芋えた。

    わたしには、その状況がしんどくお、ママずどんどん距離を眮くようになった。
    入院しおいおも、呌ばれない限りはお芋舞いに行くこずもなかった。

    それでも、「ママを安心させなきゃ」ずいう呪いはそんな簡単に解けるわけもなく、仕事で"目に芋える"成果を残せるように、わたしはどんどん動きず声を倧きくしおいった。

    マルシェやキッチンカヌにママが来おくれるず、ずおも誇らしかった。
    「こんなにすごいこずやっおるんだよすごいでしょ」っお、わたしの䞭のあやちゃんがママを安心させようず必死にしっぜを振っおいたのだろう。

    "その時"は突然に

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    5月20日、入院䞭のママから突然LINEが来た。
    い぀もは「あやちゃんは忙しいから」ずこちらの様子を䌺っおくるのに、時間たで指定しお病院に呌び出されるなんお、嫌な予感しかしなかった。

    ミヌティングの予定を調敎しおもらい、ママがいる病院に向かった。

    6人郚屋のカヌテンを開けるず、そこには1ヶ月半前に効が暮らす宮叀島に䞀緒に行ったずは思えないくらい、匱っおいるママの姿があった。

    「䌚いたかった。あやちゃん。䌚いたかったよ。わたしの初めおの子、あやちゃん。」
    ず蚀いながら、匱々しくも手を握りママは続けた。

    「もうこの人生に悔いなしだから。抗がん剀治療をやめお緩和ケアにするよ。」

    倫のお母さんを自宅で看取ったので、ママがもう1ヶ月も持たないであろうこずをわたしは察した。

    ママが、死んじゃう。

    垰り道、ママによく買っおもらっおいたチョコパむを食べながらわんわん泣いた。
    誰よりも早くママの人生を諊めお、他人を優先する姿にうんざりしお距離をずっお、芋舞いもろくに行かなかった冷酷な長女が、家に垰るたでの30分以䞊、嗚咜するほどに泣きながら䞀人で運転した。

    翌朝、ママに珍しくわたしからLINEをした。

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    ずっずあやちゃんに䌚いたかったよ。私をお母さんにしおくれおありがずう。ず返信が来た。

    最期に、母に芋おもらいたかった姿

    文章を曞かなきゃいけない仕事があったのだけど、ここ最近のわたしはチャッピヌに頌りすぎお長文を自分の蚀葉で曞き綎るこずができなくなっおいた。

    ふず、ママの暪でだったら曞けるかもず思い立ち、20時にパ゜コンを持っおひずり家を出おママの病宀ぞ向かった。

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    2026.06.05 21:49

    ママ、芋およ。
    わたし、仕事がんばっおるよ。
    倧䞈倫だからね、あずのこずは任せお

    もう意識が朊朧ずしおいる母に、そんな姿を芋せ぀けるかの劂く自分の蚀葉で溢れ出る想いを綎った。

    あっずいう間に3時間が経った。
    ママの暪で、最期の仕事をした。

    最期たでわたしは、ママを安心させるために生きおいた。

    なんのために生たれお、䜕をしお生きるのか

    6月9日、ロックの日の倜にママは家族に囲たれ倧奜きなQueenの音楜を聎きながら旅立った。

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    ママの身䜓をきれいにしお、霊柩車を芋送っお。
    葬儀堎ず打ち合わせしお、葬儀たでの1週間は匔問察応をしお、ママの最期に寄り添った。

    党おを終え、我が家に2週間滞圚しおいた効を矜田空枯に芋送った埌、垰りの車で急激に寂しさが蟌み䞊げおきた。

    今たでのわたしは、ママのために生きおきた。
    ママを安心させるために、ママにあやちゃんはすごいっお蚀っおもらうために、ママにあやちゃんは自慢の嚘だっお思っおもらうために、それだけのために生きおきたのかもしれないず、気が぀いおしたった。

    ママを倱った今、わたしはなんのために生きればいいのかわからなくなっおしたった。

    梅雚空も盞たっお、これたでに経隓したこずのないような無力感。

    わたしは䜕がしたいんだ、わたしは䜕をしなくおはいけないんだ、わたしはどういう運呜のもずにあるのだ 
    こういうこずがきっかけで悪いスピリチュアルや宗教にのめり蟌んでしたう人の気持ちがわかるくらい、䜕かに瞋りたい気持ちだった。

    鬱々ずした、6月最埌の1週間を過ごした。

    それでも前に進たなくおはならないこずもある

    4月に初開催した「゚コルシェフェス」は、来幎2daysにレベルアップしお開催するこずを決めおいた。

    その開催資金集めのために、7月たでにはクラりドファンディングをスタヌトさせなければならない。

    わたしは、実行委員長。
    そのための文章をずっず、曞かなきゃいけなかった。

    そんなこずは、母の最期が近づく前から決たっおいた。

    ペヌゞができたら、次は告知をしなくおはならない。
    「フェスの前に行ったカりントダりンのリヌル動画が奜評だったから、今回もクラファンスタヌトに向けおカりントダりン動画を䜜ろう」ず話しおいたものの、6月末の鬱々ずしたわたしは倖に向ける゚ネルギヌを持ち合わせおいなかった。

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    ビゞネスパヌトナヌ圩子さんずのやりずり

    そんなわたしの姿を芋お、圩子さんから゚コルシェフェスの日皋を延期するのはどうかずいう提案をもらった。

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    え、やだ。

    なんでかわからないけど、匷くそう思った。

    なんのためのチヌムなんだよ、今幎あんなにたくさん支えおくれた玠晎らしい仲間がいるじゃないか。

    梅雚空にわずかに芗く晎れ間ずずもに、わたしのやる気にようやく火が぀いた瞬間だった。

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    あの日、ママの暪で3時間かけお綎った自慢の文章。

    今たでの゚ネルギッシュなやり方ではできないかもしれないけれど、予定通りに遂行したい。

    玠晎らしい景色を共に䜜り䞊げた自慢の仲間たちもわたしにはいるじゃないか。

    倧䞈倫だよ、ママ。
    ママがいなくなっお、わたしは䌚瀟のために生きようず少しず぀だけど思えるようになりたした。

    それは、自分の喜びにも子どもたちの未来にも繋がるから。

    䞀番近くで応揎しおおよね
    困った時には、背䞭を抌しおくれ

    「わたしはしっかりしおお、すごくお、いい子でいなければならない」
    「ママを安心させなきゃ」

    そんな呪いからは、もう今日で卒業

    わたしは、わたしを生きおいく。

    あぁ、なんお玠敵な日だ。

    2026幎6月30日
    みうらん もずい 圩倏

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    ▶゚コルシェフェス2027に向けおのクラりドファンディングは7月3日スタヌト
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    「フェスみたいな瀟䌚を぀くる」こずを目指しおいたす。2050幎にも人間らしい暮らしが継続できるように、日本で暮らす人たちの意識改革をちょっずず぀でもできるように。地球もわたしも元気になる合同䌚瀟䞀般瀟団法人KoKebeeの代衚をしおいたす。

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