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明日も生きている

     確かに、「明日も生きていること」が前提となり、ほとんどの人が生活をしている。
     例えば、私が健康でありたいのは長生きしたいからであり明日も生きていたいからだ。それは、大切な人と長く一緒にいたいとか、この国に行ってみたいとか、こんなことをやってみたいとか、今以降のいずれを想定した話で、明日も生きていることが叶い続けてこそ、実現する話だ。

     私は最近、美意識を高めたいと思っている。美意識というものは人それぞれなのだろうが、私の場合、姿勢を良くしたり、歩き方に気をつけたり、箸を正しく持ったり、言葉遣いを丁寧にしたり、気をつければできるようなことに今まで気を使ってきた。だけど最近は、肌を綺麗にしたり、歯を綺麗にしたり、ネイルの手入れをしたり、お腹の肉を落としたりすることに興味を持ち始めた。つまり、外見や自分のその身体に気を使おうと思うようになった。
     猫背は1秒で正すことができるけれど、ニキビは1秒で消すことはできない。上から隠すことはできるが、根から無くすことはできない。歯も同じで、ホワイトニングには時間とお金がかかるし、手や爪のケアや腹筋を割ることだって継続的にやっていないと効果は出ないだろう。チョコレートを食べないようにと気をつけたからといってニキビは顔から消えてはくれない。睡眠だとかストレスだとかホルモンバランスだとか色んなことを気にしないといけないので、そういうことに気をつけていれば肌が綺麗になるなんてことはない。本当にそうだろうか。ちゃんと睡眠を取って食生活を正しくして、ストレスフリーに、そういうことに気をつけていれば肌は綺麗になるのではないか。だとしても、気をつけることが多すぎる。それすらもストレスだ。
     継続的にやっていないと効果が出ないものは辛抱が必要だ。肌を綺麗にしたいから、ビタミンを摂るために夜にキレートレモンを飲む。髪を綺麗にしたいから、摩擦を減らすために枕カバーをシルクのものにする。ストレスを軽減させたいから、睡眠の質を向上させるためにホットアイマスクをする。
     どれもすぐに効果が出るものではない。明日目が覚めて、劇的な変化を感じ取ることはできない。「ちょっと今日調子いいかも」くらいはあるかもしれないが、ずっと調子いい状態を続けるためには、それを続けるための継続的なことが必要になってくる。

     いつ死ぬか分からないのに、「明日のために」「来週のために」「一年後のために」と生きるのは滑稽か?今日の目の前の欲に任せることもいいけど、「明日も生きていること」を前提として、明日のために今日準備することも今日の欲に入れたい。

     何に影響されたのか、一ヶ月後の予定のために自分の身を引き締めたいと思って考えていた。

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