あの夜、父が教えてくれたこと
先日の父の日は、特別な気持ちで迎えた。それは近頃、父の老いが顕著であるからだ。病院で何かの病気を診断されたわけではない。だが、心身が弱ってきているのは明らかだ。
今年は父に、少し奮発してデザインも使い心地もよさそうなタンブラーをプレゼントした。酒が好きな父は、晩酌をして饒舌になるのが常だった。が、今ではちっとも陽気にならず、テレビを観てぼんやりとしている。
手渡すと、父は照れくさそうにしながらも、翌日からさっそく使ってくれている。食卓でその姿を見ていたら、胸の奥がじんわりと温かくなった。私は父を心から尊敬している。父のような人間になりたいと本気で思う。
タンブラーが温度を保って氷を溶かすのを遅くするように、この時間がゆっくり進めばいい。そんなことを考えていたら、ふと、二十年以上も前の、ある夜の記憶が鮮やかに蘇ってきた。
父との関係は、穏やかなものだけではなかった。今こうして小さな贈り物でつながれることが、どれほど幸せなことかを実感するのである。
高校一年生の終わり頃、私は人生の大きな決断を迫られていた。
十三歳のときから音楽に魅了され、いつしかミュージシャンになりたいという気持ちが膨れ上がっていた。東京に行って夢を掴みたい。どこまでできるのか、自分を試してみたい。そのために、通らなければならない門がある。
ある夜、決心して両親の寝室を訪ねた。彼らは私が音楽に情熱を注いでいることなんて知らない。それは、私が知られないように振る舞ってきたからだ。
「ちょっと、話があるんだけど……」
私の珍しい訪問に父母は何か重大な話をするのだと、すぐに悟った様子だった。切り出す前に部屋の空気は一気に張りつめた。私は緊張で体をぶるぶる震わせ、支離滅裂になりながらも、なんとか夢への思いを打ち明けた。
大学進学を諦め、上京して音楽に専念したいこと。陸上部を辞めること。場合によっては高校さえ辞めたいと。
勉強が得意だった私は、両親から偏差値の高い大学への進学を期待されていた。短距離走でも結果を残し、母は中学時代から私の努力を支えてくれていた。だからこそ、母の涙を見たとき、心が締めつけられた。「あんなに頑張っていた陸上を辞めるなんて……」と、母は悲しそうに言った。一方、父は私の夢を一蹴した。「ミュージシャンになんかなれるわけがない」と、まるで私の可能性を否定するような言葉を投げつけた。
数時間にわたる話し合いは、平行線をたどった。私の思いを理解してほしいと願っていたが、受け入れられることはなかった。だが、両親の反対によって易々と引き下がるほど弱い志ではない。この状況は覚悟していた。私は最低な作戦に出ることにした。心を閉ざすことを決めたのだ。
その後、約一年間、私は両親とほとんど会話をしなかった。朝起こされ、弁当を作ってもらい、洗濯物を畳んでもらったりしているにもかかわらず、私はいつも苛々した態度を出し、言葉を発さなかった。父よりは中立的な意見だった母も、いつしか私に気を遣って喋らなくなっていった。
朝、家を出て外の空気を吸う瞬間、「いなくなりたい」と誰にも聞こえない声で呟いていた。部活に行くのも勝手に辞めてしまった。校庭のトラックを遠くから見たり、運動部の掛け声が聞こえたりするたびに、胸が締め付けられるようだった。
心がどんどん曇っていく。晴れた日なんてなかった。
ある夜、父から呼び出された。場所は、私が夢を打ち明けたときと同じ、両親の寝室だった。
父は静かに、しかし重い口調で話し始めた。これまで私に語られることのなかった、父の人生の苦労話だった。
鉄道員として働いていた若い頃、親の仕事を継ぐために転職したこと。景気が良かった時期もあれば、大病を患い、命の危機を感じた時期もあった。私が小学生の頃、父が入院していた数ヶ月間、父は病床で遺書まで書いたという。仕事が減り、私たち家族を守ることへの不安に押しつぶされそうになることもあった。投げ出したくなるほど辛い人間関係にも耐えて、家族のために働き続けてきた。
父は私たち子どもに、不機嫌な顔や弱音を吐く姿を見せたことが殆どなかった。その裏で、どれほどの重圧を抱えていたのか、私は知らなかった。
強く、静かに、そして必死に生きてきた父。たくさんの世界を見てきた目が、真っ直ぐに私の目を見ている。最後に父はこう言った。
「どうせ無理なのはわかってるけど。二年間だけ頑張ってみろ」
私は泣いていた。父の言葉は、否定ではなく、挑戦だった。父は私を信じ、背中を押してくれたのだ。
父の苦労を思い、自分の未熟さに直面した。そして、夢に向かう覚悟に改めて向き合った。私は、本気で夢を追う覚悟があるのか。父のように強く生きていけるだろうか。大事な人に弱音を吐かず、辛い顔を見せずに、守り続けることができるだろうか。厳しい現実に打ちのめされても、諦めないで前を向いていけるだろうか。軽い気持ちで夢を見ているだけだったら、辞めるべきだ。
何度も自分に問いかけた。しばらくの沈黙の後、鼻をすすりながら私は答えた。
「……うん。頑張るよ。ありがとう」
あの夜から二十年以上が経った。
ミュージシャンとしての道を歩み、大きな失敗も小さな成功も味わった。父があの日語った言葉の意味を、少しずつ理解できるようになった。父のように大切な人を守る強さは、私にはまだ足りないかもしれない。それでも、私は自分の人生に誇りを持ちたいと思う。
今、私の子どもたちは「警察官になる」と目を輝かせて話す。警察ごっこで私が「犯人」として逮捕されるたびに、彼らの無邪気な笑顔に癒されている。
いつか彼らが自分の夢を真剣に語ってくれる日が来たら、私は、あの日父が私にしてくれたように、自分の人生を語ってあげたいと思う。何を選び、どう生きてきたか。そのすべてが、彼らにとっての灯火になればいい。
父のタンブラーを使う姿を見ながら、私は思う。あの夜の父の言葉が、私の人生をどれだけ変えたか。そして、今度は私が、誰かの人生に小さな光を灯せる人間でありたいと。
