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Rule.24 シックスシグマ(社会の部屋 #24)【SFショートショート】

    朝、目を覚ますと、スマホが通知を出していた。

    『今月の平均乖離スコア:1.8σ』
    『2.0σを超えるとアラーム対象になります』

    私はベッドの中で目をこすりながら、ため息をついた。
    先月は1.6σだった。じわじわ外れている。
    何が原因だろう。
    先月から始めたヨガか。
    それとも、息子の習い事を一つ増やしたせいか。

    リビングに降りてテレビをつけると、
    朝のニュースの合間に保険のCMが流れていた。

    「あなたの今月のスコアは大丈夫ですか?」
    「ヤスラギ生命なら、毎月のスコアを下げる行動アドバイスもセットでお届け」

    SNSを開く。
    タイムラインの一番上に
    「今月のスコア交換しよ」
    とトレンドが上がっていた。

    同僚の田中さんは
    「やった、0.7σ!税還付来る!」
    と投稿している。

    私は加入している保険のリストを心の中で確認した。
    医療保険、自動車保険、住居保険、食生活保険、睡眠保険、通勤経路保険、交友関係保険、SNS発言保険——あといくつあったか。

    毎月の請求は、手取りの半分。
    それでも、加入者全員の平均に近づけば、
    税の控除や還付がついてくる。
    逆に外れれば、保険料は青天井に跳ね上がる。
    だから、みんな保険に入れるだけ入った。
    たくさん入るほど、たくさんの「平均」を測られて、
    たくさんの行動が「正されて」いく。

    集合ポストに郵便を取りに降りた。
    103号室の郵便ボックスに、保険会社の請求書が何通も差し込まれていた。
    隙間から、白い封筒が斜めに並んで顔を覗かせている。
    103号室の住人とは、廊下ですれ違えば会釈する程度の関係だった。
    先月から物音が聞こえない。
    引っ越したのだろうかとも思ったが、表札はそのままだ。

    噂では、シックスシグマを外れたらしい。

    私は自分の部屋に戻り、今月の請求書を開いた。
    手取りの、半分。
    その横に、注意書きが添えられている。

    2ヶ月連続でアラームが発令されました。
    来月、3ヶ月連続でアラームが発令された場合、
    お客様への通信は停止されます。

    通信が、停止される。
    私は窓を開けて、103号室のベランダの方を見た。
    干したままの洗濯物が、変色していた。

    「あの人、誰だったかな……」

    ふと、思い出せなくなっていた。



    ある保険会社、統計・平均調査部門。
    データベースの画面に、市民番号のリストが並んでいた。
    一行ごとに、その月の平均からの乖離が記録されている。
    中央値、ばらつき、3σ、6σ。

    担当者の田島は、画面の最後の行を見つめていた。
    市民番号の隣に、本来あるはずの名前と住所の欄が、空白になっている。

    「この空白は、誰だったんでしょうね」

    隣の席の若手が答えた。

    「3ヶ月連続でシックスシグマ外でした。先月、自動的に処理されました」

    シックスシグマ。
    本来は製造業の品質管理で使われていた言葉だ。
    製品の不良率を百万分の3.4以下に抑える基準。
    99.99966パーセントが「正しい」範囲に収まる。
    残りの、ほんのわずか。それが「不良品」だった

    10年前、この概念が市民管理に応用された。
    平均からのばらつきが3σを超えると、保険料が割増される。
    6σを超えると、以下のフレーズが出てくる。

    こちらのラインには乗りません。

    このフレーズの意味を、入社した若手はみな製造ラインの比喩だと思っている。
    実際には二重の意味がある。
    製造ラインに乗らない不良品。
    統計のラインに乗らない非市民。

    田島は知っていたが、口には出さなかった。
    AIが自動で計算する。
    3ヶ月連続で6σ外に該当した者には、通信が停止される。
    請求書も、加入確認も、届かなくなる。
    社会のあらゆるシステムは、保険のデータベースを参照して動いていた。
    請求が届かないということは、
    その人が、もう、
    どこからも照会されないということだった。

    「結果として、どこにも、いないことになる」

    田島は小さく呟いた。

    制度開始から10年。
    治安は良くなった。
    交通事故は減った。
    国内消費は回復した。
    誰もが平均に近づこうと努力するから、行動が穏やかになった。
    極端なことをする人がいなくなった。
    新聞は「成熟した社会」と書いた。


    政府がいくつかの大手保険会社に多大な補助を出していることは、市民は知らない。
    だが、田島はそれを大した話ではないと思っていた。
    補助があろうとなかろうと、
    この仕組みは、もう止まらないからだ。


    田島は、業務終了前に、自分のスコアを確認した。

    『今月の平均乖離スコア:1.9σ』

    少し外れている。
    先月は1.7σだった。
    気をつけよう。
    来月は朝の通勤経路を変えて、昼食のメニューを社内食堂に揃えよう。
    妻にも話そう。
    家族で、平均に寄せていく時期だ。

    退社して、駅まで歩いた。
    すれ違う人々はみな似た服を着て、
    似た歩幅で歩いていた。
    街は、穏やかだった。

    田島はアパートに帰った。
    自分の部屋の鍵を開ける前に、
    隣の部屋の前で立ち止まった。

    最近、隣の部屋からは、物音がしない。

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