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本能寺の変1582 【重史64】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史064】 「織田信長文書の研究」 

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    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 目次中 
     1時代の風潮 2光秀の年齢と嫡男光慶 3光秀という男 4光秀の苦悩 
     5志向の相違 +信長の油断 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
     そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正

    【重史064】 そ第158話⑨

    ①奉寄進、御鰐口

    ②信心大施主、平信長

                      「織田信長文書の研究」

     元亀二年1571
     信長は、平氏に改姓した。
     この年、信長が、白山別宮に寄進した鰐口の銘文に、
     「平信長」、とある。
     平氏を名乗った初見である。

      (表銘)
      奉寄進、御鰐口、白山別山大行事権現、御宝前
               元亀二年辛未六月吉日

      (裏銘)
      信心大施主、平信長 奉行、菅屋九右衛門尉
      祈願、白山社家、石徹白源三郎胤弘       敬白

                (「信長文書の研究上287」元亀二年六月吉日)

     白山は、越前・加賀・越中・飛騨・美濃、五ヶ国に跨る大山(2702m)
     である。
     その南へ6kmほどが別山(2399m)で、別山宮が祀られている。
     そこから、越前国境までは目と鼻の先ほどの距離。
     西方に、越前平野を眺望できる。
     信長は、朝倉義景に対して、己の強い決意を示した。


     【引用】第89話 そ第158話⑨



     ⇒ 次へつづく


     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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