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本能寺の変1852 その一因 2(3)光秀と光慶 そ第5話① 241023 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    その一因 2(3)光秀と光慶 そ第5話① 241023 

    はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中 ←
    2光秀の年齢と嫡男光慶 
    (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀と光慶 ← 
    →重要 ◎目次 
    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
     そ=その一因 テ=テーマ別
    *加筆修正 241023 

    2(3)光秀と光慶 そ第5話① 241023

     【参照】←テ第5話 ←◎第5話 ←第5話
     【参照】2光秀の年齢と嫡男光慶 ← (3)光秀と光慶 ←
       そ第5話① そ第5話②

    甲斐遠征1 信忠出陣

     天正十年1582、春。
     信長は、甲斐を攻めた(甲斐遠征)。
     
    攻め口は、四つ。

      二月三日、信長公、諸口より出勢すべきの旨、仰せ出だされ、
      駿河口より家康公、
      関東口より北条氏政、
      飛騨口より金森五郎八大将として相働き、
      伊奈口より、信長公・三位中将信忠卿、二手に分つて御乱入を
      なすべき旨、仰せ出だされ侯なり。

     先陣は、嫡男信忠。 →【 人物 】
     信忠は、弘治三年1557の生れ。
     この時、二十五歳。
     先陣の総大将である。

      二月三日、三位中将信忠・森勝蔵・団平八、先陣として、
      尾州・濃州の御人数、木曾口・岩村口両手に至りて出勢なり。
                          
    【重史046】(『信長公記』)



     ⇒ 次へつづく

     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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