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本能寺の変1852 その一因 一、光秀の年齢 そ第13話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    その一因 一、光秀の年齢 

    1光秀と光慶 そ第13話 

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    →【 重要史料 】 【 人物 】  
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     そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 240711 

    その一因 一、光秀の年齢 そ第13話

      【参照】テーマ別 光秀の年齢 テ第13話
      【参照】4 光秀の苦悩 4粛清の怖れ ◎第13話   ◎小13

     光秀は、苦悩していた。

     なるほど、明智の再興は成った。
     光秀は、織田家最高位の重臣の一人にまで上り詰めた。
     最早、かつての明智にあらず。
     今や、家中、一、二の大身。
     「持てる者」
     多くの家臣たちがいた。
     正に、順風満帆。
     「武士の鑑」、「憧れの存在」。
     そのように、見えた。

     されど、・・・・・。
     光秀には、先が見えた。

     天正十年1582の、この年。 
     光秀は、五十九 ± 四歳。
     信長は、四十九歳。
     二人の間には、大きな年齢差があった。 

     人間は、生まれた順に、死んでいく。
     光秀は、信長より、確実に、先に死ぬ。

     天正四年1576。
     光秀は、陣中で、大病を患ったことがあった。
     体力的に見て、それ程、頑健というレベルではなかったように思う。
     「老い先は、長くはなかろう」
     おそらく、そう、思っていたのではないか。

     「人生五十年」の時代。
     光秀は、疾(と)うに、その齢を越えていた。
     「老い」

     いつ、死んでも、おかしくない年代だった。

     だが、しかし、・・・・・。
     後継者光慶は、まだ、十三歳 。
     あまりにも若すぎた。 

     未熟な光慶を一人残して、・・・・・。

     光秀は、猜疑心が強い。
     信長を信用していない。
     

     己の死後。
     光慶の代。
     信長は、生きている。

     光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。
     「役に立たねば、捨てられる」
     光秀は、粛清を怖れていた。

     これでは、死んでも、死に切れぬ。
     だが、残された時間は、あまりにも短い。
     光秀は、きわめて、難しい局面に置かれていた。

     光秀は、不安だった。
     明智の将来は、暗い。
     明智に、危機が迫っていた。

     ならば、・・・・・。

     このことが、「本能寺の変」の一因となる。



     ⇒ 次へつづく

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     「本能寺の変」
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    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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