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本能寺の変1582 【重史127】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史127】 『信長公記』 

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    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
     4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
     3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 ✓=チェック済
     そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 

    【重史127】 そ第11話㊶

    あさかの城、木下藤吉郎、先懸いたし、攻められ候て、

                           『信長公記』

     永禄十二年1569、八月二十六日。           156900826

     信長は、南伊勢を攻めた。
      八月二十日 (永禄十二年1569) 。
      伊勢は、十三郡。
      内、北八郡はすでに制した。
      残すところは、南五郡。
      伊勢国司 北畠具教の支配する地。

       八月廿日、勢州表へ御馬を出ださる。
       其の日、桑名まで御出で。

       翌日、御鷹つかはされ、御逗留。

       廿二日、白子観音寺に御陣を懸けられ(三重県鈴鹿市白子駅前)、

       廿三日、小作に御着陣(三重県津市木造町)。
       雨降り御滞留。

      【参照】
       そ第11話㉑ 3 39粛清3 永禄10 伊勢侵攻      ◎11 11
       そ第11話㉒ 3 40粛清3 永禄11 神戸氏     ✓ ◎11 11
       そ第11話㉓ 3 41粛清3 永禄11 長野氏       ◎11 11

     阿坂の城、退散の事。
      同二十六日。
      信長は、己の武力を見せつけた。
      北畠氏の支城 阿坂城を攻めた (三重県松阪市大阿坂町)。

      指揮官は、木下藤吉郎 (秀吉) 。
      激しい攻撃だった。
      城方は、「降参候て退散なり」。

       廿六日、
       あさかの城、木下藤吉郎、先懸いたし、攻められ候て、
       堀ぎはへ詰めよせ、薄手をかふむり、罷り退かれ、
       あらあら(粗々)と攻められ、拘へ難く存知、降参候て退散なり。
       滝川左近、人数入れ置き、
                               (『信長公記』)

     【引用】 そ第11話㊶



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    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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