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本能寺の変1582 目次小 上総介信長 3三好長慶の下剋上 195~198 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史、信長公記、斎藤道三、足利義昭、武田信玄、上杉謙信。『光秀記』

    目次小 上総介信長 3三好長慶の下剋上 195~198 

    195 三好長慶が軍勢を率いて上洛した。        「言継卿記」
       長慶は、将軍義輝と敵対関係にあった。      「言継卿記」
       三好軍が霊山城を攻撃した。           「言継卿記」
       幕府軍が敗れた。                「言継卿記」
       義輝は、山中へ逃げた。             「言継卿記」
       細川晴元は、戦わずに、撤退した。        「言継卿記」196 長慶は、将軍義輝を追放した。          「言継卿記」
       長慶の下剋上である。
       信長の下剋上は、丁度、この20年後に起きる。
    197 義輝は、山中を彷徨った。            「言継卿記」
       長慶は、義輝に従う者たちの領地没収を宣言した。 「言継卿記」
       義輝に、付き従う者四十人。           「言継卿記」
       義輝は、朽木へ落ち延びた。
    198 長尾景虎が上洛した。              「歴代古案」
     

    目次  1~317
    目次大 1~317

    目次大 上総介信長 177~228 
    目次中 上総介信長 177~228
    目次小 上総介信長 177~228


    信長と、ともにあった十五年。
    永禄十一年1568~天正十年1582。
    光秀を知ることは、信長を知ることである。

              ⇒ 次回へつづく 

     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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