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本能寺の変1582 信長、死す 「是非に及ばず」 7 №3-007 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    信長、死す 「是非に及ばず」 7 №3-007

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    ←2 光秀の実像 1 2 3 4 5 6
    ←3 光秀の苦悩 1 2 3 4 5
    ←4 武田の滅亡 1 2 3
    ←5 信長の油断 1 勝利の余韻
             「事態急変」
             2 四国出陣
             3 足蹴事件
             4 中国出陣
             「時は今」
    ←さる程に、不慮の題目出来候て、
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    ←【人物】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
    *加筆修正 260420

    信長、死す 「是非に及ばず」 7 №3-007

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    本能寺、炎上。

     御殿に火の手が上がった。

      既に、御殿に火を懸け、焼け来たり候。

    信長は、納戸に入った。

     ここが最期の場所となる。
     己の死に様を見せたくなかった。

      御姿を御見せ有る間敷(まじ)きと、思し食(め)され候歟(か)、
      殿中奥深く入り給ひ、
      内よりも御南戸(納戸)の口を引き立て、

    夢幻の如く也。

     燃え盛る炎の中で。
     自らの命を絶った。
     
      無情(なさけなく)、御腹めされ、

                          (『信長公記』)

     程なく、本能寺は焼け落ちた。
     全てが灰燼に帰す。

    享年、49。

     斯くして、信長の「天下布武」は終わった。
     実に、あっけない最期であった。
     「諸行無常」
     「万物流転」
     時は、流れるを止めず。
     その終焉は、次代の始まりにすぎない。
     戦国の世は、つづく。



            ⇒ 次回へつづく  信長、死す

    【記事一覧】

    目 次
    目次大

    目次大 信長、死す 1~7 
    目次中 信長、死す 1~7
    目次小 信長、死す 1~7

    信長と、ともにあった十五年。
    永禄十一年1568~天正十年1582。
    光秀を知ることは、信長を知ることである。

     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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