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本能寺の変1582 お知らせ №9 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

         お知らせ      №9 

    ←はじめに ←目次 

    加筆・修正

      いつも、多くの皆様に御覧いただき大変ありがとうございます。
      さて、表記の件につき、下記の通り、内容の一部を加筆・修正いた
      しましたのでお知らせいたします。

    重要 ◎第9話 

    ←はじめに ←目次 ←重要 ◎目次
    ←重要 ◎目次小 抜粋区分 第1~20話 ← 
    【参照】第9話 

    光秀の苦悩 不安 将来 持てる者 

    ◎明智の前途には、暗雲が立ち込めていた。

     光秀の、心の奥底。
     知る者など、誰もいない。
     当主なればこそ。
     光秀は、聡い男。
     「先行のこと」
     考えるほどに、見通しが暗くなる。
     「取るべき道」
     苦悩の日々がつづいていた。

    ◎なるほど、「持てる者」には成った。

     光秀は、不遇の日々を送っていた。
     貧しかった。
     何もなかった。
     「持たざる者」、だった。 
     しかし、「志」があった。
     そして、「実行力」があった。
     そこに、「幸運」が訪れた。
     
     永禄十一年1568。
     信長と出会う。
     ここから、である。
     信長の人物眼。
     光秀の人生は、大きく開けて行く。
     正に、水を得た魚。
     以後、出世街道を驀進する。

    ◎志賀一郡、拝領。

     元亀二年1571、九月。
     信長は、叡山を焼討した。
     光秀は、この戦いで大きな手柄を上げた。

     信長は、躊躇しない。
     「火を懸けよ」
     叡山は、灰燼と化した。

      九月十二日、叡山を取り詰め、根本中堂・三王廿一社を初め奉り、
      霊仏・霊社・僧坊・経巻一宇も残さず、一時に雲霞の如く焼き払ひ、
      灰燼(かいじん)の地となすこそ哀れなれ。


     僧侶ばかりでなかった。
     麓の老若男女あわせて、数千人が殺害された。

      山下の男女老若、右往左往に癈忘(はいぼう)致し、
      取る物も取り敢へず、
      悉(ことごと)く、かちはだしにて、八王子山へ迯(逃)げ上り、
      社内へ迯げ籠(こ)み、、

      諸卒、四方より鬨声(ときのこえ)を上げて攻め上る。
      僧俗・児童・智者・上人、一々に頸(くび)をきり、

      信長の御目に懸け、

      是れは、山頭に於いて、其の隠れなき高僧・貴僧・有智の僧と申し、
      其の外、美女・小童、其の員(かず)をも知らず召し捕り、召し列ね、

      御前へ参り、

      悪僧の儀は是非に及ばず、是れ(私たち)は御扶(たす)けなされ候へと、
      声々に申し上げ候と雖も、

      中々、御許容なく、

      一々に頸(くび)を打ち落され、目も当てられぬ有様なり。
      数千の屍(しかばね)、算を乱し、哀れなる仕合せなり。


     信長は、溜飲を下げた。

      年来の御胸朦(きょうもう)を散ぜられ訖(おわ)んぬ。

     信長は、光秀に志賀一郡を与えた。
     あわせて、築城を命ず。
     光秀は、城持大名になった。

      さて、志賀郡、明智十兵衛に下され、坂本に在地候ひしなり。 

    ◎丹波一国、拝領。

     天正七年1579、十月。
     光秀は、丹後・丹波二ヶ国を制圧した。
     報告のため、安土城へ。
     献上の品、しじら百反。
     光秀、名誉の瞬間である。

      十月廿四日、惟任日向守、丹後・丹波両国一篇に申し付け、
      光秀は安土へ参り、御礼。
      其の時、志々良百端進上侯ひき。
                               (『信長公記』)


     同八年1580。
     丹波拝領。
     光秀は、ついに、国持大名に上り詰めた。

     なお、丹後は細川藤孝に与えられた。

    信長の性格 猜疑心が強い

    時代の風潮 謀叛 裏切り 弟殺し

    ◎しかし、信長は、猜疑心が強かった。

     否、強すぎた。
     それ故、ここまで、生き抜くことが出来た。
     時は、戦国時代。
     「油断」は、「死」を意味した。

    ◎織田信勝の一件。

     信勝は、信長のすぐ下の弟。
     母は、同じく土田氏。
     生年不詳。
     末盛城を居城とした。
     信澄の父である。
     信澄は、光秀の娘婿。
     父の顔を知らず。

    ◎前にも、同じことがあった。

     その時は、赦した。

     これについては、後述する。

    ◎信長は、警戒していた。

     弟ですら、信じられぬ時代だった。
     「再び」
     信長は、そう、思っていた。
     疑わねば、命を失う世の中だった。
     死神は、ある日、突然、訪れる。
     不幸にも、その通りになった。

     永禄元年1558。
     事件は、起きた。

     信勝は、岩倉織田氏と通じていた。
     その背後には、美濃の斎藤義龍がいた。
     義龍は、信勝の心底を知り尽くしていた。

      一、上総介殿信長公の御舎弟勘十郎殿、龍泉寺を城に御拵(こしら)へ
        なされ侯。
        上郡岩倉の織田伊勢守(織田信賢)と仰せ合はせられ、
        信長の御台所入り(蔵入地である)篠木三郷、能き知行にて侯。
        是れを押領侯はんとの、御巧みにて侯。


          *龍泉寺 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目
          *篠木 愛知県春日井市篠木町

    ◎信勝、謀叛。

     二度目である。

     柴田勝家は、信勝の家臣。
     主君を裏切った。
     これを、信長へ報せた。

      勘十郎殿御若衆に、津々木蔵人とてこれあり。
      御家中の覚えの侍どもは皆、津々木に付けられ候。
      勝ちに乗りて奢り、柴田権六を蔑如(べつじょ)に持て扱ひ候。

      柴田、無念に存じ、上総介殿へ、又、御謀叛おぼしめし立つの由、
      申し上げられ候。

    ◎信長は、病を装った。

     苦悩の末の決断だった。

      是れより、信長、作病(つくりやまい)を御構へにて、
      一切、面へ御出でなし。

    ◎信勝は、油断した。

     同十一月二日。
     まだ、気づいていない。
     兄の見舞いに訪れた。

      御兄弟の儀に侯間、勘十郎殿御見舞然るべしと、
      御袋様、並びに、柴田権六異見申すに付きて、
      清洲へ御見舞に御出で、清洲北矢蔵天主次の間にて、

    ◎信長は、信勝を殺害した。

      弘治四年戊午(つちのえうま)霜月二日、
      河尻・青貝に仰せ付けられ、御生害なされ侯。

                               (『信長公記』)

        
    *弘治は、2月28日、永禄と改元された。

    ◎これが当時の風潮だった。

     猜疑心 → 実の弟を殺害。
     恐ろしい時代だったのである。

    ◎本能寺の変を現代の風潮でとらえるべからず!

     風潮は、時代とともに変化する。
     明治時代を見よ*。
     否、大正時代を〃〃*。
     否、昭和の頃を〃〃*。
     否、平成を〃〃*。
     ましてや、本能寺の変は、今から、数百年も前の出来事*。
     時代が、大きく違うのだから、当時と今とでは、風潮も大きく異なる。
     当然のことである。
     したがって、この事件を、現代の風潮でとらえてはいけない。
     当時の風潮を、よくよく理解した上で、考えるべきと思う。
      *本能寺の変 1582
       明治 1868~
       大正 1912~
       昭和 1926~ 
       平成 1989~
       令和 2019~


      以上。
      今後とも、よろしくお願いたします。
                                  20231219


    NEW!!

    目次 が更新されました。

    これで、全体像がよくわかる!!

    毎日更新!!

    原因・動機の究明は、この一歩から!!


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    重要 ◎目次 が更新されました。

    本能寺の変

    原因・動機は、この中にあり!!

    ご注目下さい!!


     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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