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水の中

    「おかえり」

    彼は眉間に皺を寄せ足音を立てる。
    持っていたものを雑に床に置く。
    いつもの場所に座りため息をつく。

    少しずつ目に水が縁どって大きくなっているのがわかった。
    少しずつ息が荒くなる。
    顔が赤くなっていく。
    少しずつ声を漏らす。

    私はじっと見ていることしか出来なかった。
    いつもそうだ。
    肝心な時に触れることさえできない。

    彼は少し時間が経って立ち上がる。
    前を通る。
    「カチカチカチ、ボッ」
    「ジューー」
    「カチャカチャカチャ」

    浮かない顔で口を動かす。
    少しずつ、少しずつ呼吸が元に戻っていく。
    私は11を指す針を見る。

    彼がこちらを見る。
    私はお腹を翻す。
    「ここにいるよ」と。

    彼は筒状のものをトントントンと爪ではじく。
    私はまたお腹を翻す。
    精一杯。
    「お疲れ様」と水を踊らせる。
    彼は微笑む。

    こんな時にもお腹がすく。
    私は彼の真似をして口に含む。

    しばらくして、彼は火を灯す。
    ふわーっと煙が立つ。
    水面に波動が伝わる。

    彼が私を見る。
    波動を感じながらゆっくりと水を分けて答える。

    私はここにいる。
    目でしぐさで伝えて。
    私にはわかる。

    彼が眠りにつく。
    「よく頑張っているよ」

    水をかき分け光を作る。

    ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯

    朝日で目が覚める。

    「1,2,3,4,5」

    数えるとアラームがなる。

    窓際に目を向けると、
    キラキラと水面が揺れる。

    天井も波をうつ。
    光る。

    起き上がりシーツを整える。
    サイドテーブルにある眼鏡をかける。

    「おはよ」
    そっと挨拶をして朝ごはんをあげる。

    1年前。
    母の職場の人がメダカを5匹くれた。

    早速リサイクルショップに向かい、
    縁の赤い金魚鉢を手にした。

    たっぷりと水を注ぎ、
    買ってきた水草を沈める。

    「さあ、いらっしゃい」

    メダカたちがのびのびと泳ぐ。

    名前をつけようと思っていたけれど、見分けが付かずに断念した。

    でも、1匹だけ。
    1匹だけうっすら黄色の尾びれの光るメダカがいた。

    産卵を経て3匹増えた。

    その小さい世界でのびのびと暮らす。
    家族。

    「さて行ってこようかな」

    窓際に目を向ける。

    黄色の尾びれが
    「ちゃぽん」
    水面から顔を出すように跳ねる。

    時計を確認する。
    いつも出る時間まであと5分。

    自然と足が惹かれる。

    キラキラと光る水面を覗く。

    座る。

    じっと見る。
    さっきのメダカが私を見る。

    左右に泳ぐ。

    気づいた時には、もう10分経っていた。

    ずっとこうしていたかった。


    #創作大賞2026

    #オールカテゴリ部門

     
     

    moon

     
     
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