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Photo bymito_shi310

【辛辣なことを言います。】絵を描くだけで終わる人と、絵を勉強する人の違いを考える。


    こんにちは、こんばんは。ミトシです。
    イラストレーター兼ライターをやっています。


    今回は少し予定外なのですが、
    どーーーーーーーしても、一回触れたい話題なので、
    すこーーーーーーーし、表現がキツくなると思います。

    辛くなったら、いつでも読むのをやめてください。



    絵を描くだけで終わる人と、絵を勉強する人の違い。

    私は、教育機関で絵を学んで、その経緯を経て、
    イラストレーターとしての自分をやっと認めた部類の、
    弱虫の絵描きでした。

    でも、たびたびテレビやSNSで見かける「画伯」という表現に、
    いつまで経っても、慣れないです。

    「画伯」とは本来、「絵が達筆で上手な人・先生」という意味ですが、
    現在では「絵の下手な人が描く、真似できない画風」という意味でも使われています。

    これは、おそらく「絵の勉強の機関での教育を受けたか」という差、
    つまり「“講評”という機会に学びを得たか」という違いなのだと思います。


    「絵を描くのに、言語化できない人間は詰む。」

    “講評会”って、知っていますか?

    絵を描く教育機関では、何百回、何千回と経験するイベントです。
    「書き終わった絵をみんなで見て、それぞれの良さや学び足りなさを指摘する品評会」です。

    私はこれがすごく苦手なんですが、
    やってて良かったと思うことや、やらなきゃいけなかったんだと思うことが、
    最近すごく頻回にあります。

    それは「画伯」という表現や、「絵が下手/上手い」の単純な言葉にも、
    アンテナを張って反応して言語化できる自分に自信が持てたからです。


    私はそんなに形を綺麗に写したり、色数を複雑に表現するという技巧は、
    得意な方ではなくて、絵を描く中では「絵が下手」に位置している気がします。

    それでも「絵の勉強をしたんだ」と胸を張って言えるのは、
    “講評”の経験から、その人の絵の良さ、作品の褒めどころが、わかるからです。


    自分で独学だけで絵を写しとって、SNSなどで上げても、
    最近は傷つく人や傷つける人が目立つので、
    “講評会”の雰囲気を持つ場という醸成は、なかなか難しいところです。

    しかし、この“講評”という機会は、
    誰も彼も、参加した人全員に言語化をさせて、他の人の絵を見せます。

    時には辛辣なコメントを直接もらったり、
    コメント自体をもらえない、という経験だって、多くの人に通過させます。

    その中で「自分の絵の位置」を知るだけでない、大事なことがあります。


    その絵の良さを知ることで、「自分の絵に自信が持てる」。

    それは「言語化することで絵の良さを知り、果てには『自分の絵に自信が持てる』」という、
    自己肯定の儀式ともなり得るのです。

    確かに、私は直接人に意見を述べて、
    切り刻むようにコメントをしたりするのは苦手で、
    “講評”がしにくくて、苦手でした。

    そうやって人の絵の良さを見つける過程で、
    『自分の絵の良さ』にも気づける機会が増えたのが、
    今の自分の中で大事なことです。

    例えば、人の絵をけなすことをすると、
    自分の絵を描く時にも、その言葉が自分の視界でちらつくことが
    多くの人の経験上であります。

    それを乗り越えられる人だけでもないし、
    時には「あんなこと言わなきゃ良かった」と後悔が募って、
    絵をやめてしまう人すらいます。


    “講評”の経験の有無が、絵を勉強した人と、絵を描くだけで終わる人の違いです。

    みんなの鋭い目線が、ぐるりと自分の作品を囲む、あの機会。

    絵を描くだけなら、誰でもできます。
    絵を描くだけですから、下手でも描いたら良いのです。

    でも、勉強するなら話は別になっていきます。

    「必ず上を目指すものでもない」のですが、
    勉強とは勉めて強めるという言葉なので、
    自分の絵を強めることをします。

    絵を強めるには、自分の絵を知らなくてはいけない。


    友達に、言われたことがあります。
    それも北海道の画塾で、いちばんをとって東京に来て、大学でもトップクラスの友達です。

    「絵を描くのに、言語化できない人間は詰む。」

    私は結構、気を揉んで倒れそうだった時期だったので、
    意味を深く考えることもなく流しました。

    その子は誰よりも図書館に通い詰めては、
    知らない本を次々に読んでいく勤勉さもありました。

    でも、今はその言葉がすごくわかります。

    「画伯」とか、「絵が上手い/下手」という言葉には表せない、
    日本語としての言語化。

    そこに真実が宿って、自信が生まれる。

    それを数多く見るのが、「絵を勉強する」ということなのだと。


    じゃあどうする?
    『見る時に、しっかり評価する』ことを始めよう。

    私が、ことnoteという媒体にいる人に、
    「絵を勉強するにはどうすればいいか?」を伝えるなら、

    『見る時に、しっかり評価する』ことを始めるしかない。

    と、答えると思います。

    その絵が好きか、嫌いか。
    上手いと思うか、上手いのはどこか。
    下手ならどこが悪くて、どう直すのがいいと思うか。

    相手に直接伝えなくてもいいくらいでもあります。
    自分の中でしっかり言語化する。

    その中で、相手に伝えられる文脈や関係性のある言葉を、
    選んで使っていくのがいちばん自分の力になると思います。


    実は私も、大学で講評会の時、
    絵画コースの先生に「この絵は特に言うことないんで、下手だとだけ覚えておいて」と
    切り捨てられたことがあります。

    その時は憤慨したのですが、友達に対して
    「給料泥棒すぎて苛立つ、あんな人を教授として認められない」と
    こぼすだけだったのです。

    それを直接、講評会の後に先生に、
    「どこがダメだったか、ちゃんと教えてください」と言えていたら、
    私の人生も変わっていたんだろう、と今は思います。


    でも、絵はとっておいてね。
    燃やす・捨てるだけが、選択肢じゃないよ。

    私は10年前の引っ越しの時に多くの自分の絵を捨てたのですが、
    「自分の絵をとっておく」というのもおすすめです。

    その時の絵って、その時の自分しか描けないので、とっておいてね。

    最後に蛇足ですが、これだけ付け加えます。




    なんだか書き散らしましたが、
    絵を勉強したいという気持ちは、とても大事ですから、
    ぜひ「こんな意見もあるんだな」と受け取ってもらえれば、と思います。

    私の言いたいことは、これだけです。



    ここまでご精読ありがとうございます。

    またお会いしましょうね。
    ミトシワークス事業主の、ミトシでした。



    ちょっと勢いだけで書いた記事なので、
    これで終わります!
    何か問題あればすぐに消します!!

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    note3年目。イラストレーター兼ライター|個人事業「ミトシワークス」 『噛み砕きで人生に納得をつくる』ような記事書いています。 シールや絵本を販売して、雑貨系イラストレーターとして活動中。

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