
悔し涙に教えられたこと
実際に大会のメディカルサポートをした中で、感動した!心が揺さぶられた!というケースを紹介します。
大会が終わった直後の救護室は落ち着いている。
使い終わったテーピング
少なくなったアイスパック用の氷
私も後片付けに追われていた
そんな救護室に、一人の選手がやってきた。
試合後のケアのためだった。
すぐに、片付けの手を止め対応した。
私は身体の状態を確認し、必要なケアをしながら「お疲れ様」
と伝えた。
選手は少し笑いながら答えた。
「負けました」
その表情は穏やかだった
けれど、しばらくすると目に涙が浮かんだ
そして静かにこぼれ落ちた
悔しかったのだと思う
勝ちたかったのだと思う
今日のために、
積み重ねてきた練習があったのだと思う
支えてくれた家族の思いもあったかもしれない
だからこそ、その涙は自然だった。
私はその時、気の利いた言葉をかけられなかった。
「次があるよ」
という言葉も違う気がした。
「よく頑張ったね」
という言葉もどこか軽く感じた。
だから私はただ話を聞いていた。
今思えば、それで良かったのかもしれない。
悔し涙は消すものではない
本気で挑戦した人だけが流せる涙だからだ
スポーツ現場でメディカルサポートをしていると気づくことがある。
私が選手を支えているつもりでも、実際には私の方が教えられていることがあるということだ。
あの日の悔し涙もそうだった。
私はその涙をみながら、自分自身のことを考えていた。
『私は最近、本気で悔し涙を流したことがあっただろうか』
『結果がどうであれ、自分の心が震えるほど何かに向き合えていただろうか』
その選手は、勝負の世界で真剣に生きていた
だから涙が出た
それは弱さではない
真剣に生きている証だ
私はそんな姿に心を動かされた
そして同時に、自分もそうありたいと思った。
日常を真剣に生きること
一日一日を丁寧に生きること
挑戦すること
本気になること
救護室でみた一人の選手の涙は、そんな当たり前だけれど大切なことを思い出させてくれた。
スポーツ現場にいると、支える側と支えられる側という言葉がよく使われる。
でも、その境界は案外曖昧なのではないかと思う。
選手は身体のケアを受ける
私は選手の生き方から学ぶ
選手は挑戦する
私はその姿から勇気をもらう
誰かを支えるためでもあり、自分自身が大切なことを思い出すためでもある。
あの日の悔し涙は、今でも私の心の中に深く残っている。
そしてこれからもきっと、私に問いかけ続けるのだと思う。
「あなたは今、本気で生きていますか」と。