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『母の日』を冷笑しない

    5月10日は『母の日』でした。
    お花を母に渡しました。

    花を購入するために出掛ける時、
    母に「どこに出かけるの?」と聞かれ、困る僕。

    隠すほどでもないなと思い
    「今日母の日でしょ、お花を買いに行こうと思って」と
    少し恥じながら伝えました。

    現在僕は21歳。
    順当に行けば来年には就職し、家を出ます。

    親には世話になったし、これからも迷惑をかけ続けるのでしょう。

    そう考えてると年に一度の子供の仕事をしないとなと思い、
    少しだけ背伸びをし良い花を購入しようと決めました。

    ここ数年は毎年母の日と父の日には何かをプレゼントをしています。

    これは僕が毎年律儀に覚えているというより、

    父が
    「明日は母の日です」と
    前日に僕にLINEを送ってくるから忘れることがないのです。

    そして面白いことに
    父の日の前日には母から同じようなLINEが送られてきます。

    そんなことをしなくても毎年カレンダーには母の日と書かれているのに。


    母の日には微笑ましさとむず痒さがあります。

    普段寄らない花屋さんには忙しそうな店員さん。
    あの母の日当日の花屋さんの少し浮かれた空気は何とも言い難いです。

    年に一度しか訪れないから毎度新鮮な感覚に陥ります。

    その母の日特有のむず痒さが嫌で、
    高校生の頃に一度だけプレゼントをしなかった年があります。

    今までは何も思わなかったのに照れが生まれたのでしょう。

    「母の日なんて子供っぽい」
    「なんで恥ずかしい思いをして花を買いに行かないといけないんだ」

    今思い返すとその考えが何倍も子供だなと思えちゃいますね。

    最近流行りの言葉なのかはよく分かりませんが
    「冷笑」という言葉をよく耳にします。

    当時の僕は間違いなく「母の日」を冷笑していました。
    言い訳を見つけて恥ずかしさを誤魔化していたのです。

    今思い返すとなんと馬鹿らしいのでしょう。

    人が喜ぶことなんてやり得じゃないですか。リターンしかない。
    少しの恥なんて傷にはなりません。

    そう思いながら花屋をそそくさと散策し、
    一番真面目そうなラッピングに包まれた花を購入し、
    しっかりと外から見れない紙袋に入れてもらい帰りました。


    うん、これで良いんだよ。

    これで良い。

    家に帰りその花を渡すと母は毎度のこと喜んでくれました。

    「カーネーションじゃなくてケイトウなんだね」と母は言いました。

    「鉢もついてるから長く飾れるかなと思って」と嘘を答えました。

    実際はカーネーションを担いで帰るのはさすがに…と思ってしまったから。

    そして花屋に置かれているカーネーションや派手な花には可愛い風船やぬいぐるみが付いていました…。

    この言葉に深い意味はありません。

    冷笑もしてません。


    そんなこんなで無事に母の日は終わりました。

    終わってしまえば皆ハッピーでいい記念日です。

    ここからは少し余談ですが「冷笑」という言葉、
    よく流行ってくれたなと思っています。

    何故なら今まで概念的に苦手だった行為を言葉で表せるからです。

    頑張ってる人や流行り、物事をバカにして見下すようなことはしたくない。
    「無駄だ」「意味がない」と何でも否定する人にはなりたくないです。

    一例として僕は過去に『たけのこの里、きのこの山論争』を大冷笑していました。
    「ごめん、流石にどっちでも良くないか?」と正直思っていました。

    でもこの会話はいわばノリなのです。
    どっちでもいいのを理解したうえで議論に参加するのが大人なのかと心を入れ替え、たけのこの里派になりました。

    話が逸れた気がしますが、
    意味を見つけて何かと否定したがるのは人間の性ですが、
    それを汲んだうえでもう一度考えてみるのが重要だということです。

    僕は考えたうえで「母の日」に母を笑顔にしてきました。
    いつもありがとう。

    ここまで読んでいただきありがとうございました。
    またどこかでお会いしましょう。佐波でした。


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