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🩺 医者シリーズ 第2話#初期研修という地獄(と、その大事さ)

    医学部を卒業して、医師国家試験にもなんとか受かり、
    私は初期研修医として働き始めた。

    この2年間は、いわゆる“スーパーローテーション”。
    いろんな科を1〜2ヶ月ずつ回り、
    とにかく現場で叩かれる時期だ。
    (※制度の詳細は、同時に別の記事で解説します。意外と知られていないので。)
    ⸻

    ■ 家に帰るのは2〜3日に一度


    初期研修の当直は、朝から通常勤務をしたあと
    そのまま夜の救急外来を担当し、翌朝まで働く。

    そして次の日も普通に日勤。

    つまり、

    朝 → 夜勤 → 翌朝 → そのまま日勤

    というスケジュールが普通にある。

    あの頃は当直が月10回。
    家に帰るのが2〜3日に一回という生活だった。

    「患者より自分のほうが調子悪いよ…」
    と本気で思いながら働いていた。

    でも、この環境は私の医者としての土台になった。

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    ■ 救急外来のカオスで、人間の“生々しさ”を知る


    救急外来には、本当に色々な人が来る。

    怒鳴る人、暴れる人、酔っぱらって寝ている人、
    お金を払わず帰ろうとする人。

    言葉を選ばずに言えば、
    人間の“汚いところ”が全部詰まっていた。

    そして私は思った。

    「大人の医療、向いてないな……」

    子どもにも大変なケースはある。
    とんでもない家庭環境の子もいる。

    でも、子ども本人に罪はない。
    そこが踏ん張りどころになる。

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    ■ 小児科か、精神科か


    学生の頃、私はずっと迷っていた。

    「教師になるか、医者になるか」
    そしてその延長で、
    「子どもと関わる仕事がしたい」
    という気持ちが強かった。

    悩める中学生や高校生の力になれる仕事がしたかった。
    ただ、今思えばそれは 精神科というより“スクールカウンセラー”のイメージ に近かった。

    実際の精神科はまったく別物で、
    子どもの精神科(児童精神科)になるには、一度“大人の精神科”を経る必要がある。

    そして私は、大人の精神科にはどうしても興味が持てなかった。

    救急外来で大人の患者を診るほどに、
    答えは自然とひとつに収束した。

    「自分が頑張りたいのは、やっぱり子どもだ」

    そして小児科を選んだ。

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    ■ しかし、小児科の現場には“怖い人”もいた

    小児科だからといって、
    全員が優しいお医者さんというわけではない。

    私が初期研修をした病院には、
    とにかく怖い小児科の先生がいた。

    怖いだけならまだいいが、
    人としてどうしてもウマが合わなかった。

    部長や他の先生方は良い人だったけれど、
    「この環境で小児科医になるのは無理だ」
    と判断し、後期研修は別の病院を選んだ。

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    ■ 紆余曲折の末、小児科専門医に


    その後は紆余曲折。それはまた次の話にでも。

    研修を終え、論文を書き
    (正確には、上の先生にほぼ書いてもらい)、
    レポートを出し、
    試験を受けてなんとか合格。

    そして、ようやく 小児科専門医 になった。

    ⸻

    ■ あの地獄は、今の自分の“原点”

    初期研修2年間は間違いなく大変だった。
    でも、あの経験がなければ今の私はいない。

    忙しい病院を選んだことも含めて、
    人生で数少ない“良い選択”のひとつだったと思う。

    当時は家に帰るのが2〜3日に一度だったのに、
    今は家に帰れば子どもが飛びついてくる。

    人生は変わる。
    そして、あの地獄のような日々も
    振り返れば必要な時間だった。

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    🌱 次回予告
    《医者シリーズ 第3話:小児科の中の“小さな分岐点”── 私が小児神経を選んだ理由”》

    ・発達・小児神経との出会い
    ・NICUで感じた“育つ喜び”
    ・そして、そこから始まる茨の道

     
     
     
    小児神経を勉強中の不真面目な小児科医、2児の父。発達、医療、育児、たまに創作。ちゃんとしてる日もあるけど、だいたいふざけてます。 ※当noteはAmazonアソシエイト・プログラムに参加しています。

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