
がんばらない、をがんばる。仕事とプライベートを穏やかに巡らせる
がんばることは、いいことなのだと思う。
仕事も家事もきちんとやって、人にもやさしくして、できれば機嫌よく過ごしたい。
そうやって毎日を回せたら、それがいちばん理想なのだろうと思う。
私もずっと、そうありたいと思ってきた。
けれど、全部をちゃんとやろうとすると、夜にはもう何も残っていない日がある。
布団に入ったとき、充実感より疲労感のほうが強いのである。
最近、私が大事にしているのは、「がんばらない、をがんばる」ということだ。
気を抜くというより、全部に全力を出さないように気をつける感じに近い。
そのほうが、仕事も暮らしも、結果として穏やかに回る気がしている。
仕事は6割くらいで止めておく
前の私は、仕事はいつも100点を目指すものだと思っていた。
頼まれたことはきっちり返したいし、できれば期待より少し上まで持っていきたい。
そういう気持ちは今もある。
でも、毎回それをやろうとすると、だんだん息切れしてくる。
ひとつの仕事が終わるころには、もう次のことを考える余力がなくなっている。
在宅で仕事をしていると、その疲れを引きずったまま家のことに入る日も多かった。
ちゃんとやったはずなのに、なぜかずっと苦しい。
それが続くと、仕事そのものまでしんどくなってくる。
だから最近は、6割か7割くらいで十分な日があってもいい、と思うようにしている。
手を抜くというより、余白を残して終える感じである。
常に全力でいないことが、次の日の自分を助けることもあるのだと思う。
家のことは、あきらめる項目を決める
家事は、やろうと思えばいくらでも増える。
洗いもの、片づけ、掃除、ごはんのこと。
終わったと思っても、また次が出てくる。
前は、仕事も家のことも、どちらもちゃんとやらなくてはと思っていた。
でもそれを続けていると、家の中でまで気持ちが休まらない。
やることに追われて、機嫌よく過ごす余裕がなくなってしまう。
それなら最初から、やらないことを決めておいたほうがいいのかもしれない。
疲れている日は、お惣菜でも外食でもいい。
掃除も、目につくところだけ整っていれば十分な日がある。
家のことを完璧にやるより、家で機嫌よくいられるほうが大事なのだと思う。
そう考えるようになってから、少しだけ気持ちが軽くなった。
心地よさを基準にしてみる
がんばりすぎるときは、たいてい外側の基準を気にしている。
普通はこれくらいやるものだとか、ちゃんとした人はこうするのだとか。
そういう見えない物差しに合わせようとして、知らないうちに力が入りすぎる。
そんなときは、自分の中の感覚に戻るようにしている。
今、この空気は心地いいか
呼吸は浅くなっていないか
このまま続けたら、あとで苦しくならないか
ちょっと手を抜いてできた隙間に、風が入ってくる日がある。
好きな音楽がちゃんと耳に入る日もある。
そういう小さな心地よさがあると、明日もなんとかやれそうな気持ちになる。
余白のある暮らし
がんばらないというのは、怠けることではないのだと思う。
自分をすり減らさないように守るための、ひとつのやり方なのだろう。
全部を頑張らなくていい。
少し手を抜いて、少し余白を残す。
そのくらいのほうが、仕事も暮らしも長く続くのかもしれない。
今日も無理せず、ぼちぼちいきましょう🐢