
ディズニーを日本に誘致した男の、たった5つの地味な行動。プレゼンは話す前に決まっていた
実は、東京ディズニーランドは
データの上では
「できるはずのない」
場所に建っています。
1970年代のはじめ。
カリフォルニアで成功したディズニーは、
フロリダに続く「次のディズニーランド」を
どの国に作るか、検討を始めていました。
判断材料のひとつが、
ディズニー映画が
世界のどこで観られているかという
興行データです。
1位 アメリカ
2位 イギリス
3位 ドイツ
4位 フランス
5位 イタリア
日本は、6位でした。
普通に考えたら、次のパークはヨーロッパ。
ディズニーの頭の中に「日本」という選択肢は、
ほとんど無かったんですよね。
ところが、約10年後の1983年。
世界で最初の海外ディズニーランドは
イギリスでもドイツでもなく、
千葉県浦安市の埋立地にオープンします。
映画もあまり観られていなかった国の
名前も知られていない海辺の町に。
データの「ノー」を、
誰がどうやってひっくり返したのか。
中心にいたのが、
堀貞一郎という男。
のちに東京ディズニーランドの
グランドオープンを総合プロデュースする
「ディズニーを日本に誘致した男」
と呼ばれるマーケターです。
彼を突き動かしていたのは、
会社の命令ではありません。
「自分が本当に作りたいテーマパークを
日本に作りたい」
その一心で、勝ち目の薄い
プレゼンに挑んでいたのです。
この誘致の逆転劇、
「熱意の武勇伝」として語られがちなんですが、
調べていくと違うんです。
堀さんがやっていたのは、
誰でも真似できる、
5つの地味な行動の積み重ねでした。
今日はそれを1つずつ分解して、
私たちサイズの明日からのアクションに変換していきます。
土俵にすら立てていなかったオリエンタルランド
状況はデータ以上に絶望的。
当時、ディズニーランドの誘致には
世界21カ国が名乗りをあげていた。
日本国内でも、
富士山の麓に広大な土地を持つ会社が
本気で誘致を進めていて
ディズニー首脳陣の来日予定も
その富士山側が取り付けたものだったんです。
オリエンタルランドはそこに必死で食い込んで、
「1日だけプレゼンさせてください」と頼み込み
やっと会うチャンスをもらった側でした。
映画のデータでは6位。
国内でも「ついで」の扱い。
ここから堀さんは、
たった1日でひっくり返します。
行動1:メインルート以外で勝てる道筋を作る
まず堀さんは、
映画の興行データで戦うことを
最初から捨てています。
そこで勝負したら、
ヨーロッパに勝てないからです。
代わりに持ってきたのが、
まったく別のデータでした。
当時の国民調査で、
「物の豊かさ」を求める人と
「心の豊かさ」を求める人の数が、
ちょうど逆転した瞬間だったんです。
堀はそこを捉えて、こう示しました。

「これからの日本人は、モノより心を満たす時代に入る。
この国は、ディズニーの哲学と合う」
映画の売上で見れば、日本は6位の国です。
でも「これから心の豊かさを求める国」という物差しなら、
日本は最有力の国に変わる。
うまいのは、
自社を売り込んでいないことなんですよね。
「うちの会社が優れています」ではなく、
「時代が変わります。あなたの哲学が必要とされます」
売り込みではなく、時代の解説。
だから相手は、警戒せずに聞いてくれたんですね。
行動2:相手の一番の不安を消す
当時のディズニーには、
日本側のほとんどが知らない「古傷」がありました。
カリフォルニアで進めていた
「ミネラルキング・スキーリゾート」計画が、
住民や自然保護団体の反対運動で止まり
そのまま消滅していたんです。
つまりディズニー首脳陣の頭には、
「どんなに良い計画でも、
地元に反対されたら終わる」
という恐怖が刷り込まれていた。
堀たちは、それを調べて知っていました。
だから首脳陣が浦安に到着したとき、
そこに用意されていたのは
数字でもプレゼン資料でもなく
市長と住民たちが旗を振って迎える、
歓迎セレモニーでした。
これは演出ですが、
ハリボテではありません。
社長の高橋政知が漁師さんたちと何年も杯を重ねて、
地元の信頼を築いてきた下地があった。
過去に傷を負った不安要素が残るディズニーの
不安を取り除いた。
やられた側は
「この人たちは、
我々のことを我々より考えている」と感じます。
行動3:相手を調べ尽くし感情を動かす
ディズニー幹部一人ひとりの好みも、
事前に調べ上げられていました。
たとえばワイン。
幹部それぞれの好きな銘柄を調査して、
すべて用意しておいた。
帝国ホテルから浦安への移動には、
サロンカーを仕立てて
豪華なランチを出しています。
思い出してほしいのですが、
この時点でプレゼンはまだ始まっていません。
でも、ディズニー側の心には
すでに1つの確信が生まれています。
「この人たちは、
人を喜ばせることにここまでやる」
ゲストを喜ばせ続ける仕事
テーマパークの運営を任せる相手として、
これ以上の証明はないですよね。
売り物がまだ何もない会社が、
自分たちの「あり方」そのものを
商品サンプルにしたわけです。
行動4:弱点を「説明」ではなく「体験」で上書き
浦安の弱点は、はっきりしていました。
知名度ゼロの埋立地で
「遠そう」に見えることです。
堀さんたちはこれを、
言葉で言い訳しませんでした。
移動そのものを設計したんです。
行きは、さっきのサロンカー。
豪華なランチと会話で、
移動時間を忘れさせる。
そして帰りは、ジェットヘリ3機。
浦安から都心まで、
わずか数分で戻してみせた。
同じ距離なのに、
ディズニー首脳陣の記憶に残ったのは
「近い」という体感でした。
窓の下に広がっていたのは、
世界最大級の人口密集地・東京。
そのすぐ隣にある、まっさらな土地。

「3,000万人が隣にいる」という
浦安最大の強みを、
資料の数字ではなく景色で見せた。
「百聞は一見に如かず」は、
プレゼン設計の最高の技術ですね。
行動5:準備が整ったらワクワクさせることに徹する
そして、プレゼン本番。
ここで堀さんは、
有名な「あの作戦」に出ます。
通訳に、
マイクを渡さなかったんです。
自分はマイクを握って、大きな声で、
身振り手振りを交えて日本語で熱弁する。
通訳の声は、小さくしか聞こえない。
すると不思議なことが起きます。
日本語がわからないはずの首脳陣が、
「なんだか面白そうだ」と、
前のめりになっていったんです。
堀さんが語っていたのは、
数字ではありませんでした。
飛行機が降りて、クルマが都心から走ってきて
家族がゲートをくぐり、子どもが駆け出す
まだ存在しないディズニーランドの1日を、
実況中継のように描いていた。
相手の感情を
ワクワクさせることに徹した。
プレゼンが終わったとき、
ディズニーの社長はこう言ったそうです。
「よくわかりました」
そして首脳陣は、
その場で決めます。
「質問はありません。
富士山の会社との予定は、お断りを」
データで6位だった国が、
たった1日のプレゼンで、
本命になった瞬間でした。
彼は、一度もライバルを見ていなかった
ここまで読んで、
気づいたでしょうか。
5つの行動のどこにも、
「富士山の会社への対抗策」が出てこないことに。
普通、後発で挑む側が本命と競合したら
相手の弱点を探して、
比較表を作りたくなります。
堀さんは、
それを一切やっていません。
調べていたのは、ライバルではなく、
目の前のディズニーのことだけでした。
ディズニーがいま、
何を恐れているか(行動2)。
幹部がどんな人で、
何が好きか(行動3)。
そして、ウォルト・ディズニーが
そもそも何を叶えようとした会社なのか。
ウォルトがディズニーランドを作った原点は、
「親と子が一緒に楽しめる場所を作りたい」という夢でした。
心の豊かさを求め始めた日本人のデータも、
星条旗を振る舞浜の人たちも、
ヘリの窓から見えた3,000万人の街も。
堀さんのプレゼンは全部、突き詰めれば
たった一言を伝えていたんです。
「あなたたちの夢が、
次に叶う場所は日本です」
堀さん自身に
「作りたいテーマパーク」という夢があったから
ウォルトの夢の続きを本気で描けた。
自分を売り込むのでも、
ライバルを倒すのでもなく、
相手の夢の続きを見せる。
比較で勝とうとする人は、
相手の土俵で戦うことになります。
相手の夢を叶えようとする人は、
土俵ごと変えてしまう。
まとめ:プレゼンは話し方の技術ではない
伝説の誘致プレゼンを分解すると
こうなります。
メインルート以外で勝てる道筋を作る
別の物差しで「選ぶ基準」ごと変える相手の一番の不安を消す
過去の失敗を調べる相手を調べ尽くし感情を動かす
あり方そのものを証明にする弱点を「説明」ではなく「体験」で上書き
準備が整ったらワクワクさせることに徹する
5つとも、話し方の技術ではありません。
全部、「相手の頭の中に何があるか」を
調べることから始まっているんです。
私自身、
耳が痛いんです。
大事なプレゼンほど、
スライドの完成度に逃げてきたので。
資料を磨くのは、実は楽なんですよね。
相手を調べ尽くすことから逃げられるから。
でも堀貞一郎が証明したのは、
その逆でした。
プレゼンとは、
話す技術ではなく、
相手を想う量。
5つのうち、どれか1つでもいいので
社内プレゼンや、次の商談で試してみてくださいね。
相手の目の色が変わる瞬間が、たぶん来ます。
最後までご覧いただきありがとうございます。
このアカウントでは、
リーダーの思考法を書いています。
実は私の対談相手である
ディズニーで約20年、
運営・キャスト教育を担当をしてきた
蔵田智之さんは、
この堀貞一郎さんから直接、
教えを受けてきた人物です。
本にも載っていない堀さんの言葉も
このnoteを通じて皆さんへお届けしていきたいと思います。