AIラーマーヤナ|正義の設計 第2章
第2章|王とは、感情を持たない装置である
ラーマは、英雄ではない。
少なくとも、この物語の中ではそう扱われない。
彼は優れているわけでも、
特別に強いわけでもない。
ましてや、感情豊かな存在でもない。
ラーマは、正義を表示するための装置として配置されている。
王とは何か。
ラーマーヤナは、その問いにこう答える。
王とは、
感情を抑制し、
私情を切断し、
個人的な幸福を判断から排除できる存在である。
理想の王に求められるのは、
共感でも慈悲でもない。
一貫性だ。
誰が傷つくかではなく、
どのルールが優先されるか。
その選択を、
迷わず実行できること。
ラーマが「正しい」のは、
彼が善人だからではない。
揺れないように設計されているからだ。
だが、その設計は副作用を生む。
感情を切断した王は、
人間の側から見ると、
冷酷に見える。
正しい判断が、
必ずしも「正しく感じられない」瞬間が生まれる。
ラーマーヤナは、
この違和感を隠さない。
むしろ、
それを王権の必然的な代償として置く。
人間的であることと、
正義を運用することは、
両立しない。
王が人間であろうとすれば、
正義は揺らぐ。
正義を固定しようとすれば、
王は人間から遠ざかる。
ラーマは、その境界に立つ存在だ。
彼は苦しまない。
少なくとも、物語の中心では苦しまない。
苦悩が描かれないのは、
彼が強いからではない。
装置として沈黙する役割を与えられているからだ。
この時点で、
王はもはや個人ではない。
王は、
正義を通過させるためのインターフェースとなる。
そして、この設計が
次の章で、はっきりと露出する。
——第2章、ここまで。
⇒ 第3章|追放という仕様 を読む
