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わたしだけの 月渡る橋

    「桂川の隣の道は、三条通りやんね」
    「え、丸太町が通ってるイメージありましたけど」
    「ちゃうちゃう!橋に繋がってる川沿いの道は三条通りなんよ」

    月に1,2回だけ、知り合いのワインバーのお手伝いをすることがある。ナチュラルな木目のカウンターが可愛らしい、一人でも入りやすいワインバー。マップで「ワイン」と検索して、見つけたそのお店。ワインが大好きな店主さんの作るアテは美味いし、ワインもリーズナブルなのに全部おいしい。その味覚とセンスを信用した常連さんたちが集まる場所だった。
    瞬く間にファンになった私は、そのお店に何度か通っていた。お酒の好きな、面白い女友達とカウンターに座る。気づけば店主さんとも顔なじみになり、アルバイトの子たちが辞めて忙しい春に「よかったら手伝ってみる?」と誘われた。日頃はパソコンをにらめっこする時間が多い私は、それを快諾して立っていたわけだが、その年に引っ越すことが決まった。京都を一度離れたが、3年越しにまた引っ越して戻ってくることができ、晴れてまた大好きなワインバーのお手伝いをしている。

    京都生まれ京都育ち。なんとなく京都の香が染み込んでいるような、地元のひととの話は楽しい。「京都人はいけず」なんていうひとがいるが、滋賀県出身というよそ者の私にも、京都市内の人たちは優しい。京都に住むと、なぜ外側の人たちを嫌うのかもわかる。歴史が息吹く街のなかで生きる人々。その生活に「お邪魔させてもらいます」というリスペクトがあるかないかが、一瞬で(よそ者として京都に5年ほど住んでいる私でさえ)わかるからだ。

    そんな京都へのリスペクトのひとつは、通りの名前を覚えることである。観光地として栄える新京極商店街や高島屋のある京都河原町は、東西(横)の通りは四条通り、南北(縦)の通りは河原町通りで、「四条河原町」。駅名になっていることは少ないが、バスはほぼ必ず東西と南北の通りがぶつかる交差点は、通りの名前になっている。
    地区の名前ではなく通りの名前で話をするのは、結構当たり前だ。最初は難しく感じて覚えられなさそうだが、実際に足を運んでみると、意外とどの通りがどんな雰囲気かがわかってくる。

    烏丸御池(東西は御池通り、南北は烏丸通り)は、オフィスと高級マンションが多く、街路樹が美しい。京都では珍しく都市の雰囲気を感じる。
    そこから東へ進むと丸太町御池(東西は御池通りのまま、南北は丸太町通り)。個人店のおしゃれなパン屋やコーヒー屋が多く、感度の高いひとが通っている場所というイメージ。お店の雰囲気や街にいる人々の年齢層や観光客の割合が違うのである。

    「嵐山に引っ越すなんて、それにしても変わってるなぁ」
    「車を持ってるんで、ちょっと田舎のほうがよかったんですよ」
    「観光客多いやろ?」
    「いや、阪急側はいないですよ」

    ワインバーのお手伝いをしながら、常連さんたちとカウンター越しに話す会話を、ふと思い出していたのは、ランニングをしながらであった。

    この春に引っ越ししたての京都。観光客が世界中から訪れる街を、軽やかな恰好でランニングするのは、なんだか贅沢しているみたいな気持ちになる。桂川を中心に、土手沿いをランニングしていたが、少し距離を伸ばしてみたくなって、その日は、まったく知らない道を走っていた。

    まずはいつも通りのコースを進んだ後、どの道を通るかマップアプリを使って決める。日頃のランニングはスマホを持たず、ランニングウォッチひとつで走っているので、道を覚えていく必要があるためだ。
    マップにピンを指して、距離を測る。またそのピンの位置から次の目的地を決めて、距離を測る。自分だけのランニングコースをつくる。こんなに走れるかな、と思いながら走り始める。

    目印にしていた携帯ショップがなかなか見当たらず、やっぱり初めて走る道は体感距離が長くなるな、と思った。やっとでてきた交差点の携帯ショップを曲がると、道なりと覚えていたが、意外と細い道ばかりで、どれが「道なり」なのかがわからない。マップではわかりやすい黄色い大きな道だったのに。

    いくら想定しても、イメージをしても、考えたと思っていても、実際に経験してみるとわからないものばかりだ。私は昔から未来志向という名の怖がりだった。未来がこうありたいから、今こう生きる。人は想像できるから、進化してきたのだと思う。でも、未来が見えないから不安になるのは、安心にしがみついているからだった。

    他人に対してこういう人でありたい、という像があった。頼りになりたい。話しかけやすく明るくいたい。行動的でエネルギッシュでありたい。何かを与えたいと思う先には、人から必要とされたいと願っていたのだと思う。そんな人になるためには「どうあるべきか」を考えてきた30年間だったなと思う。

    そんな自分に気づくと、なんだか自分が空っぽに思える。
    本心でしたかったことと、必要とされたくてなった自分、どちらが多いのか不安になる。いくら未来を想像して自分の人生をこういうものになるだろうと思い込んだとしても、突然思いもよらないことが起きる。父が突然事故で亡くなった電話を、4姉妹の末っ子の私が警察から聞く。他人から伝えられる家族の死は、遠い事実のようだった。心から大切にしようと思って選んだパートナーに別れを告げるときがくる。何度も自分を責めて、私と出会わなければ、理想的な恋愛ができたのかもしれない、ごめんねごめんね、と何度も謝る。多分、一生拭えない。想像もつかないことが突然湧き出てくる。その度私は狼狽え、心を揺らし、なんとか私を生きてきた。

    太秦天神川駅を越えたころ、十字路ではなく、大きなT字路にぶつかった。
    今自分がどのあたりを走っているのか、初めてなのでわからない。引き返したほうがいいのか?曲がる場所を間違えたかも。想定していたマップ上でのイメージは追いつかない場所にいた。
    右に行こうか、左に行こうか。そこで、ワインバーのお客さんの話を思い出した。

    「橋に繋がってる川沿いの道は三条通りなんよ」

    青い看板のT字の上には「三条通り」の文字。
    なるほど。人の話は聞いておくものだな、と思った。なんとか家には帰れそうだ。


    三条通りを走っていると、いつものランニングコースへ戻ってきた。川沿いを走る。観光客でごった返して、日中歩くことはままならない道。歩道には誰もおらず、車道に路駐している軽が停まっているだけ。

    渡月橋を渡る。亀山上皇が、橋の上空を超えていく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と言ったことから、名前がついたらしい。私以外に、誰も渡っていなかった。
    山際がはっきりとわかる、夜なのに樹々の緑色を感じるぐらいの明るい満月。思わずウォッチを停めて、ゆっくりと、歩いた。たくさん道に迷ったり、不安になったり。そういうもんだよな、と思う。それでも時間をかけて走ってきたあとの、私しかいない橋の上から見る月は、ご褒美みたいに感じられた。

    走ったり、歩いている最中、どこへ向かっているかなんて、わからない。遥か宇宙から、私たちの電波を受信し、リアルタイムで追従できる地図を使ってそう思い込んでいるだけで、私たちは初めて歩く場所で正確に位置を把握するのは難しい。
    わからないけど、進むしかできないから進んでいるだけ。たまに立ち止まったり、「わからないな」と頭を抱える。時折同じように迷っているひとに出会ったり、道に詳しいひとがヒントをくれたりする。あのときの出会いって、こういう意味だったのかもしれない、という瞬間に私たちはたくさん出会う。いつも先の分からない道を歩いていて、それはとても怖いことだから、私たちはつい忘れそうになる。

    目的地にも、そこまでの道のりにも正解はない。その迷った道にたどり着いた場所を、「あぁ、ここに来るために私は迷って歩いてきたんだな」と思うことで、目的地になるだけだ。そんな経験をしたり、走っている最中はできなかったりしていく。
    今までの人生が、ずっとずっと迷っていたような気がしていて、泣けた。私はこうしていくんだ!と旗を掲げて、頑張っていたら、すごく素敵な自分になれる気がしていた。

    でも、私はいまだに自分で自分の心の内側に気づけていないことばかりで、その感受性さえ乗りこなせていない。でも、走っていくしかない。私で生まれてしまったのだから、私を生きていくしかないんだと思う。いつも決めているつもりがしていただけで、ずっとずっと迷っていくものなのだろう。

    明るい月が私の真上から、後ろに回ったところで、ウォッチを再開する。暗い夜道を迷ったけど、足の疲れよりも、この景色を見れてよかった、という気持ちのほうが、煌々と輝いている。

     
     
    写真家 エッセイスト | 社会人大学生哲学専攻 | 恋愛と暮らし、カルチャーについて書きます。旅とゲームが好き。エッセイ作品はオンラインもしくはイベントにて販売 お仕事のご依頼 sgms199579@gmail.com http://misautsunomiya.website

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