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こんな魔法少女はいやだ(二十一歳のわたしへ)

    スーツに怨念がある。できれば二度と着たくない。「就職活動」というありふれた苦しみの記憶が思い起こされて、いやな気持ちになるからだ。苦手なことはたくさんあるけれど、そのなかでも「就職活動」は人生でいちばんと言っていいほど苦手なものだった。最悪すぎて防衛本能がはたらいているのか、あの時期のことをあまりくわしく覚えていない。唯一つよく記憶にのこっているのは、毎日「スーツを脱ぎたい」と思っていたこと。面接から帰宅したらすぐにスーツを脱ぎ捨てて、まるまったそれをぼんやりとながめていたこと。

    それでもたしかに、わたしは希望を持っていた。中学生の頃からあこがれつづけた夢の職業にかならず就けるのだと信じて疑わなかったし、そのための努力も惜しまなかった。面接ウケするようなおもしろい人間にはなれなかったけれど、黒いジャケットを羽織り、膝丈のタイトスカートを身につければ、なにかに「変身」できるような気がした。スーツのときだけ履く苦手なパンプスは、わたしをあかるい未来に連れて行ってくれるのだと思っていた。
    しかしもちろん、いきなり「変身」なんてできるはずがなく、スーツを着てもなお、わたしはつまらないわたしのままだった。すこし歩くだけでシャツがよれ、パンプスを履いた足から血が出る自分のことが、恥ずかしくてたまらなかった。周りのみんなは悠々とスーツを着こなしているように見えるのに、わたしにはそれがどうしてもできなかった。



    と、このあたりまで書いて、なんかしっくりこずに消す、という作業を計七回ほど繰り返した。就活に失敗したことがきっかけでエッセイを書くようになり、今日で約六年が経つのだが、いまふたたび、就活のことを書こうとするといつも筆が止まる。一年前の最悪な出来事についてならすらすらと書けるのになぜだろう?と、これを機に真剣に考えてみることにした。そうして気づいたのは、かつて自分が就活に失敗したことを振り返ったとき、いまのわたしにとってそれはかなり「クソどうでもいい」ことだったのだ。「あの頃のかなしみを糧に〜…」とか、「夢破れてからの日々を振り返って〜…」とか、そういうのも正直まったくない。
    たしかにあのとき、わたしは長年にわたる夢への道をあっさりと断たれた。けれどいま思えば、二十一歳が抱く「夢」なんてたかが知れているし、若くして自分がやるべきことをわかっている人生なんて、できすぎていておもしろくない。つまるところ、いまのわたしには就活をしていた頃を振り返っても、思うことがなにひとつないのだ。それでもわたしに文章を書くきっかけを与えてくれた日々のことが、いつまでも「苦しい記憶」であってほしいと願っていた。

    いまでもスーツはきらいだ。一着も持っていない。夢破れてからのわたしはといえば、新卒採用で唯一ひろってもらった会社を約一年半で辞め、何度か転職を繰り返し、いまはスーツを着なくてもいい会社で、パンプスを履かなくてもいい仕事をしている。あの頃の自分には想像もできないような場所だろうけれど、なんだかしっくりきているし、やるべきことをやっている気がするから心地がいい。
    なににも「変身」できず、つまらないままのわたしのことをおもしろがってくれるひとがそばにいて、器用に生きられない恥ずかしさを抱えながら、それを魔法に変えられる瞬間がある。あの頃わたしが本当に手に入れたかったのはあこがれの夢を叶えることではなく、じつはこういう日々だったのではないかといまでは思う。しかしそれを言い表わせることばを、当時はまだ持っていなかった。

    かならずしもすべての過去を背負って生きる必要はない。「クソどうでもいい」記憶なんて、はやく手放すべきだ。それを無理やり自分のアイデンティティにしようとしなくても大丈夫な自分になりたいし、もうなれるような気がした。だからわたしはようやく、スーツを着ながら死にたかったあの頃の自分を手放そうと決めた。それを抱えていなくたって、わたしはわたしを書いていけると思ったのだ。
    たぶんわたしはこれからも、かつての「苦しい記憶」を手放すことを躊躇してしまうだろう。苦しみやかなしみは自分を型どり、説明しやすくしてくれるけれど、いつまでも同じものを持ったままではいられない。負の感情に甘えたくない。自分から苦しみやかなしみを差し引いてもなお、たしかなわたしであると、胸を張って言いたい。



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