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♯62セカンドシーズンー好きな人を、真っ直ぐに。ー

    第62話 星空の約束



    怒涛の連続だった一学期が、ようやく終わりへ向かっていた。
    放課後の図書室は、いつもより少しだけ空気が軽い。

    窓の外、夏の光は斜めに傾きはじめていて、机の端に静かに金色の帯を落としている。

    ──その静けさを、陽向の声が真っ直ぐに破った。

    「はぁ〜?夏休みにニューヨーク〜??」

    怒り、というより、驚きと不満と…“寂しい”が混ざった声。
    隣の席で英文エッセイのプリントを揃えていた俊輔が、びくりと肩を跳ねさせた。

    「お盆期間とその前後だけだよ…夏休み中も前期と後期に役員会議あるし…夏期講習もあるから!」

    必死に“合理的な説明”を並べる。
    その語尾が少しだけ早いのは、陽向が怒るのを予測していたからだ。

    陽向は目を細め、わざとあからさまに肩を落とした。

    「…酷いよ……ニューヨークなんてこれから先の人生いくらでも一生過ごせるくせに…私とは残り7ヶ月くらいしか過ごせないっていうのに……私は夏休み中も俊ちゃんとずーーーーーっと一緒にいたかったのに………」

    言いながら、自分でも我儘だと分かっている。
    でも止まらない。
    “時間”が減っていく怖さは、理屈で飲み込めない。

    俊輔は、ほんの一瞬だけ視線を落とす。
    窓の外の光が揺れて、瞳のレンズ越しの目が少し湿って見えた。

    「そんな事言わないでよ……僕だって出来る事なら陽向と毎日ずっと一緒にいたいよ……だけど一応受験生だし…夏はエッセイ推敲の仕上げもあって大切な大詰めなんだよ……」

    “受験”という言葉が出るたび、陽向の胸の奥がざらりとする。
    それは責めたい気持ちじゃない。
    ただ、そこに“自分が入れない世界”があることが悔しい。

    「…………。」

    プイッ!

    陽向はぷっと頬を膨らませ、わざと視線を窓の外へ投げた。
    拗ねた子どもみたいに。
    その表情は、どこか必死だ。

    俊輔は、言葉を探すように間を置いてから、少し明るい声を作る。

    「その代わり、夏休みの前半と後半、日本に居る期間は毎日陽向に会いにくるよ!」

    「当たり前だっ!!!」

    即答。
    噛みつくみたいな返事に、俊輔は汗を滲ませ苦笑する。

    「あ……でも前半ちょっと…父がニューヨークからちょこっと帰国するから…家族と親戚と1泊だけ伊豆のペンションに…」

    「はぁ〜〜〜?」

    陽向の眉が跳ね上がる。

    「あと1日だけ…クラスの子達とバーベキューが…」

    ガタンッ。

    椅子が勢いよく鳴った。
    静かな図書室の中で、その音だけが異様に大きい。

    陽向は立ち上がり、拳を握りしめた。
    こめかみに怒りのマークが見えるような顔。

    「…受験生のくせに……良いご身分だな…?…この野郎…っ」

    拳が、ぶるぶる震えている。
    怒っているのに、泣きそうでもある。

    俊輔は慌てて両手を上げる。

    「わーっ!怒らないで陽向ーっ!」

    「私だって!!オーキャンもプールもバーベキューも、色々予定あんだよーーーーっ!!」

    怒号が響いた瞬間、覇気の風圧が空気を揺らした。
    俊輔は反射的に声のトーンを落とす。

    「……陽向も色々あるん……だったら……双方間の課題じゃん…ね?」

    出た。
    この癖。
    顔は子犬になりながら、理屈で落とすこの男。

    陽向の弱点であるはずの子犬のような瞳が炸裂するも、陽向の表情が冷たい。

    「いや!!俊ちゃんの方が圧倒的に忙しい!!8月ニューヨークで半月以上会えないのにお互いのスケジュール空いてる日だけでしか会えなかったらどんたけちょっとしか会えないんだーーー!!!!」

    言葉の端に、震えが混ざる。
    怒りの形をしてるけど、その正体は寂しさ。

    俊輔は、反論しない。
    しない代わりに、飲み込むように息を吸って、ぽつりと譲歩する。

    「………じゃあ…エッセイ推敲はなるべく図書室に来てやるよ…」

    「……………。」

    (わかってないなぁ…そーゆう事じゃないんだよなぁ。俊ちゃんは、どれだけこの一生に一度しかない二人の夏がいかに貴重で大切なのかが、全然わかってないんだろうな……)

    陽向はストンと椅子に落ちる。
    体重が抜けたみたいに軽い音で。

    「…もう……いいよ………」

    俊輔の胸の奥が、ちくりと痛む。
    彼女はまだ、受験の重さを知らない。

    (陽向には、まだわからないんだろうなぁ。でも、僕も高2の頃の夏なんて何も考えてなかったから無理もないけど…この夏が進学を左右する人生の分かれ道だなんてわかってないんだろうな…)

    知らないでいられる年齢でいてほしい気持ちもある。
    でも同時に、わかってほしいとも思ってしまう。

    険悪な二人。
    好き同士なのに、いつもくだらないことでつい喧嘩してしまう。

    好きだから。
    もっと一緒にいたいから。
    自分の気持ちをわかって欲しいから。

    俊輔は、陽向の横顔を見る。
    そっぽを向いているのに、まつ毛の端がわずかに濡れている気がした。

    「…陽向……?」

    「………。」

    陽向はそっぽを向いたまま、返事をしない。
    かなり怒ってる。

    「陽向…こっち向いて…?」

    陽向の手を握ろうと伸ばした俊輔の手は、バッと勢いよく振り払われた。

    俊輔は、少し声を弱くする。

    「陽向は…なんでいつもすぐ怒るの?」

    陽向は、窓の外を見たまま吐き捨てる。

    「……俊ちゃんは…なんでいつも平気な顔してるの?」

    胸の奥の、柔らかいところだけを狙ってくる言葉。
    俊輔の表情からは、穏やかさが消えていく。

    「陽向の前でだけは…これでもだいぶ平気な素ぶりはしてない方だけどな……」

    陽向はこちらを向かない。

    「してるよ…会えなくても平気だし、一緒に居れなくても平気だし、寂しいとか大好きとか…口だけじゃん。」

    俊輔の喉が詰まる。

    「そんなこと…」

    「そんなことあるよ。会長の仕事だ受験だっていつも忙しくしててばっかりで。」

    陽向は遮る。
    次第に声が震え、怒りの膜が剥がれていく。

    「そんなんじゃ、あっという間に3月が来ちゃうの!それでもきっと俊ちゃんは平気なんだよ。卒業が来て私と別れる時だって、きっと俊ちゃんは──」

    その瞬間。

    ふわ…

    背後から、温かな腕が回った。
    急に視界が揺れて、呼吸が一拍遅れる。
    俊輔の体温が、陽向の背中を丸ごと包む。



    「…僕が……本気で平気だと思ってる……?」



    耳元に落ちた声は、泣きそうだった。
    怒りが一瞬で溶けて、心臓が跳ね上がる。

    ずるい。
    俊ちゃんは本当に、ずる過ぎる。

    こんな声を出されたら、反撃なんてできない。

    「いつも…寂しくさせてごめんね…」

    ぎゅっ、と背中を抱きしめる腕が強くなる。
    そのまま、陽向の髪に頬を擦り寄せる。



    「陽向をいつも想ってる。会長でいても、受験生でいても。忙しい時でも、必ず陽向は僕の頭と心にずっといる。」



    最低だ。
    そんなこと言われたら、もう怒れない。


    また……私の負けだ。


    陽向は勢いよく振り返り、正面から俊輔の胸に顔を埋めて抱きしめ返した。

    ぎゅうぅぅぅっ。

    「私だってそうだよ…俊ちゃんと喧嘩なんてしたくない」

    「ごめんね…陽向。」

    抱きしめ合う腕に、言葉じゃないものが重なっていく。
    離れたら、また不安が戻ってしまいそうで。
    お互いの温度だけを確かめるように、しばらくそのまま動けなかった。

    やがて俊輔が、抱きしめたまま、静かに言った。

    「………8月、ニューヨークから帰国したら……二人で伊豆のペンションに行こうか……」

    「……え…?」

    陽向が顔を上げる。
    目が丸くなる。

    俊輔は照れたみたいに視線を逸らしながら、でも確かに続ける。

    「ウチの別荘だから。母に使わせて貰いたいって言っておくよ。陽向の家が大丈夫なら、二人で一泊しに行こう?」

    「え…あ……いいの?」

    「全然いいよ。伊豆高原の山奥だから、周り何もないけど静かなんだ。バルコニーから海が見えるし、夜はそこから見える星空がすっごく綺麗なんだ。」

    言葉の端に、少しだけ嬉しさが混じる。

    「へぇ…素敵……」

    「陽向にも、あの星空を見せてあげたいな…だから陽向と一緒に行きたい。」

    その言葉が、陽向の胸の奥を一気にあたためる。
    時間が怖かった。
    離れるのが怖かった。
    でも──ちゃんと“約束”があるなら、耐えられる。

    「行く!!行く行く!!絶対行く!!」

    陽向の声が弾けた。
    そのまま俊輔に、勢いよく抱きつく。

    図書室の静けさの中で。
    二人の温度だけが、少しだけ夏を先取りしていた。




    世間は、完全に夏休みに突入していた。

    7月下旬の太陽は本格的に、容赦なく肌を焼く。
    空は抜けるように青く、雲は白く膨らみ、アスファルトはじわじわと焼ける匂いを放っている。

    大規模プールは、まるで別世界だった。

    スピーカーから流れる軽快な音楽。
    水面を跳ねる水しぶき。
    浮き輪のビニールがきしむ音。
    焼けた肌に塩素の匂いがまとわりつく。

    その中で、陽向はクラスの女子数人とひと通り遊んだ後に、テントの下に避難していた。

    濡れた髪が首筋に張りつき、ラッシュガードの内側で体温がじっとりとこもる。

    煌めく水面は眩しすぎて、目を細めないと直視できない。

    その中で。

    「はぁ〜……まじで詰んでるわ。」

    陽向の溜め息は重い。

    楽しいはずの夏休みなのに、胸の奥に鉛のようなものが沈んでいる。

    友達が笑う。

    「それなー。生徒会長と伊豆のペンションお泊まりデートなんて、前世でどんな徳積んだら出来る案件だよ」

    「普通に羨ましい」

    「陽向が行かないなら私が行くわ」

    「やめろ!!」

    反射でツッコミを入れる。
    でも声に、いつもの勢いがない。

    “行けない可能性が高い”とわかっているから。



    俊輔と付き合ってすぐ、陽向は彼氏が出来た事を母親に報告した。
    隠すという選択肢は、そもそもなかった。
    隠し事をすると、顔に出る、態度に出る、声に出る。

    その結果、提示された条件は、想像以上に具体的だった。

    ・親がいない時に家に連れてくるの禁止
    ・家に来たらリビングのみ、自室は立ち入り禁止
    ・相手の家に行くの禁止
    ・カラオケや漫画喫茶など密室禁止
    ・夜の公園など人気のない場所で会うの禁止

    紙に書かれたわけでもないのに、妙に条文化された空気だった。

    その時点で、嫌な予感はしていた。
    それでも、陽向はダメ元で聞いてみたのだ。

    「ママー夏休みさぁ、彼氏と一泊で旅行とか……行きたいなー…行っちゃだめかなぁ〜…?」

    返事は、間髪入れなかった。

    「は?なに言ってんの?駄目に決まってんじゃん。高校生のくせにバカなの?」

    包丁でスパッと切られるみたいな即答。

    (ですよねーーーーーーーーー)

    心の中で、全力の土下座。
    でも、どうしても引き下がれなかった。

    「なんでだめなの!!そもそも二人きりになっちゃ駄目とか、今時高校生のカップルでそんな厳しい条件で交際してるやつなんていないよっ!!」

    必死だった。
    言いながら、自分でも無理だとわかっていた。

    母親は眉ひとつ動かさない。

    「あんたはみんなとは違う。流されやすいし、すぐパニックになるし、空気も読めないし、警戒心も薄いし、自己判断が鈍い。自分の身を自分で守れないでしょ?」

    淡々とした分析。
    刺さる言葉。

    「妊娠でもしたらどうすんの。」

    世界が、一瞬止まった。

    「○×△♯◻︎⭐︎……っっっ!!??」

    言葉にならない。
    怒りより先に、混乱が来た。

    “妊娠”

    その単語は、陽向の頭の中ではまだ遠い異世界ホラーの世界線だった。
    手を繋ぐだけでドキドキして、ぎゅっと抱きしめるだけで限界。
    事故では無く、ちゃんとしたキスだって正直のところ未知の世界。

    頭の中に、急に“責任”という重たい影が落ちる。
    母の言葉は怖い。

    それでも。

    それでも。

    あの星空の約束を、なかったことには出来ない。





    「はぁ〜…人生で初めてママに殺意芽生えたわ……」

    プールのテントの中で、陽向は体育座りになり、膝に額を押し付ける。
    太腿に触れる水着の冷たさが、やけに現実的だ。

    「日にち決まってるの?」

    咲が、タオルで髪を拭きながら聞く。

    「まーざっくり。候補日は。」

    星空。
    バルコニー。
    海の気配。
    俊輔の声。

    想像するだけで胸があたたかくなるのに、同時に締め付けられる。
    そのとき、咲がさらっと言った。

    「そんなのさ、ウチに泊まりにくる体にしちゃえばいいじゃん。」

    一瞬、時間が止まる。

    「えーっっっ!!!」

    顔を上げる。
    太陽が眩しくて目が細くなる。

    「今まで何回も泊まり来てんだから。なんなら去年の夏休みも泊まったじゃん?」

    それは確かに事実。

    咲の家に泊まるのは日常だった。
    母親も疑わない。

    でも。
    それは嘘だ。
    親に、嘘。

    陽向は、嘘がつけないタイプだ。
    嘘をつくと、声が変わるし目が泳ぐし挙動が怪しくなる。

    それでも。
    それでも、行きたい。
    一生に一度の、二人の夏だから。

    “残り7ヶ月”の中の、たった一泊。

    「……大丈夫かな……バレないかな………」

    小さな声で漏らす。
    咲はストローをチューッと吸い、氷をカランと鳴らす。

    「別に平気っしょそんなの。」

    軽い。

    「私だったらその体で行くな。」

    「行かないとか選択肢ないね。」

    周りも軽い。
    陽向の心臓だけが、やけに重い。
    嘘をつく罪悪感と、行きたい衝動がせめぎ合う。

    咲が、いたずらっぽく笑う。

    「直近で聞いたら怪しいから、割とギリくらいに“来週泊まり行くわ〜”くらいのノリでサラッと言って、サラッと行っちゃえばいいんだよ!」

    “サラッと”
    そんな高度な演技、できる気がしない。

    「そんな簡単に言うなー!!」

    叫びながら、胸の奥で、もう決まりかけている自分がいる。

    怖い。
    でも、行きたい。

    しかし、もう一つの不安が浮かぶ。

    「そもそもそのんなの…俊ちゃんが許さない気がする……」

    俊輔の顔が思い浮かぶ。
    正しいことを、正しい順番で選ぶ人。

    「あーね?生徒会長真面目だもんなー」

    「でも生徒会長だって行きたいんだろうから、ワンチャン乗ってくれるくね?」

    「でも駄目だったら終わるくね?」

    陽向の心拍数が上がる。
    もし。
    親への嘘を提案して、俊輔に拒否されたら。

    それは、この星空の約束が果たされない事を意味する。

    「なんでわざわざ藤崎先輩に言う必要あんの?普通にオッケーだったよって言っとけば。」

    咲は、さらっと言う。

    「俊ちゃんにまで嘘つけるかーーー!!」

    反射で叫ぶ。

    母に嘘をつくのと、俊輔に嘘をつくのは、重さが違う。
    胸の奥で、なにかが静かに揺れる。

    咲は悪女だ。

    でも。
    陽向が一番よく分かっている。
    悪い方向へ誘惑しているのは、咲じゃない。

    “どうしても行きたい自分”だ。

    水面の反射がテントの天井に揺れて、揺れて。

    その揺れは、陽向の心みたいだった。
    光っているのに、不安定で、形が定まらない。

    この夏は、楽しいだけじゃ終わらない気がしていた。

     
     
    会社員しながら子供5人の子育てに奮闘し、小説の執筆活動しています! 毎日のメイン執筆活動タイムは、話し長い部長の朝礼中と、会社のつまんない研修中です♡ 連載中「セカンドシーズンー好きな人を、真っ直ぐに。ー」 完結まで毎日更新します!

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