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♯22 セカンドシーズンー好きな人を、真っ直ぐに。ー

    第22話 ずっと、二次元の世界で


    翌日。

    部活の帰り道、朔也は自宅前で自転車を止めた。
    ハンドルに手を置いたまま、息だけが熱い。
    夕方の空気はまだ夏を引きずり、アスファルトからじわじわと熱が立ち上っている。

    汗の塩気が、首筋をくすぐる。

    それでも、今日いちばん気になるのは、そんなことじゃない。

    朔也は無意識に、隣家の駐輪場へ視線を投げた。
    そこに見慣れた自転車がある。
    それだけで胸の奥が、妙にざわつく。

    (ひな…もう居るな)

    今日もそうだった。
    スッピンで、髪も巻かず、どこか“外側”を閉じたまま。

    「別に。」
    「だるい。」
    「関係ない。」

    短い言葉で世界を切るようになった、あの感じ。
    それが何となく気になってしまって仕方ない。

    朔也は自分の気持ちを“心配だ”と名付けてみる。
    でも、その名前だけでは収まらない熱が、喉の奥に引っかかっているのも分かっていた。

    自分でも説明ができないまま足は無意識に、避けられない方へ向かっていた。

    ピンポーン──

    インターホンの音が、夕方の住宅街に軽く響く。

    《朔ーおかえりー》

    すぐに、マイク越しに陽向の母親、早苗の声が返ってきた。

    ガチャ、と扉が開く。
    玄関の空気はひんやりしていて、外の熱を一瞬だけ忘れさせた。

    「ひな居る?」

    「あー上に居るんじゃないかなー」

    早苗は当たり前のように、朔也の存在を家の中へ溶かす。
    子どもの頃からずっとそうだった。
    隣の家の息子は“うちの息子みたいなもん”で、ひなは“朔也の妹みたいなもん”。

    「お邪魔しまーす」

    朔也は部活の荷物を肩に食い込ませたまま、階段を上った。
    特に用事があるわけではない。
    なんとなく、ここ最近の陽向の様子が気がかりだった。

    バンッ

    いつものように無遠慮に、ノックも声掛けせずに女子の部屋を図々しく開け放つ。

    「………。」

    陽向はチラッと視線を入口へ向けるも、すぐに無視して手元の漫画に視線を戻す。
    夕方から、だらしなく部屋着でベッドでゴロゴロしている。

    脱いだ制服はそのまま床に放置されてしわくちゃになっている。
    相変わらずお菓子やジュースのゴミは放置で、趣味の物が散乱している。

    陽向が望む世界だけが、部屋を占領している感じだった。

    「お前、今日も図書室行ってねーだろ」

    枕元に積まれた漫画の巻数と、陽向が今手にして読んでる最中の漫画の巻数が、すでに帰宅して長いことを語っている。

    「うん」

    あっさり、当然のように答える。
    視線は漫画に置いたまま。
    その返事が、朔也の胸の奥を軽く刺す。

    「…………。」

    朔也は背負ったリュックから、竹刀を抜き取る。

    握った瞬間、いつもの“部活の自分”に戻れる気がした。
    身体の方が、先に言い訳を欲しがった。

    バシィッ!

    床のラグに、思いきり竹刀を打ち込んだ。

    「もー!なにっ!?」

    陽向の声が、ようやく漫画から顔を引き剥がして飛んできた。

    「なにじゃねーよ!ダラダラしてねーでこの部屋どーにかしろ!!ゴミ捨てろって言っただろ!!」

    それは、部屋のことじゃない。
    朔也自身が一番わかっている。
    言い方を変えただけの呼び戻しだ。

    「別に私の部屋なんだから、散らかってようがなんだろうが朔也に関係ないでしょ!!」

    またそれだ。

    関係ない。
    関係ない。

    胸の奥が、ざらりと擦れた。
    痛いのに、怒りが先に出る。

    朔也は説明のつかない苛立ちに駆り立てられるように、陽向の地雷に触れた。

    「…藤崎先輩と……何かあっただろ」

    「は?ないよ。あるわけないじゃん」

    ケロッと即答する陽向。
    まるで何てことも無いように。

    「じゃーなんで図書室行かねーんだよ。化粧も髪の毛も、なんもしねーで平気で学校行きやがって。せっかくリアコになったって夏休み前に大喜びしてたのはどーしたんだよ!そんなブスでだらしねーんじゃ藤崎先輩に──」

    「どーでもいいんだよっ!リアコとか!!」

    捲し立てるような朔也の剣幕を、陽向の叫びが叩き切った。
    ベッドから勢いよく起き上がる。
    毛布がずるりと落ちて、床に影が伸びる。

    「…は?どゆこと?」

    陽向は、息を荒くしている。
    怒っている、というより追い詰められている顔だった。

    「…っ私には…リアコなんて無理!ずっと推しのまんまがいいの!恋とか、彼氏彼女とか、そんなふうになりたくない!!何ならむしろ、私はずっと二次元の世界で生きていきたいの!!」

    その言葉は、朔也の胸の奥へまっすぐ刺さった。

    二次元。
    逃げ場所。
    現実を拒む言葉。

    「な、なんでいきなりそーなっちゃうんだよ!極端過ぎんだろ!お前、絶対何かあっただろ!!」

    朔也の声は、怒りの形をしていた。
    でもその中身は、焦りだった。

    「………別に…何も。」

    「言えよ」

    「…………。」

    沈黙。
    陽向の視線が、床の一点に落ちる。
    爪先が、小さく揺れた。

    言いたくない。
    朔也の目に映るのは陽向のそんな揺れ。

    そして、陽向は小さく息を吐いて──
    やっと、ほんの少しだけ本音の扉を開けた。

    「………私は………恋をしたところで、朔也と朱里ちゃんみたいにはなれない。」

    「……は…?俺?」

    朔也の眉が跳ねる。
    陽向は言葉を噛みしめるように、続けた。

    「怖いの!恋して…彼氏彼女になっても……あんな事出来ない!私にはハードルが高すぎるんだよっ!!」



    恋の入り口に立ったら、その終着地点があまりにも怖すぎる。



    「…………っっっっ!!!???」



    脳が遅れて、答えに辿り着く。
    朔也の全身に、サァァァァ──ッと冷たい感覚が走った。



    あれかーーーーーーー!!!!!



    確かにあの日、部屋を開けられた。
    バッチリこいつと目があった。

    だけど、そんなまさか。

    それくらいの事でこいつにこんなに大ダメージを与えるとは微塵も想像してなかった。

    でもよくよく考えたらこいつは確かにそうだ。
    ずっと虐められ続けて来た。
    男子は恐怖の対象でしかなかった。
    こいつに父親は居ない。
    人生でまともに関わりを持った異性は、世界で唯一俺だけだった。


    そんな俺が…

    あんな見苦しいザマを、ひなに晒した。


    二次元の世界でしか生きて来なかったひなにとってはそっち系の世界なんて、まさに未知との遭遇。

    むしろ異世界ホラーそのものじゃないか。

    くっそー!!
    俺とした事が、詰めが甘かった!!
    まさかこんなところに、こいつの地雷があったとは!!

    一番深くて、一番触っちゃいけない場所に、こんな落とし穴があったなんて。

    理解した瞬間、怒りがドンッと湧き上がった。
    失態を犯した自分自身に対しても、陽向が自分を責めていることに対しても。

    つーか、自分で部屋に入ってきて、一方的に傷ついてんじゃねーよ!

    次の瞬間、朔也の感情は制御を失っていた。


    ガンッッッッ!!!


    陽向の顔の真横の壁に、勢いよく竹刀を突き立て、詰め寄った。




    「お前ふざけんなよ。勝手に開けて勝手に見て、勝手にふてくされてんじゃねぇよ。」




    陽向の瞳が、揺れる。
    怖がっている目。
    それを見て、朔也の胸がぎゅっと痛んだ。

    「ふ…ふてくされてなんかないよ!」

    陽向の声が、震える。

    「もうメイクとかお洒落とか…だるいんだよっ!」

    それは、反論じゃない。
    防御だった。

    “女子”として見られない自分。
    “彼女にしたい”と思われない自分。
    “私、何も失ってません”
    “自分で選んでこうしてます”

    そう言わないと、今にも崩れ落ちそうな声。

    陽向は、詰め寄る朔也の身体をグイッと押しのけた。
    朔也は反射的に言い返す。

    「そんなの許さねーかんな!このまま垢入りしたらただじゃおかねーぞ!」

    その言葉が、完全に逆効果だった。

    「うざいんだよっ!!もうお節介やめてよ!!」

    陽向の声が裏返る。
    涙は出ていない。
    でも、もう限界だった。

    「出てってよ…っ!!……っ出ーてーけーー……!」

    陽向はそのまま、朔也をグイグイ押した。
    小さな身体で、全力で。
    自分の世界を、必死で守るみたいに。

    朔也は、抵抗しなかった。
    一歩、また一歩。
    廊下へ追い出される。

    バンッ。

    扉が、閉まる。
    音がやけに重く、はっきり響いた。
    廊下に残された朔也は、手にした竹刀を握ったまま扉をしばらく見つめていた。

    (…俺……)

    何を言いたかったんだ。
    何を守りたかったんだ。
    胸の奥に残ったのは、怒りでも勝ち誇りでもなく。

    取り返しのつかない失敗をした感覚だけだった。



    一方、扉の向こう。
    陽向は再びベッドへ勢いよく身を投げた。

    呼吸が、上手くできない。
    怖かった。
    怒鳴られたからじゃない。

    痛い程わかる。

    朔也が、自分を“変えよう”としていること。
    殻に閉じ籠る癖から守ろうとしていること。
    そしてそれが、今の自分には、あまりにも重いこと。

    朔也は何も悪くない。

    (……無理なんだよ……)

    恋は、優しいだけじゃない。

    触れる。
    近づく。
    踏み込む。

    その全部が、今の自分には、恐怖でしかない。
    だから押し出すしかなかった。
    扉の向こうの気配が完全に消えるまで、陽向はベッドから起き上がる事は出来なかった。


    ────────。


    翌日。
    午後の授業を終え、少し気の抜けた空気のまま迎えたLHRの時間。

    机を寄せるでもなく、各自が前を向いたまま教室にはどこかざわついた気配が残っている。
    文化祭が近づくと、空気の色が変わる。
    授業よりも、テストよりも、はっきりとした”イベント”が目前にあるというだけで、教室全体が落ち着きを失い始める。

    担任が、いつもより少しだけ声を張った。

    「はい、じゃあホームルーム始めます。今日は文化祭準備についての話です」

    その一言で、教室のざわめきがわずかに静まる。

    「一学期の終わりに決めた、うちのクラスの出し物“お化け屋敷”について」

    前方の黒板に書かれた文字を、担任が軽く指し示す。

    「今日は詳細を再確認して、必要な備品のリストを作ります。このリストは生徒会に提出します。締切は──」

    一拍。


    「明日の放課後、生徒会役員会議まで」


    その言葉に、朔也はピクリと反応した。

    生徒会。
    役員会議。

    明日、確実にひなが藤崎先輩と関わる。

    「だから、遅くとも明日の午前中までには、生徒会に提出します」

    担任はそう言って、軽く手を叩いた。

    「時間も限られてるから、今日はこのあと班ごとに話し合ってもらいます。必要な物を出来るだけ具体的に書き出してください」

    教室の空気が、一気に実務モードへ切り替わる。

    椅子を引く音。
    机を動かす音。
    誰が何を担当するか、自然と交わされ始める会話。

    そんな中、朔也は文化祭の話し合いなど全く頭に入って来なかった。

    文化祭準備。
    それは、生徒会役員にとって仕事の主戦場となる。
    長い時間を共有し、頻繁に顔を合わせ、自然と距離が縮まる場所。

    役員同士の関係性が、否応なく深まる一大イベント。

    朔也の頭に、再び電球がピコン!と点灯した。

    (…こ……これだ〜〜〜〜〜〜!!!!)

    このままひなを垢入りさせたまんまで終われるか。
    俺のせいで。
    俺がやらかしたせいで。

    せっかく一度切り開いたあいつの世界を、再び閉ざしていいわけがない。

    藤崎先輩。

    ひなを三次元の世界へ引きずり出した。
    あいつの神様。

    悔しいけど、あいつの腐った脳ミソをぶん殴れるのは藤崎先輩のキラキラオーラしか他にない!!

    (………くそ。)

    そう閃いた後で、朔也は自分でもわからない悔しさに苛まれる。

    本当は自分でどうにかしたかった。
    自分が原因で植え付けた恐怖だから。
    自分で責任を取るべきなのに。

    そして昨日の出来事を思い出す。

    怯えた目。
    突き放す声。
    扉が閉まった音。

    俺が何とかしようとすればするほど、あいつは意地になる。

    くそ。
    くそくそくそ。

    不本意だが……藤崎先輩を利用するしかない!!

    文化祭準備という名目で。
    逃げ場のない距離で。
    藤崎先輩に、強制的に近づかせる。

    そして、リアコ魂をもう一度呼び戻す!!

    歪んでようが、最低だろうが。


    あいつが…………閉じ籠るよりマシだ………。


    「おい、黒川!聞いてんのかよ」

    隣からクラスメイトの声が飛んできた。

    「ん?あぁ、聞いてるよ」

    「他に何かある?必要なもの」

    現実に引き戻される。
    机の上には、殴り書きのメモと、班の備品リスト。

    「んー無いんじゃね?」

    朔也は、適当に答えた。

    「お前…全く興味なさそーだなー…」

    教室のざわめきの中で。
    朔也の胸の奥では、誰にも気づかれないままひとつの計画が、静かに、そして危うく、動き出していた。



     
     
    会社員しながら子供5人の子育てに奮闘し、小説の執筆活動しています! 毎日のメイン執筆活動タイムは、話し長い部長の朝礼中と、会社のつまんない研修中です♡ 連載中「セカンドシーズンー好きな人を、真っ直ぐに。ー」 完結まで毎日更新します!

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