常民レポート ー何者でもないものたちの足跡ー
魔鈴(1)
う~ん。と口走ったのかどうか自分では気づかないほど、没頭していたのだろうか。どうにもこの民俗学というのは手応えがよく分からない。集中すればするほどそう思えるのは、気のせいだろうか。
わたしの通う大学では、一年生から専門科目を学ぶことができる。
興味もあることだし、どうせならと民俗学概論を選択してその最初の課題に鈴を選び、山國(やまくに)教授に許可をもらいに行ったところ、意外な提案をされた。
「逆さ鈴、ですか?」
いつもと同じクールな表情でうなずいた教授は、長いまつ毛の瞳で真っすぐわたしを見た。なんとなく、自分のほほのあたりの温度が上がる。
「うん。どうせなら変わり種を扱うほうが面白いかなと思ってね」
そうだろうか。初めての民俗学、初めての課題、当然フィールドワークも入っている。少しハードルを上げられて、面白がれる余裕がその分減った。
とは言え、教授の方から提案されたのは期待の裏返しかも知れないので、悪い気はしない。私は二つ返事でそれを受けた。そこまでは良かったのだが……
そして現在。改築されたばかりの白を基調とした大学図書館の閲覧デスクに、置けるだけ資料本を置いて、その中に埋もれるようにしてそれらに目を通している。
しかし、わたし塔乃語(とうのかたり)は、課題のつかみどころのなさに頭を抱えていた。どれだけ調べても、逆さ鈴に関する情報に行き当たらないのだ。
教授にからかわれたのだろうか。いや、それはない。意味がないし、彼のキャラクターじゃない。ということは存在するのだ。
にもかかわらず、何らかの理由でそれにたどり着けない。
教授にヒントを求めることも考えたが、それはやめた。困難に出会うたびに泣きついていたら課題の意味がない。答えの決まっている受験勉強ではないのだ。それを探すのが学問なのだと思う。多分そういうことも織り込み済みなのだろう。
それにしてもなんということだ、神羅川(からかわ)大学に苦労の末一浪して入り、やっと民俗学を学ぶことができると喜んでいたのに。
教授の端正な顔が思い浮かぶ。決してオープンキャンパスで見かけた容姿が三〇代前半で、見目麗しいイケメンなこととは関係ない。
民俗学に出会ったのは高校を卒業した後だった。
受験日に熱を出したり、交通渋滞で遅刻したりと散々な現役受験を終えたわたしは、予備校の入校手続きをふらふらと終えて、その足で野毛の市立図書館に迷い込んだ。そして受験失敗という現実を受け入れられずに図書館内を彷徨(さまよ)っていると、背の高い凛々しさを漂わせた美少女に声をかけられた。
彼女は、わたしがなんとなく手にしていた本を指すと、閲覧を譲ってほしいと頼んできた。
素直に譲ると彼女は礼を言い、ロングヘアーを乱しもせずに、すぐさま近くの閲覧デスクでそれを読み始めた。
没頭する彼女をしばらく眺めていて、そんなに面白いものなのだろうかと譲ったものの隣にあった本を読んだのが民俗学との出会いだった。
民俗学とは不思議なものだ。身の回りの何でもが研究の題材になるし、答えもあったりなかったりする。
時には霞を手でつかまえるような気分になることもあり、にもかかわらず引き寄せられる魅力がある。
そこに何者でもない者たちの遺した大切な何かがあるような気がして、私は民俗学を専攻することにした。
「見てて飽きないね、君の百面相は」
デスクの向かいで市立図書館にいたそいつ、今年から予期せぬ相棒となった支道律(しどうりつ)がなんかほざいてるな。
なんでペアなんかを組んでいるかというとフィールドワーク、要は現地調査をするにあたり、ペアないしグループを組むように指示されたからだ。
理由は防犯、危機回避、調査の効率といったところだろう。土地勘のない女が一人ふらふら現地をうろついていたら、危険なことこの上もない。
こいつはわたしとは対照的に、タブレット一個放り出してファッション誌を眺める片手間で調べている。
長身、美人、成績優秀、家は資産家とこれでもかと属性てんこ盛りなやつだ。傍から見れば嫌味以外の何物でもない。
バッサリ切ったショートヘアとびしっと決めたパンツスタイルが洗練されていて、腹立たしいほど似合っている。
本来わたしとこいつでは住む世界が違う。生まれたスタート地点が違うし、たぶん到達点も違うのだろう。そんな煌びやかな人種とかかわるのなんざ嫌なこった、面倒くさい。第一こいつは私のことなんか、これっぽっちも覚えてなんかいなかったのだから。わたしはしぐさや口調ですぐに思い出したのに。
しかし、関わることになってしまった。何を思ったのかこいつの方からペアの誘いをしてきやがった。
地元でもなく、入学したばかりで気の合う学部生のいなかったわたしは、渋々その申し出を受けた。他に当てがなかったからだ。
優雅なしぐさでタブレットの操作をしつつ、こちらを見てくる。
支道が言葉を発するたびに、他の学生がちらちらとこちらをうかがうのがわかる。
図書室にいようが広場にいようが、こいつが注目を集めてしまって気が落ち着かないこと甚(はなは)だしい。頼むから短身、凡庸、成績人並、一般家庭の私に必要以上に関わらないでくれ。
「君は自分を凡庸な学生と認識しているようだが、凡庸な学生はそこまで課題に没頭したりはしないよ」
以前そのことを口にしたとき、支道はそんなことを言った。
「人を観るのが得意な君でも、自分を観るのは苦手らしい」
喧嘩を売られたのだろうか、わたしは。
「違う違う」
そう言って支道は、指の長い手を振った。
「逆だよ。褒めているんだ、希少な資質を持っているって」
思い出して振り返ったものの、どういう意図で話していたのかよく分からなかった。何か釈然としない思いを抱えたまま、私は文献あさりを再開した。
「君はいつも忙しそうだね」
再び支道が口を開く。
そう私にはいつも時間がない。いや決してバイトまみれの苦学生で、時間をお金に換える必要に迫られているからというワケではなく、単純に要領が悪いのだ。なので準備にも作業にも時間が必要以上にかかってしまう。
「一面、羨ましくなるよ。それって寄り道が多いってことでもあるからね」
なんで、どことなく楽しそうなんだこいつは。
「寄り道なんてしなくていいなら、それに越したことなんてないわよ」
「そうかな、寄り道って楽しくない?」
それは寄り道だらけの私の人生に対する挑戦かね?
「あっちに寄り、こっちから引き返して、そっちに向かう。そこからでしか見えてこないものって、意外と手掛かりになるような気がするんだ、研究には」
天才の考えなんぞ、一般ピーポーの私にわかるものかい。
「そういうのは、持つ者の余裕があってこそ言えることよ」
「すまないね、持たなかったことがないものだから、そこらへん気が回らなくて」
ど突いたろかこ奴は。あ、こいつ何とかって武術を身に着けていて、めっちゃ強いんだったっけ。
神は与える者にはいくつも与え、与えない者には何にも与えない。どころか足を引っ張る。不公平この上もない。
神がこのありさまだから、下界のここはいつまでたっても天国にはならないんだろうな。
歴史に名前が残ったり本になったりするのは、いつも一握りの天才だ。
でも、彼らが残した発見も業績も、私たち普通の人々が広め伝えなければ現在まで残らない。
だからわたしは、その普通の人々の歴史や文化に惹かれてしまう。名もなき人々の足跡の先にこそ、未来の世界の姿があるような気がするからだ。
「ロマンチストだね、君は」
そんなことをぶつぶつつぶやいていると、三度話しかけられた。今日はやけに構ってくるじゃないか、わが相棒よ。何か研究に成果でも出たのかね?
「見つけたよ、小田原だ」
支道がタブレットを滑らせてきた。
なんでもない個人のブログに、それの手掛かりが載っていた。
魔鈴(2)
サイドカバーを外してバッテリーボックスからバッテリーを取りだし、チャージャーで十分に充電をすると電圧計で計る。電圧が元に戻ったのを確認して再び戻す。
ついでに古いプラグもプラグレンチで新品に交換して、オイルの残量もレベルゲージを引き抜いて確認する。OK
今目の前にあるのはYB125SPという、丸ライトに空冷単気筒エンジンというクラシカルな外見のバイク。ヤマハが中国の現地法人に作らせていた125ccだ。
原付二種というやつで、道路交通法上高速道路は走れない。大学生活をするのに足がないと不便になることは分かっていたので、維持費も安いしと田舎から持ってきたものだ。
それがわたしの安アパートの、ガレージ兼用の駐輪場に置いてあって、何百回と繰り返してきた定期整備のルーチンをやっていた。
祖父から譲り受けたそのバイクは、私が生まれた時からあった。彼にくっついていたら、なんとなしに整備やら修理やらなにやらできるようになっていた。田舎にゃ便利なバイク屋なんぞ、そうそうないからね。
そうこうするうちに、別のバイクの音が近づいてきた。インジェクションによる正確な排気音、最新型かな。
それがガレージの前で止まった。こいつだったか。お嬢様でもバイクに乗るんだねえ。
支道はわたしの年式の古いYBを見て、目を丸くした。
「バイクで上京してきたと聞いていたから、てっきり中型以上だと思っていたよ」
そう言って、支道はWR125Rという本家ヤマハ製のオフロードバイクから降り立った。長身で足の長いこいつには、大きい車体と相まってよく似合っている。
「まさか下道でやってきたとは思わなかったよ。狂気の沙汰だ」
田舎から下宿先まで400キロ近くを下道で、10時間かけてやってきた。バイクの輸送費と交通費の節約のためと言ったら、どん引きされた。
「君のバイクに対する献身は称賛に値するよ」
YBの横に置かれた、使い込まれた工具類をしげしげと眺め、支道はそう評した。
この子が実家にやってきて二十数年、祖父から譲られて四年、長持ちするように整備や修理を欠かしたことはない。田舎では足がなくなるのは死活問題なのだよ。
それにしても、いちいち皮肉を混ぜないといられないのかね、君は。あ、お互い様か。
「天才ではないが、変態ではあるね」
誰が猥褻物陳列罪(わいせつぶつちんれつざい)だ。もちろんそんなことはやってはいないが。
「褒めているんだよ」
もっと誉め言葉を勉強しやがれ。
「それじゃあ、そろそろ行こう」
支道の言葉で、わたしは古いオリエントスターの腕時計を見た。九時を回っていた。
「本気出して走らないでよ、こっちは二〇年以上前の骨董品なんだから」
「わかっている」
言ったそばから支道は彼方に消えていった。
わたしはため息をつくと、十分暖気をしてからYBをスタートさせた。どうせ行先は同じなのだ、仲良しこよし雁首並べて走る必要もない。
春の風にあおられながら、まったり目的地に向かうのもいいかもしれない。先にたどり着いてイラつく支道の整った顔を想像して、心の中で舌を出してやった。
わたしが最初の課題に鈴を選んだのには理由がある。日本生まれの日本育ちである人にとって、鈴は慣れ親しんだアイテムだ。
有名無名を問わず神社に行けば必ずと言っていいほどあるし、小物や衣服のデザインになっていたり、部屋を探せば一個くらいは出てくるかもしれない。
が、なぜこんなにも身近にあるのか?
と考えたとき、急に不思議になった。そもそも、本当のところ何を目的として作られ続けてきたものなのだろうか。
一通り調べてみても、特別な理由は見当たらなかった。
神事や魔除けのために作られ、縄文時代には既に土鈴(どれい)として存在していた。それくらい。
当たり前にありすぎて、かえって謎が深まる。
小一時間ほど国道一号線を、少し速めの速度に乗せつつ進んだ。山王川を過ぎてすぐに右折してしばらく行くと、楡木(にれき)美術鋳物研究所についた。
先に着いていた支道はバイクに寄りかかって、暢気に缶コーヒーを飲んでいやがった。
「赤木神社ですか?」
人の好さそうな楡木所長直々に、ただの学生である私たちの応対をしていただいた。
もったいぶっても仕方ないので、単刀直入に裏鈴、あるいは逆さ鈴に関して聞いてみたが、めぼしい情報はなかった。
そこで、個人ブログで所長から聞いたという記事が書かれていることを尋ねてみた。
楡木所長は「ああ」と思い出したようにつぶやくと「都市伝説だと思うが」と前置きして、私たちの地元にある出自不明な神社の名前を口にした。
魔鈴(3)
絵にかいて額に入れてロビーに飾ったような灯台下暗し。とんぼ返りで私たちは地元に戻った。手掛かりは大学から三〇分圏内にあるらしい。
空をつかむこともフィールドワークにはよくあることなのか。とはいえ面白くないことには変わりがない。いろいろ取材しつつ、温泉につかりながら地酒でもとか、名所めぐりとか、もろもろが消えたこととは関係ないです、ええ。
赤木神社の近くには駐輪場がないので、ちょっと離れた駐輪場に停めて、徒歩で向かう。
「なんでわざわざ小田原くんだりまで行ったんだ」と私がブツクサ言っていたら「そうかな、私はいろいろなところに行けるから、結構楽しいよ」と支道は宣(のたま)った。
「ガス代が無駄になったんじゃい。庶民には厳しいのっ」
「でも講義時間中にツーリングできると思えば、安いものだろう?」
「……否定はしない」
山國教授は寛大で、講義時間にかぶったフィールドワークは出席扱いにしてくれる。
「神様仏様山國様」
パンパンッと柏手(かしわで)をたたいて山國教授を心の中で拝む。
「神社も見えないのに、もう参拝しているのかい?」
支道は妙なものでも現れたような顔してこっちを見ている。うるさい、神様と美形は敬わなければならんのじゃ。
神社は小ぶりだった。鳥居があって、すぐに本殿兼社務所がある。典型的な街中神社。
敷地に入ろうとしたら、人が放り出されるところだった。
ぎょっとして、すぐには体が動かなかった。が、よくよく見るとこの顔は知っている。山國ゼミの大学院生、確か早壬(はやみ)さんだったっけ。
「だ、大丈夫ですかっ」
「いやー、取り付く島もなかったね~」
慌てて駆け寄る私に、砂まみれになりながらも、暢気(のんき)そうに彼は答えた。身軽そうに立ち上がって、パパッと汚れを払う。
放り出した方はというと、さっさと社務所に帰ってしまった。
後ろ姿を見た感じ、小柄ではないけれど細身で力がありそうには思えなかった。あんなに勢いよく大の男を放り出したことに少し違和感を感じさせられた。
そして、こっちを全く見ずに背を向けた姿が、神社の景色と妙に同化したうに見えて、わたしはぞくりとした。
「すごかった、放り出されるっていうのをリアルで体験できてしまった、貴重かもしれない」
それにしても、こんな目にあったというのになんで楽しそうなんだこの人?
「んじゃ、再チャレンジっと」
「ストップストップストーップ!」
早壬さんは「?」という顔をしてこっちを見る。
「アホですかあなたは、それだけ拒否られたのなら、数撃ちゃ当たるが通用するわけないでしょう!」
「そうかなぁ」
と言った後、少し考えこんでから「うん」と独り納得してる。
「じゃあ、あとは君たちに任せる」
「何を!?」
彼は不思議そうに私たちを見ると、なんで今更そんなことを聞くのかという感じで言った。
「裏鈴探しに来たんでしょ?」
早壬さんはあっさりと、私たちの目的を言い当てた。
「人文学部歴史民俗学科の塔乃さんと支道さんだよね」
山國ゼミで一度だけ顔合わせしただけなのに。なんで私たちの課題内容を知っているんだ?
ちなみに私がなぜ覚えていたのかというと、早壬さんが、かわいい系の美形だったからだ。美形はIQを凌駕するのだよ、諸君。
「一期生はまだ顔と名前くらいしか覚えてはいないけど」
え、学生全員の顔と名前覚えているんかいこの人……
アホなのか天才なのか、よくわからんぞ!?
「少し会話を聞けば、課題や大体何を調べているのかくらいわかるよ。鈴について話してたでしょ」
何を言っているのか理解が追い付かない、たったそれだけの情報で分かるものなのだろうか。
相手をするのは凡人には無理だ。天才は天才を知るという格言を思い出した。そこで、助けを求めてもう一人の天才様の方を見る。
本殿を眺めて、そ知らぬふりしてやがった。
「ところで再突撃する前に聞きますが、なんでこんなことになったんですか?」
「実は、よくわからないんだよね」
腕を組んで首をかしげる早壬さん。
「僕の研究テーマは主に神社とかかわりが深いんだ。神宝や神具の成り立ちとか言い伝え、そういったものが関係してるんだけど」
そう言って本殿の方を見る。
「ちょっとした偶然で、出自不明のこの神社の御祭神に興味をもってね、宮司さんに取材をしていたんだけど、どうにもそっけなくてね」
何かただ本殿を見たわけではないような気がする。なんと言うか、もっと奥を見ている感じがした。気のせいかも知れないけど。
「そこで変わり種、逆さ鈴の名前を出したら、よくわからない財団の関係者と間違われてこのありさまさ。よっぽど仲が悪い団体と間違われたのかなあ」
そこも引っかかるけど、もっと重要なのはそこじゃない。宗教的な禁忌につながるっていうことなのかも……
「とりあえず、いろいろ聞きたいこともあるので、いったん撤退しましょう」
その提案に、早壬さんは素直に同意してくれた。
「そうだ、うまそうな定食屋が近くにあるんだ、そこで情報交換しよう」
トラブったのに、やっぱり何か楽しそうな早壬さん。
私と支道は、珍しく顔を見合わせた。
魔鈴(4)
支道とわたしはいつも使っている大学の個別学習室にいた。ここなら会話をしても周りに迷惑をかけることはない。防音もそこそこするし、スペースも十分ある。好き勝手話せるというわけだ。
前日の早壬さんからの情報を要約すると、赤木神社に祭られている御祭神は鈴で、それもかなり変わったもののようだ。ただし見てはいないとのこと。
ふつうに考えればその御祭神が逆さ鈴と考えるのが妥当だろう。で、疑問がいくつか出てくる。
なぜ隠す?
文献などには載ってはいない。あえて隠されたのならそれはなぜなのか?
一体何を意味しているのだろうか?
そこまで考えて、最初の動機に戻る。そもそも鈴って何だろうか?
魔除け厄除け神事に神具、御祭神。今では日本ならどこに行ってもあるなじみ深いアイテムだ。
そこまで考えを進めてはっと気が付いた。
「なじみ過ぎている……?」
そうなのだ、いくら歴史が古いといっても実用品でもないものが、こんなにも身近に溶け込めるものなのだろうか。
「そうなるように仕向けられた、とか」
支道が指摘する。
だれに?
ふつうに考えれば、太古の権力者。当時は宗教と政治は分かれていなかったから権力者兼宗教指導者、つまるところ朝廷。なら、ただの神具ではないはず。
もう一度客観的に鈴を考えてみる。
魔除け、神具、日本中に普及、文化・風土内に必ずある。
特徴としては澄んだ音色を出して、あたりの邪を祓い場を清める効果があるとされている。
私は再び気づいた。文化・風土を作り出す一翼を担っている。作用としては澄んだ音色であたりに浄化の影響を及ぼす。ということは……
「その音は場そのものに作用する結界、少なくともその一部」
「そうか、移動式の簡易結界というわけか!」
珍しく支道の声のトーンが上がる。時の権力者が自分たちの権威を意識づけるためのものでもあった。だから鈴を日本中に普及させ、覆いつくさなければならなかった。
鈴は神域を守る結界装置であるのと同時に、時の権力者の権威を広めるための象徴でもあったのだ。
「いや、すごいな」
支道が珍しく、感心したような表情を見せてきた。
「なにがよ」
「君の妄想力は常民の及ぶところではないと思ってね」
支道はわざと作った笑顔で続ける。
「研究より、ラノベ作家の方が向いていそうだ」
剣より強いペンで一刀両断したろうかい。
魔鈴(5)
どうも初っぱなから雲行きが怪しくなってきた。こういう時は初心に戻って地道に調査が定石、とおばあちゃんが遺言で言っていた。まだ生きているけど。
そこで赤木神社について再度調べてみることにした。
神社庁のサイトや地元の風土誌なんか見ても通り一遍のことしか載ってないから、近所の暇そうな人生の先輩に片っ端しから声をかけてみた。
「で、以前からよくわからない団体とトラブルになっていたことが、分かったのよね」
赤木神社と対立している団体の正式名称は、民俗文化財保護財団というらしい。なんというか、いかにもな名称が怪しすぎる。
と思ってさらに調べると、国というか宮内庁とのつながりが強いらしい。
「宮内庁?」
支道が首をかしげる。
確かに、なんでここで宮内庁が出てくるんだと私も思った。
やばくないかこれ。いやな予感が三列縦隊で警鐘を鳴らしてる気がするぞ。そこと仲が悪いって、実質国ともめてるようなもんじゃないのか赤木神社。
で、そこと神社にある民具というか神具を引き取らせろ、渡さないでもめているらしい。
まあクライムアクションな妄想は置いておくとして、どうやって調査を進めていけばいいのやら。たかが鈴のことでえらいことになってないかこれ。
民俗学って、こんなにデンジャラスなジャンルだったのか、知らなかったぞ。
それにしても、逆さ鈴あるいは裏鈴、一体何があるというんだ?
これは実物を見てみないと気が収まらない。いや、見てもわかるとは限らんが。
電話でアポを取ろうとしても、断られるのは目に見えていた。なので、直接行ってみた。対応したのは、あの時の怖い宮司の赤木氏。
「支道家の者か」
わたしが取材を申し込んだらすげなく断られたが、支道に変わったとたんに態度が変化した。どうやら赤木氏は支道の家を知っているようだった。さすが名家、特別待遇えげつない。
「鈴の話を伺いたく、お願いいたします」
「……入れ」
社務所の隣に併設された小さな事務所に通された。座れと言われるまま、椅子に腰掛ける。
「鈴の何が聞きたい?」
と、なんだか部外者認識されていそうな視線で一瞥されて、わたしは一言もしゃべれない。うー、赤木氏の迫力半端なくてかっこいいんだけど、いかんせんとっつきにくさ全開。怖くて平常心でいられませんがな。
「逆さ鈴について」
単刀直入な支道の質問に、ガタッと赤木氏が席を立った。明確な拒絶。
わたしが待ってと言う代わりに続けて支道が、今度は全然関係なさそうな話題を口にした。
「御神木は見事な欅(ケヤキ)ですね」
その一言で、赤木氏の足が止まる。
言われてみれば、欅の御神木はあまり見かけないかもしれない。
大体は杉とか楠が多いようだ。このあたりにはほかにも神社はあるが、やはりそういった木が多い。
「日高見では欅が多かったとか」
支道のやつ、突然何の話を?
日高見って、古代にあったとされる国の名前だったっけ。
「そこまで調べていたか。支道家、食えぬ」
赤木氏はわたしたちを見下ろしたまま、ついてこいとだけ言った。連れていかれたのは本殿だった。
御祭神の祭られている神座(かみくら)の後ろから、吉祥(きっしょう)模様が刺繍された袋を取り出し、持ってきた。
見せられたもの、それは古いけど何の変哲もない鈴だった。
支道が礼をして、それを手にする。
わたしはその様子に違和感を覚えた。だがすぐにはそれがなんだかわからなかった。
支道が鈴を振る、音がしない。いや、音を飲み込んだ?
一瞬、周りが静かになったような気がしたけどよくわからない。
赤木氏が神楽鈴を一振り、空間に音を媒介にした浄化の気が広がりかける。
同時に支道が逆さ鈴を振る。明らかに鈴の音が、その響きが弱くなり、浄化の広がりが弱くなった。
「結界の無効化……」
鈴を普及させたのは朝廷と考えられる。その鈴の効果を無効化させるものの存在は、匹敵する勢力の存在を予測させた。
でも、現在まで続いているのは朝廷の方だ。力が同じなら、争えば共倒れする可能性がある。戦うわけにはいかなかったのだろう。
一方が譲った?
そしてあえて痕跡を残さないようにして同化、あるいは市井に溶け込んでいった。じゃあ赤木神社って、消えた方の流れを汲んだ……
突然外が騒がしくなった。赤木氏に会わせろ、合わせないで言い争う声が聞こえてきた。
「性懲りもなく、またやってきおったか」
え、なになに、なんかバイオレンスな雰囲気なんですが。っておい支道、手足ストレッチして何やる気になってるんだ君!
境内に出ると数人のスーツ、うわ開襟シャツだ、荒事専門って看板かけているようなのが、神職の人たちと言い争っていた。
魔鈴(6)
「神域を騒がせるな!」
赤木氏の一喝で言い争いが止まった。
そこにいたのは中背のやせた青年と、部下らしい開襟シャツとスーツの組み合わせの男が数人。
とりあえず話し合いの余地を感じてわたしはほっとした、のもつかの間。
青年のアイコンタクトで開襟スーツの男が一人、わたしを捕まえようと手を伸ばす振りをした。
それにつられて赤木氏の部下である権禰宜(ごんねぎ)さんが、わたしを庇おうとその手を払った。
争いが起こってしまった。
わたしは必死に逃げ回った。フィジカルもエリートな支道じゃあるまいし、わたしのようなちっこい女が一人、何ができるというんじゃい。
逃げ回れるだけでも、自分で自分をほめてやりたいくらいだ。
そのわたしを、なぜか青年だけが追ってきた。
何とか捕まらないように、昔じっちゃんに教えてもらった螺旋の軌道を意識しつつ、青年から距離を取る。
視界の隅に、支道と赤木氏が映る。
ありゃ、いつのまにか二人が共闘してるぞ。
赤木氏はつかみかかってくる開襟スーツどもを、難なく投げ飛ばしている。支道は支道で、長い手足を生かした技、鑚拳(さんけん)だったかな、とかいうストレートパンチで遠い距離から殴り倒している。大丈夫かな、正当防衛成り立つだろうか。
んで、なんか話してるな。
え、逃げ回ってるわたしが面白い動きをしてるって?
悪かったわね、こちとらただの素人でい、必死に動いても面白くなっちゃうのは仕方なかろーもん!
そんなこと考えてたらあっさり捕まってしまった。
「済まん……」
二人の前に連れていかれた。
体のいいというか悪いというか、要するに人質だ。
リーダーらしい二十代の青年が、わたしの襟首をつかんだまま赤木氏の前に立つと、亥入(いいり)と名乗った。
亥入は感情のない冷たい目で、わたしを捕まえたままで支道を見た。
「お前たちか、余計なことを調べているのは」
「余計なこととは、何がどう余計だというんだ」
支道が質問し返すが、それには一切答えない。
「国体をゆるがすな」
亥入は感情のない声で、命令するように続けた。
「そんなことをしても、誰も幸せになどならない」
それだけ言って、赤木氏の方を向く。
「神社とて、永久に存続するとは限らない。国が責任をもって預かると言っているんだ」
「そのお国の責任感も、最近は怪しくなってきてますが」
つい、いつもの軽口が出てしまった。
「ひっ」
睨まれた。
「貴様らに言われるまでもなく、公表する気も誰かに譲る気もない」
赤木氏は亥入を鋭い眼光で睨みながら言葉をつづけた。
「消えゆくものは、消えるがよいのだ」
その眼光は亥入を突き通し、さらに向こうの何者かに語っているようだった。
「ただし、それを判断するのは一部の者ではない」
赤木氏は開襟スーツたち一人一人も見据える。
「日常を生きる一人一人が自然に忘れてゆく。その中で気がついたら消えている、そういうものなのだ」
再び亥入に視線を戻す。
「いたずらに歴史の記憶に干渉するな。放っておくだけでよいのだ」
亥入は少し沈黙をすると一言だけ言った。
「その言葉を信じろと?」
赤木氏は、ただ黙って亥入を見ていた。
何を感じたか、亥入は背を向けた。
開襟スーツたちも去っていく。
「はぁ~」
解放されて、わたしはその場にへたり込んだ。
人生最大のピンチだった。
「おい、お前」
わたしはそのまま身を固くした。
「どこでその動きを習った?」
「う、うちのじっちゃんに……」
「それは貴重なものだ、大切にしなさい」
それだけを言って、赤木氏は背を向けた。
警察沙汰にする気はないようだ。事後処理の指示をする赤木氏を見て、わたしは歴史に関わることの重さのようなものを感じた。
歴史を、あるいはその一部を背負うということは、想像以上に大変なことなのかもしれない。
魔鈴(7)
アパートに戻り、今日あった出来事を思い出す。
「すごい体験をしてしまった……」
もちろんマイヒストリー的にということだが。
わたしは今日のことと、数々の経験や知識、分かったことを落とし込んで、レポートをまとめることにした。
逆さ鈴は古代に存在した日高見国と関りがあるようだ。効果はわかるけど、原理やその他はわからない。そもそもがこの一連の鈴や逆さ鈴、科学的な原則で成立したのものじゃない。
そこから導かれる結論は、歴史上の朝廷は、実力でなったものではなく、その権力を譲られたものかもしれない可能性だ。
「国体を揺るがすな」とはそういう意味なのか。
国を譲られたという裏の歴史が浮かび上がってしまう。国側からしたら触れられたくはないだろうし、まして明らかにされてはたまったものではないだろう。
あの財団はそういうことへの対処をする、非合法な部門なのかも。
そこまで書いたとき、不意に音がした。資料用に持ってきた鈴にどこかを当てて、床に落としてしまったらしい。
床に落ちた鈴は思ったよりも大きく響いて、わたしは現実に引き戻された。
これは、私の目指した民俗学なのだろうか?
隠された歴史の真実とか、そういうのが知りたかったのかわたし?
違う。
わたしはそんな大それたことをしようとは、さらさら思っていない。気づかれない人々の、気づかれない痕跡を、資料として残したいだけなのだ。
数日後、わたしは支道とともに、書き直したレポートを山國教授に手渡しつつ、そこから切り離した裏の歴史の可能性について聞いてみた。
「今回は済まなかったね、まさかそんなことになっているとは思いもしなかったよ。次回からは提案の仕方を考えないといけないね」
同時にかいつまんで顛末も伝えておいた。
「こういう仕事をしていると、いろいろな話を聞くのだけど、すべてを調べるわけにはいかないから、特に気になるものを課題として提案していたんだ」
いつものおっとりとした雰囲気を漂わせた教授に、レポートを受け取っていただいた。
「それにしても、裏の歴史が浮かび上がったのか、驚くべき結論だね」
切り離した部分はオフレコと断って、数枚のメモにして読んでいただいた。
「この内容は、本格的に調べたらすごいことになるかもしれないけど、そうするつもりかい?」
わたしは大きく首を振った。
「そんな大それたものには興味ありません。わたしはただ、鈴と人とのかかわりが知りたかっただけです」
「その割に入れ込んでたような気がするが」
支道が余計なことを言う。
「歴史に名前が残るどころか、ひっくり返るようなもの、私には手に負えません。関わりたくないです」
「もう、手遅れだと思うが」
「さっきからうるさい、そこ!」
支道は肩をすくめた。往生際が悪いぞとでも言いたげに。
山國教授は、紅茶を吹き出しそうになりながら笑っていた。
レポートの提出は朝だったので、まだ夜まで時間があった。そこでわたしはYBで小田原まで流すことにした。
バイクを駐輪場に停めて温泉につかった後、民芸品を眺めたり、お土産を買ったりして夕方まで過ごした。
「あ、お祭りだ」
鮮やかな柄の浴衣を着た母と子が通り過ぎる。帯に結ばれた鈴がチリンと鳴った。
生まれた理由がどうあれ、鈴はわたしたちの生活に静かに溶け込んでいる。
その事実が最も大切なことだと、私は心のレポートにつづった。
魔鈴(終)