
認知症の母は静かに憤慨している。
はじめまして、ミライです。
母は70代後半、
私は50代。
まだまだ、元気でいてくれると思ってた母が、
ある日突然、認知症と診断されました。
今は、記憶を整理するのがつらく、少しずつ思い出しながら書いているので、話が前後したり、同じことを書いていたりするかもしれません。
整理できるようになったら、改めてまとめて書こうと思っています。
また、個人特定をされないために、詳細は事実と異なるところもあります。
家族が認知症の方に、なにかの参考になりましたら幸いです。
母は、自分が、自由にならないこと、
閉じ込められている、
外に出られないことを、憤慨している。
喚き散らすかと思いきや、
周りを気にして、声を抑えて、
それでもギリギリの音量で、
「どうしてここにいなきゃいけないのよ」
って、叫んで見せて、
私、いつも部屋でこうやって叫んでるの、と言っていた。
その言葉は必死で、目には涙を浮かべていた。
きっと、私たちがいないところでは、
本当は、大きな声で叫んでいるのかもしれない。
認知症になったからといって、
すべてを忘れるわけではない。
どこからどこまでが、母で、
どこからどこまでが、母でないものになっているのか、
見た目にはわからない。
母も自分でわからないのだろう。
母と、そうではないものの間で、漂っている。
そんな感じがした。
夜はよく眠れる、
と言っていたが、
スタッフさんによると、
昼間もよく寝ているらしい。
母は、認知症でありながら、
認知症という殻の奥深くに、
閉じ込められてるような気がした。
話しながら、自分が自由にならないことを嘆き、
ときに、私の手を握りながら、訴えかけ、
しばらくすると、諦めた表情をする。
午後のおやつの時間に、
今日は朝からまだ、何も食べていないといい、
そのあとに、何十年も昔の話をする。
まだ家族の顔、友人の顔はギリギリわかるようだ。
私たちきょうだいは、あまり見分けがついていないようだけど、
自分が産んだ子だということは、はっきり認識をしていて、
忙しいスタッフを呼び止めて、
自慢をしようとする。
私は恥ずかしかったけれど、嬉しかった。
スタッフさんからは、元気ですよと言っていただいた。
元気というのは贔屓目に見ても、
普段から賑やかすぎるってことんだろう。
スタッフの方は、どなたも礼儀正しく、
笑顔で、患者と視線を合わせ、
体に手を置き、手を握り、
優しく接してくれている。
本当に頭の下がる思いだ。
完全に、わからなくなってしまえば、
もっと楽になるだろうと、そんなことを思ってしまった。
何が幸せなのか、
何をしてあげられるのかがわからない。
母の苦しみを、
受け止めきれずに、
どうしたらいいのか途方に暮れている。