
なぜ、外国語を学ぶ人がいるんだろうか。
<学生時代のわたしが捉えた英語について>
恥ずかしながら、中学校高校大学10年間、英語を試験科目としてのみ捉えてきた。いかに、中間試験や定期試験やセンター試験で高得点を取るか…要約問題、整序問題、段落入れ替え問題、段落挿入問題にいろいろ取り組んだ(笑)。わたしの時は、リスニングがなかった。これが役に立ったか?と質問されたら…
「はい、大学合格に。」 と答えます(笑)。
更に、
「まさに、娘の学校の中間試験定期試験対策に。」とも答えられますね(笑)。
<大学時代のわたしが捉えた英語について>
ショックでしたね…当時から帰国生や交換留学経験の多い大学で、授業のスピーキングやリスニングが出来ない出来ない。字幕のない映画なんて無理(笑)。既に台詞暗唱しているレベルのジブリを英語で聞いたりして、練習練習。授業についていくのに必死。そのおかげで、成績はとれるけど…そこまで良くはなくやる気を完全に失っていた。振り返れば、目的がなかったんだと思う。中高時代は、成績がとれる科目でしかなかった。大学時代は、スピーキングとリスニングが入ってきて、もはや苦手科目。でも、英語大事なんだろうなとはずっと思ってた。
<就職して結婚して、少し時間の余裕が出来たころ…驚きそして笑いの到来3つ。>
①夫と一緒に友人のいるアメリカへ
友人の息子さんに、彼女の名前を聞こうとしたら…「girlfriend」の発音が通じない。友人自体は、日本に住んでいた経験があったので、少し日本語が出来た。その時に、私が教えてもらったことが3点。もちろん、間違えていることも多いと思うんですが。
・「f」の発音
日本語の「ふ」の発音に聞こえて、「friend」の最初の音が「who」に聞こえる。
・sheの発音
「sea」に近く聞こえる。口の動かし方を教えてもらい、苦労しながらこの時にshの音を習得したつもり。
・th
有名ですが、「す」に聞こえると。
その時に、この発音だけは気を付けようと思いました。
②ホームステイの受け入れ
結婚してから…実際に受け入れ始めたはず。もはや明確に覚えていない。覚えているのは、娘には、わたしのようになってほしくなかったという一心。でも、塾や強要することだけは絶対にしたくなかった。自然な流れで外国語に興味を持ってほしかった。その理由は、強要された結果が自分だと思っているから。受け入れ始めて10年以上になるけど、今では、わたしのライフワークになってる(笑)。
長期で受け入れた初めての学生さんが、イギリス人の学生さんだったんですよね。今思えば、最初から難敵の登場だった(笑)。日本語少しで、高速のイギリス英語。
「can eat」が、当時のわたしの耳には、あえて片仮名で表現するとすれば「カニート」に聞こえる始末(笑)。もはや、笑い話。英語10%+身振り手振り祭り90%の会話。スマホもない時代ですからね。日本語勉強中の学生さんですから、英語でのやりとりが多くて。困った困った(笑)。いろいろな方との出会いがありますが、恥をかくことを恥じている暇はない。
今では、娘に、言われますよ。
「あの時のパパとママの英語、やばかったよね。」
③大人になってからの5年間、海外に住んだこと
これが一番成長させてくれました…娘のインターナショナルスクールでした。ホームステイの受け入れの効果もあり、娘が親が話す謎の言語(英語)を話せるようになりたいとのことでインターナショナルスクールへ行くことに。それが、娘にとっての当時の目的ですね。
同じアパートの方が、インターナショナルスクールでの心得を教えてくれて…
「インターナショナルスクールでは、意見を言わない親 ≒ 子供の教育に興味のない親 と認識される。極端な例だと、挨拶でもいいから(笑)。」
これを本気で実践しました。わからないことは、すぐにメール連絡をして。担任の先生が、厳しくもありとても良い先生で。入学して数カ月で先生とEALの先生との面談があり…あせりました。ただ、聞きたいことはすごくあったので、対策を練りました。先生に、事前に質問事項を送り、リスニングが苦手なので先に質問を送りますと。当日、ゆっくり話してくれて。もちろん、当時の私には、めちゃくちゃ難しいですよ。その時に聞きとれなかったのが、
「here」なんです。これが、まさかの「hair」に聞こえたんです。先生が、イギリス人だったというのもあります。
おかしいと思ったんです。学校の面談でhairなんて、文脈上あり得ないと!!!帰宅して、落ち着いて文脈から考えたんです。そうしたら、hereだったことがわかったんです。
今でも覚えています…くやしくて涙が出ました。
中一から勉強して10年以上…わたしは、hereの発音も聞き取れないのかと。
日本でいい大学と言われる大学の入学試験も合格したのに、何も意味なかったじゃないかと。
本当に情けなかったです。
ここから、いろいろなところに顔を出しました。くやしさとともに、娘のためだ、しょげている暇はないと思い、学校のイベント、娘の友達の親と話すため、同じアパートの外国の方と話すため…下手ながらも進みました。最初は、仕事していた時よりもエネルギーを使いました。もはや、毎日がプレゼン。関係代名詞や関係副詞や分詞構文を気にしているなど、もちろんありません。通じなかったフレーズを確認して、彼らが話しているワードを次の日に使ったりして。わからないものは都度聞いて。最初は、待っていても呼ばれません…先生との雑談、学校ボランティアに参加したり、お誕生日会を開いたり、お泊り会に呼んだり、日本料理を作る練習をしたり、ひたすら数を重ねました。こんな変な日本人は珍しかったんだと思います。だからか、外国の方から声をかけてもらえることが増えました。驚くほど頑張れたのは、娘のためという思いの目的、行動に対して声をかけてもらえたり少しながらも褒めてもらえることが多かったからです。目的もあったし、都度少しずつ結果が出たということです。わたしの必死な姿を娘は見ていますからね。娘は、学校で生き抜き、謎言語を習得するのに驚異的な才能を発揮し…あっという間に成長していきます(笑)。羨ましくもあり、むかつく思いもあり、誇らしくもあり。
当時、娘に言われましたよ。
・「ママは、声が大きいから、教室の廊下にも聞こえるよ。」
・「同じクラスの友達が、ママのこと知っていたよ…(笑)。」→あまりにも学校に出没するからですね。
・「ママは、いつも、長期休暇にどこに行ったか。次の休みにどこに行くか。ばかり聞くよね。」→そこから会話が始まるんだよ!アジア人は、なかなか声をかけてもらえないんだよ!最初は、こっちから声をかけないと!
そんなこと気にする余裕はない!毎日、必死なのよ。
<この3つの大きな経験を通じて…>
英語はツールなのだと確信しました。もちろん、完璧な文法を習得することが目的ならいいんです。当時のわたしは、娘のために、そして、毎日を生き抜くために必要だったんです。よく言われる言葉ですが、世界が広がります。英語を実際に話せるようになって、見える世界は圧倒的にプラス方向に変わりました。友達関係、旅行、仕事の広がりが。英語を話せるようになったとは言えど、仕事でプレゼンが出来るほどではありません。学生時代と異なり、完璧な文法を求めるが故に話せなくなるという状態にはありません。仕事で使ったり、プライベートでボランティアを通じてコミュニケーションツールのひとつとして思っています。学生時代と異なり、自主的に英語の本を読んだり、辞書を引いたり…学生時代にこれが出来ていればという思いもあります。しかし、外国語学習の目的を見いだせただけ幸せ者だと感じています。