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「何者でもない私」のまま働く|正解とおさらばした実験記録

    3年ほど前まで、私は「こうすれば稼げる!」「あなたの強みが売りになる」といった、よく見かけるビジネスのセオリーをゴリゴリに信じ、必死に自分の「強み」を探し回っていました。

    この記事は、ノウハウの海で迷子になり、くたくたに疲れた私が、世間の「正解」と静かにお別れし、自分のスピードで、マイペースに働き始めるまでの不器用な実験記録です。

    「いでよ!肩書き迷子!!」

    「あなたの強みは何ですか?」
    その問いの答えをちゃんと探さなくてはいけない、と、何度もプロフィールを書き直していませんか?

    当時の私も、既存の言葉に自分を当てはめてはしっくりこず、何度も何度もプロフィールを書き直す、まさに「肩書き迷子」の状態でした。
    強み探しのために、過去の経験を洗い出したりもしました。マインドマップを広げに広げていったり。
    でも、出てくるのは統一感のない、パッチワークのような経験ばかり。

    「これを自分の強みだと言い切っていいのか?」
    ずっと自分に自信が持てず、何を信じていいのかわからなくなっていました。

    当時は並行して、SNS運用代行をしたり、SNSの伸ばし方について教える仕事もしていました。
    最初は他人のブランディングをお手伝いするのが楽しかった。特に運用代行は、まるでその人の分身のように文章を考え、運用することが自分の特技かと錯覚していました。

    運用やリサーチの中、SNSを見渡せば、キラキラした物販ママアカウントのような発信で溢れかえっている。
    「アンタたち、それホントなの?」「本当にそんなに稼いでるの? そう見せてるだけなんじゃ……?」と、画面の向こうのかりそめの姿に見えるプロフィールに、私はずっと苛立ったり疑心暗鬼になっていました。

    そして、だんだんと「なんで私、人のためにこんなに時間とエネルギーを使ってるんだろう?」と、ふとアホらしくなってしまいました。
    「この力を、自分のブランディングに使った方が圧倒的によくない??」という、遠回りしながらも、至極当たり前な答えに辿り着きます。

    そこから、また私は少し遠回りをします。
    「稼げる」というワードに引っ張られ、期待と焦りから高額なSNS運用コミュニティに所属するのです。リボ払いで(笑)。

    初めは、その熱量や、仲間との高め合いがとても楽しかった。時にはTwitterを通して、リアルにスペースで会話したり、ZOOMで話したり。切磋琢磨している感じが、青春っぽくて楽しかったのです。

    そんなふうに楽しみながらも、自分には何ができるのかと外側ばかりを探し回り、「これだ」と腹をくくる覚悟がないまま、私はビジネスノウハウという海でボコボコと盛大に溺れていました。

    そんなある日、友人に「私は何を軸に仕事をしたらいいか分からない」とこぼした時のことです。友人はとても微妙な表情を浮かべ、言いにくそうに、こう言いました。

    「あのさぁ……自分のブランディング出来てないのにさ、人のブランディングしてるんだね?」

    あぁ……!痛い!痛すぎる……!!!(笑)
    完全に図星でした。「そもそも自分が何者か言語化できていないのに、いくらノウハウを詰め込んでも苦しいだけだ」という本質を突きつけられた瞬間でした。

    そんな中、毎週オンライン講座を受けたり、課題に取り組む中で、最終的に気づいてしまいます。
    「すぐに稼げる魔法なんてないんだ。結局はコツコツ手を動かして、とことん自分と向き合うしかないんだ」という、身も蓋もないリアルに。

    「私にとっての軸って、一体なんだろう?」
    私はこの問いを抱えつつ、強みという外側に見せる自分を作るのを一旦やめて、まずは「私は何者?」とシンプルに自分へベクトルを向けてみることにしました。


    気づけばバランスより、自分の「衝動」で周囲を巻き込んでしまっていた

    そこから、話は10年ほど前に遡ります。

    世間で「ワークライフバランスが大事」と言われ始めたあの時代。私自身も、それが大事と思って行動していたつもりでしたが、記憶を思い返してみたら完全に「衝動」だけで周りを巻き込んでいたことに気づきました。
    あぁ……恥ずかしい……。

    たとえば私は、30代の間に四国、奈良、大阪、和歌山と移住を繰り返しています。その土地を訪れた時にふと「あ、ここに住んでみたい」という野生の直感が湧くと、「同じ土地に住み続けるべき」という常識を疑い、一人で飛び込んでいきました。

    なので、私の脳内はいつも「やりたい!」という衝動で忙しく、周りを盛大に振り回していました。

    知人から起業支援を打診されたときは「2つの会社で同時に働きたい!」とワクワクして上司に相談し、がん検診を機に「本当にしたいことをやろう」と突発的にスペインへ3ヶ月留学したいと直談判しました。

    当時の上司たちは「行きたいんやろ?しゃあないわな!」と快諾してくれました。
    当時の私は、仕事とプライベートのバランスを取って行動を選択しているような気でいました。でも振り返れば、1ミリも綺麗にバランスなど取れていませんでした。

    結局、どんなに調和を保とうとしても、ただ自分の内側から湧いた熱量をそのまま採用していたのです。
    それに周囲は巻き込まれてくれて、少しハミ出しているこんな私を「おもしろいな」と応援してくれただけだったのです。バランスの取れている優等生な私を応援してくれたわけでは無かったのです。

    ワークとライフをきっちり切り分けようと計算する行為。それは実は、自分をおそろしく消耗させ、カロリーを消費させるのです。その事実に今、やっと気づきました。

    だから今は、自分の熱が燃えている時は爆速で動き、休む時は全力で休む。その凸凹なバイオリズムを、できるだけ自らに許可するようにしています。

    綺麗に整った人間よりも、少し隙や余白がある人、いびつな人の方が、周囲は「なんかいいな」「手を差し伸べたいな」と感じてくれるものかもしれません。


    完璧を手放せば、圧倒的にスピードは上がる

    「ちゃんとした準備ができるまで」と、せっかくのアイデアを机の引き出しにぬくぬくと眠らせていませんか?
    新しいことを始める時、「ちゃんとした準備ができていない」と立ち止まり、結果的にアウトプットが遅れる人は多いはずです。私自身も、少し前まではそうでした。

    今年春に行ったメキシコへの買い付けの旅。そこから帰国した直後、私は体調を崩してしまい、半月ほど思うように動けない日々が続きました。
    布団の中で、頭の中は焦りでいっぱいでした。「せっかく仕入れてきたんだから、早く売らなきゃ」「綺麗に写真を撮って、ちゃんとした文章を考えなきゃ」。

    ようやく体調が戻り、手元にあるメキシコの雑貨たちをのんびりと眺め直した時。私の頭の中で、ふとこんなツッコミが湧き上がりました。

    「……わたし、本当にこれ全部、今すぐ売りたいの?」

    自分でツッコんでおきながら、ハッとしました。
    本当に自分が手元に置いておきたい愛おしいものまで、世間の常識に合わせて無理に「商品」として手放す必要なんてなかったのです。

    そこで私は、「完璧に準備して全部売らなきゃ」という思い込みをゆっくりと手放してみることにしました。
    今すぐ出したいと思うもの3つだけをピックアップし、手持ちのAIツールを壁打ち相手にしてサクッとお店に並べます。
    売れる売れないよりも前に、「完璧な型」を手放した結果、驚くほど気持ちは軽やかでした。

    最近、オリジナルのデジタルノート(内側をながめる日記)を作っていた時もそうです。最初はデザインツールの素敵なテンプレートを使っていましたが、どうにもしっくりきませんでした。
    『THE Canva!』という、誰かが作った正解のデザインだったからかもしれません。

    そこで、一度真っ白な白紙に戻し、iPadを使って自分だけの手書きのふにゃふにゃした線を引いてみました。すると、急にしっくり自分らしいと思える画面に見えました。
    そこからは手書きで文字を書いたり、少しアンバランスな私の字もあえてそこに置くことにしました。

    旅の記録を動画にする時も、最初は「14日分の完璧なVlogを作らなきゃ」と意気込んで挫折しかけましたが、「いや、15分のパッチワークみたいな動画でいいや」と完璧主義を捨てた途端、あっという間に公開することができました。

    完璧な準備がなくても、失敗すらも面白がり、今手元にあるカードを組み合わせて手を動かし、アウトプットをし続ける。
    それが、不確実な時代を心地よく生き抜く、スキルのようなものに思えます。


    「外の答え」ではなく、自分との「数ミリのズレ」を見る

    仕事や人生で迷うと、私たちはすぐにノウハウ本やコンサルタントなど「外側の答え(お薬)」に依存してしまいがちです。私自身、何かあればよく占いに頼って答えをもらいに行っていました(笑)。

    私が「外側の答えに依存しているかも?」と立ち止まったきっかけは、看護師として働いていた頃に行ったスペイン留学でした。
    アドバイスというテーマの授業の日。体調不良の問題文になり、私が何でもかんでも「病院に行く、薬を飲む」と答えていたら、スペイン人の先生にこう指摘されたのです。

    「あなた、薬と病院ばっかりね!ハーブティーを飲むとかあるでしょ?」

    日本の「不調=すぐ病院」という当たり前を、外の国からシンプルに指摘され、ハッとした瞬間です。

    その後、江戸時代のベストセラー『養生訓』を読んだとき、「心はからだの主人である」という言葉に出会いました。「自分の体のことは自分で決める」という生まれ持った権利を、私たちはつい手放しがちだという本質に気づかされました。

    これは働き方でも全く同じだと思います。だって、働き方は生き方なのですから。

    だから私は、他人の正解を答え合わせとして探し回るのをやめました。
    自分の内側にベクトルを向け、「自分の人生、自分のもんだろ?」と腹の底から言えるように。

    今の私が大切にしているのは、社会のルールや他人からどう見られるかよりも、「自分の感覚と、数ミリレベルのズレがないか」。
    シンプルにそれだけに注目することを意識しています。

    「内側をながめる日記」でも、目標達成のための日記ではなく、今日感じたモヤモヤも、ちょっといびつな感情も、ただ等身大の自分として毎日書き殴れるようにしています。
    見つめるのは、他人からどう評価されるかというノイズではなく、自分の内側にあるものだけ。

    自分で自分の声を聞く習慣をつけることは、きっとどんな時代でもブレない、自分だけの「人生のハンドル」になるはずです。


    「よく見せなきゃ」を手放す。省エネで持続可能な仕組みづくり

    個人でビジネスや発信を始めようとすると、どうしても「フォロワーを増やさなきゃ」「もっとよく見せなきゃ」と力んでしまいます。

    なぜなら「みんながそうしているから」です。

    でも、背伸びをして自分を大きく見せようとすることは、自分の本音との「ズレ」を生み出し、その違和感の検索や修正に無駄な体力を消耗します。
    自分とズレたことは本質的ではないので、結局長続きしません。あえて聞き慣れた言葉をチョイスすると、「持続可能では無い」のです。

    だから私は、無理に大きな声を出してアピールするのを少しずつやめていきました。
    代わりに、自分と、そして自分と同じ感覚の人が心地よくいられるような場所づくりだけを用意しておくことにしました。
    自分が庭で焚き火をしながら実験していることの中で最高におもしろかった出来事や体験、旅で見つけてきた可愛いものなどを、ただ「お裾分け」としてポンと並べてシェアするような感覚です。

    たとえば名刺。私は相手のスタンスに合わせて選べるよう、「ホームページのQRコードを裏に印刷したアナログな紙の名刺」と「スマホにかざすデジタル名刺(プレーリーカード)」の2つをポケットに忍ばせています。
    ガツガツしたデジタルを好まない人には紙を、スマートに進めたい人にはカードを。
    相手の温度や心地よさに合わせて、私の部屋への入り口を自由に選んでもらうスタイルです。

    先日、メキシコ旅をシェアする機会があり、そこで出会った方に紙の名刺を手渡しました。
    すると後日、その方が名刺のQRコードから私のホームページへ飛び、わざわざ公式LINEへ直接メッセージをくれたのです。

    公式LINEに登録してメッセージを送るというのは、けっこう勇気がいることだと思います。それなのに連絡を下さった。
    「あぁ、私と繋がりたいと思ってくださったんだな」と、じんわりとした嬉しさが込み上げました。
    メッセージには、旅の話以上に、「働く=会社に属することではないんだと気づかされた」と、私の「生き方」そのものへの共感が綴られていました。

    この時、私は「あぁ、これでいいんだ」と深く腑に落ちました。

    無理によく見せようとしなくても、ただ自分が楽しいと思うことをシェアし、着飾らずにそのままの生き方を1つのサンプルとしてポンと置いておく。
    ただ私が庭で楽しく、時に必死に(笑)遊んでいる姿を見せるだけでも、誰かの心に届き、いいきっかけに繋がっていく。
    遠くの1万人に向かって大きな声を出すよりも、出会った目の前の1人が、自分の意志で扉を叩いてくれたり、何かの気づきになることを信じるように、委ねるように。

    いかに消費を少なくし、好きなことを無理なく続けていくか。それこそが、私が今いちばん大切にしている働き方です。
    そもそも私は、大きい声で外に呼び込みをするのが大の苦手なのです(笑)。


    未来の感覚に、遅れて着地する生き方

    振り返れば、私の人生はいつも野生の直感がふらっと未来へ飛んでいき、「面白そう」とピンを刺した場所に、現実の私が泥臭くもがきながら遅れて着地する、というパターンの繰り返しでした。

    何者でもない自分に戻るのって、だいぶ怖い。
    まだ大きな結果を出していない自分への罪悪感が、完全にゼロになったわけではありません。

    それでも、私はこの「何者でもない私」として、怖くても自分で選ぶ自由を、もう一度しっかり握ることにしました。

    『コジコジは、コジコジだよ』という、某キャラクターの名言の意味が、少しわかるようになってきました(笑)。

    誰かが用意したビジネスの型に、無理に自分を合わせなくても大丈夫です。数字を追いかける手を一度止めて、自分の速度で、手持ちのカードで工夫しながら歩き出しても良いのです。

    もしこれを読んでくれているあなたが今、世間の「正解」の波にのまれそうになりながら、息苦しさを感じて立ち止まっているなら。
    この不器用な私の実験の記録が、フッと肩の力が抜けるような、焚き火のような存在になってくれれば、もうそれだけで私の人生が救われます。

    いっしょに迷いながら、それぞれの歩幅で、心地よく歩き出していきましょう。

     
     
    直感を地上に混ぜて生きてます。 田舎暮らしの中で、あるものを活かすブリコラージュの実験中。 note:内側の景色のおすそ分け YouTube:内側の日記・ニワトリたちとの動く日記 BASE:手しごとのゆらぎ ーTODO ESTÁ BIEN. すべて順調✌︎

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