
5歳の私が、まだそこにいた
その昔、「鳥小屋荘」と呼んでいた場所があった。
4畳半一間。小さな台所とトイレがあって、お風呂は無い。その小さなアパートを私たちは「鳥小屋荘」と呼んでいた。
私が5歳くらいの時に、わずか数か月の間、母と二人で住んでいた場所でもある。
先日、この「鳥小屋荘」とその周辺に行ってみた。
過去の記憶をたどって、今の私にどうつながっていったのか——それを思い出す、記憶の旅でもあった。
「鳥小屋荘」と呼んでいた場所へ
そもそも、なぜここに行こうと思ったのか。理由は「過去の自分とつながるため」だった。
子どもの頃から、遠慮がちで自分の意見を言うことが極端に少ないタイプで、50歳を過ぎた今もその傾向は大いにある。
意見を求められても「特にありません」と答えることも多いし、人とぶつかるくらいなら、秒で自分の考えを曲げる。常に自分は後回しにしてきた。
残りの人生を考えると、半分は確実に過ぎている。もう誰にも遠慮せず、好きに生きてみたい——そんな想いもあった。
過去の自分とつながるために
そのためにも、まず過去の自分とつながる体験をしたかった。
幼少期からずっと、バケツに穴が開いたような状態で生きてきた。最初は小さな穴だったのが、一度も修理しないまま長年使い続けたせいで、今では大きな穴になってしまって。どんなに埋めようとしても、ものすごい勢いで瞬時にあふれ出てしまう。
その穴をふさいでいく作業のひとつとして、この場所を訪れることにした。
45年後のコンビニと、残っていたもの
「鳥小屋荘」は、45年以上の月日が経っているから、現存していないのは当然で、今はコンビニになっていた。
訪れても「懐かしい」とはならず、「おそらくこの辺?」くらいでしかなかった。気の向くまま、何となくふらふらと周囲を散策してみた。
すぐ近くの公園は何となく記憶にあったから、おそらく一人で遊んでいたこともあったんだろうなと、おぼろげな記憶をたどってみた。
実はこの公園にまつわるエピソードを、後から母に聞いたことがある。炎天下の日に母から「一人で遊んでおいで」と言われて公園に行ったものの、すぐに帰ってきてしまったらしい。「何で帰ってきたの?」と言われて、また公園に戻る——そんなことがあったと。私自身には記憶がないけれど、おそらくあの公園が、そのままの姿で残っていた。
当時、通っていた銭湯はファミレスに姿を変えていたけれど、駅前のファストフード店と大手スーパーと保育園は、当時の姿のままそこにあった。
だんだんと、記憶がよみがえって来て、胸の奥がチクチクとしはじめてきていた。
保育園の前で聞こえた声
保育園の建物のそばから園庭が見えたその時、こんな声が聞こえた。
「いい子にしているから、お願いだからひとりにしないで」
どこからか突然その声が聞こえた。
その瞬間、こみ上げてくるものがあった。
でも、保育園を遠巻きに見ながら号泣するのは不審者極まりない。通報されるわけにもいかない——そう思って、その場をスッと離れることにした。
「いい子にしているから」の正体
一人になって、冷静に思い返してみる。
「いい子にしているから、お願いだからひとりにしないで」——これはどこからきたのか?
私が5歳の時、両親が離婚している。
「鳥小屋荘」は、母が離婚後、今の父と再婚する前に一時的に住んでいた場所だった。
あの保育園は、母が再婚して鳥小屋荘を出てからも通い続けた場所だ。
延長保育の時間を過ぎても迎えに来てもらえないことが幾度かあって、お迎えはいつも一番最後。
当時は仲の良い友達も少なくて、大人ばかりに囲まれて、いつもたいていひとりだった。
ずっとひとりで、ずっと寂しかった。
「よそから来た子」の思い込み
親族の中でいつも話題になるエピソードがある。
父方の祖父母や叔母に「好きなものを買ってあげる」「好きなものを食べていいよ」と言われても、値段が安くてそこそこ気に入ったものを指して「これでいい」と言う。するといつも「これでいいじゃなくて、これがいいでしょ?」と怒られていた。
それだけ、気を遣っていたのだと思う。
わがままを言ったら嫌われる。自分の気持ちを出したら嫌われる。
だって私は「よそから来た子だから」——この思いが、無意識にずっとあった。
自分の思いを口にしたら嫌われる。見放される。
だから、いい子にしないと。寂しい思いはもうしたくない。お願いだから一人にしないで。
あの場所を離れても5歳の頃の私の声が、頭の中でしばらく止まらなかった。
今になって思うと、母が今の父と再婚したことで、「いつか捨てられる。いつか見放される」という強烈な思い込みが、ずっとあったのだと思う。
捨てられないためには、大人になること。
大人になるとは——わがままを言わない。思ったことは口にしない。我慢をする。大人の前では礼儀正しくいる。
幼い頃の私が、必死で見つけた生きていくための手段がこれだった。
そうやって気がついたら、自分のことがよく分からなくなってしまっていた。
当時の両親にも事情があって、私を良い環境に連れて行きたいという思いもあったと思う。あの頃の両親の年齢をはるかに超えた今となっては、その気持ちもよく分かるし、愛情で包んでいてくれたことも十分理解している。
それでもなお、子どもの頃の思い込みは、まだ続いている。
嫌われることは無いと分かっていても、自分を出すと嫌われると思ってしまう。
そこまでして守りたいものは、いったい何なのか?
まだ、幼少期の傷が癒えていないのだとしたら?
バケツの底は直せるのか
一度蓋をして隅っこに追いやった箱は、時間とともに大きくなっていき、それを横目でチラチラ見ながら日々を過ごしてきた。
また、この箱を開ける日が来るとは——。
でも、ここで自分とつながることができたら。
心のコップがカラカラどころか、バケツに穴があいていて、気づいていながら使い続け、修理することなく長年使い続けて、底が抜けてもまだ使い続ける。
そんな状態が、この2、3年だったのかもしれない。
あの頃の自分に会いに行けたら、バケツの底は直せるのか?
そんなことを思いながら巡ってみた。
幼い私へ
幼いながらに自分の生きる術を見つけて、必死でやってきたんだろうな。
かなり我慢も無理もさせてしまった。
今まで良く頑張ってきたね。
もう、我慢しなくていいし頑張らなくてもいいよ。
自分の思いを口にしてもいいんだよ。
誰も嫌ったりしないし、ずっとそばにいるから。
ひとりになんてしないから、安心して。
もう、大丈夫だから。
自分とつながる旅は、幼い頃の私を安心させる旅で、そのままの私でいいよと言える旅でもあった。