
『死なれちゃったあとで』に救われて、今日も私は生きている
数年前、家族が突然死んでしまったとき、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
夜ひとりで道を歩いていると涙が止まらなくなる、という日々が1年くらい続いた。悪夢にうなされてハッと目が覚めたら、ボロボロと泣いている日もあった。自分だけ時間が止まってしまったような、進んでいく世間からポツンと置いていかれているような、そんな気持ちだった。
昼間はこれまでどおり働いて、休みの日は友達と遊んで、笑ってと、「普通」に過ごすのを心がけた。まずは1年、生きてみよう。それからまた考えよう。そう思った。
そこから1年くらい経ったころ、大阪で一人旅をしていたときにたまたま書店で目にした本との出会いが、ひとつ転機になった。
「情けない人生でした」器用に生きていた後輩の死、海で溺死した父…岸本佐知子氏推薦!忘れられない喪失の記憶を炙り出すエッセイ集
『死なれちゃったあとで』は、著者の前田隆弘さんが、自身の死別体験について綴ったエッセイ集だ。
忘れられない死というのがある。身近な人の死はどれも忘れられないのだけど、その中でも特に忘れられない死。棘となって抜けないままの死、と言い換えてもいい。
一晩で、一気に読んだ。家族が亡くなってから1年経ち、ようやく「救われた」と思った。
前田さんの文章はたんたんとしていて、現実をまっすぐみているようなまなざしがあった。言葉一つひとつに力があるというか、不思議な説得力があり、自分の中にすっと入ってきた。
「死んだ」という悲しみはそのうち薄れていくような気がする。でも「いない」という寂しさ、空虚さはきっとこれからが本番なのだろう。一生続くのかもしれない。
つい先日、また家族が亡くなった。あぁ、ほんとうに人間ってあっけないものだなと、骨を拾い上げながら考えていた。結局、最後はみんな、こうなってしまうんだ。
この数年間、生と死についてたくさん調べ、考えた。どうして人は生きるのか、なんで私は、生きているのか。今やっていることすべてに、なんの意味があるのか。
身近な人の死を経験してから、「いつ死んでもいいな」と思うようになった。生への執着が薄れたのかもしれない。とはいえ、どうせ生きるのであれば、生を全うしよう、楽しく生きようと、きわめてポジティブに考えている。
死についてさまざま調べるなかで出会った、「心の中で生きている」という表現は、すごくしっくりきている。もう一生会えない、話せないのはとても悲しい。けれど、心の中にはいつもいる。
そのとき思ったのは、「後悔を手放さない」ということだった。喪失にまつわる後悔が強すぎて押しつぶされる人もきっといて、そういう人は手放さざるを得ないのだろうけど、自分にとっての喪失の後悔は、その人のことを考え続けるための「いかり」というイメージがある。後悔を手放さず、いかりを降ろしていれば、いつかその人の生き様や死に、新たな意味を見いだせる日が来るのかもしれない。
ふとした瞬間にぽろぽろと泣いてしまうこともあるけれど、目の前の現実をみて、今日の日を生きていきたいと思う。
2026.7.8 mio.h