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【旅行エッセイ】高野山 ひとり旅| 力と癒しをもらえるパワースポット

    日常からの離脱

    東京での生活は、いつも音が多い。
    人の声、通知音、エアコンの唸り。
    静かなはずの部屋にいても、何かしらが私を呼び止めている。

    だから私は、和歌山県の高野山へ向かうことにした。

    理由は明確だったようで、実のところ曖昧だった。
    ただ、標高八百メートルの盆地に寺院がひしめき合い、千年以上前から人が祈り続けてきた場所、という説明文が、妙に胸に残ったのだ。

    新大阪から電車を乗り継ぎ、二時間半。
    極楽橋駅で南海高野山ケーブルに乗り換える。
    車窓の景色は、次第に現実味を失っていく。
    ケーブルカーは、これでもかという急勾配を、容赦なく登っていく。

    開山当時、ここを人は歩いて登ったのだと思うと、自然と背筋が伸びた。
    信仰とは、まず足腰から始まるものなのかもしれない。

    高野山に降り立つと、空気が一段軽くなった。
    市街地より明らかに涼しく、木々に囲まれているせいか、呼吸が深くなる。十月末、紅葉はちょうど盛りで、空は高く、抜けるように青かった。

    宿坊という場所

    宿は、ホテルではなく、宿坊にした。
    ここで暮らす人の時間に、少しだけ混ぜてもらえる気がするからだ。

    高野山駅前からバスで十分ほど。
    最寄りで降りると、住職たちが穏やかな笑顔で迎えてくれた。
    必要以上に近づかず、しかし冷たくもない距離感が、妙に心地いい。
    荷物を預け、身軽になって外へ出る。
    旅は、荷物を置いた瞬間から始まる。

    奥の院へ向かう

    最初の目的地は奥の院だった。
    高野山の入口である大門から奥の院まで、約四・五キロ。
    すべて歩く気力はなかったので、途中までバスを使い、最後は参道を歩く。

    杉の木々が天を突き、木漏れ日が参道を斑に照らす。
    足元には、二十万基を超える墓石や供養塔。武田信玄も、織田信長も、名もなき庶民も、ここでは等しく並んでいる。
    歴史の中に「入ってしまった」感覚があった。
    地面から、冷たい何かがじわりと上がってきて、靴底を通して体に触れる。写真撮影禁止の最奥部で手を合わせると、不思議と欲が消えた。
    良い「気」という言葉を、少し信じてみたくなった。

    市中を歩く

    再びケーブルカーで街へ戻り、参道を歩く。
    少し進むと伽藍や霊宝館が現れ、その間にぽつぽつと店が挟まる。
    観光地にありがちな喧騒はない。人も、店も、必要な分だけそこにある。
    街全体が、何かに包まれているようだった。

    先ほど山上で見かけた修行僧が、三人縦一列になり、少し俯き加減で歩いていく。
    その背中を見送る自分が、急に俗世の代表みたいに思えて、少し可笑しくなった。

    参道のお茶屋に入り、和菓子を二つ選ぶ。
    小皿に並べてくれる、そのひと手間が嬉しい。
    選ぶ時間に、会話が生まれる。
    飲み物はラテにした。和菓子とラテは、意外なほど相性が良かった。
    固定観念は、旅先でよく裏切られる。

    ただいま、と言える場所

    宿坊へ戻ると、住職がまた温かく迎えてくれた。
    なぜか「ただいま」という言葉が浮かぶ。

    池のある庭は、夕暮れとともにライトアップされ、昼とは別の表情を見せていた。

    夕食は精進料理。
    質素で物足りない、という先入観は、最初の一皿で消えた。
    色も香りも豊かで、地の食材が丁寧に使われている。
    体が、正直に喜んでいた。

    早朝の勤行

    翌朝は五時台起き。
    勤行に参加する。僧侶たちの読経が、低く、一定のリズムで響く。
    ここで祀られているのは「過去」ではなく、「今も在る存在」なのだと、頭では理解した。

    理解したが、体は別だった。
    この日は小雨で、気温は昨日より十度ほど低い。
    私は腹筋に力を入れ、寒さをやり過ごすので精一杯だった。
    悟りへの道は、まず防寒対策からだと学ぶ。

    雨の金剛峯寺

    雨音が、砂利に、池に、傘に落ちる。
    快晴の高野山も良かったが、このしっとりとした景色は、言葉を失うほど美しい。

    宿坊の名前が入った傘を借りて歩く。
    同じ傘の人とすれ違うと、妙な連帯感が生まれる。
    寒いのに、心は少し温かい。

    金剛峯寺を参拝する。
    主殿から渡り廊下を抜けると、日本最大級の石庭「蟠龍庭」が現れる。
    雲海に浮かぶ奥殿を守るように、龍のごとくうねる石組み。
    どこから見ても、揺るがない美しさだった。

    雨のおかげで、人影はない。
    写真を撮りながら、時間を越えてしまったような錯覚に陥る。

    帰るということ

    そういえば、朝食で出された梅干しが、妙に沁みた。
    買って帰ることにする。
    南高梅は食べ慣れているはずなのに、これは別物だった。
    添加物のない味は、記憶に残る。
    帰り際、住職は私の姿が見えなくなるまで頭を下げてくれた。
    「毎日同じことを、心をこめて繰り返しているだけです。またお参りください」
    その声が、山の空気に反響しながら、背中を押す。

    私はまた、音の多い東京へ戻る。
    でも、ここで吸った空気は、確かに体のどこかに残っている。
    この旅は、まだ始まったばかりだ。
    次にどこへ向かうかは、東京の雑音が教えてくれるだろう。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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