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月を見るとセンチメンタルになる

月を見ると、不思議な気持ちになります。

なんかほっとするような、でも時が経ってるのを実感するような…。

そんな気持ちになるのです。

太陽ほど刺激的に明るく照らすわけじゃない、
月明かり特有の柔らかい光って、私は結構好き。

「夜くらいゆっくりしようよ」みたいな、
何にも急かされない寛容さっていうのでしょうか、
そういう静かなあったかさを感じる。

満月だと、純粋にテンション上がるし。

「ねえねえ!今日の月、なんか大きいよ??」って家族とかに言いたくなりますしね。

でも、月は綺麗な側面だけじゃないなとも思ってる。
見てるとちょっとだけセンチメンタルな気持ちになるから。



月は、姿を変えます。

見るたびに満月だったり半月だったり三日月だったり、はたまた新月で見えなかったり。

いわゆる月の満ち欠けですが、

「前回見たときも満月だった。あれからもう次の満月がやってきたのか」
「こないだまで三日月だったのに、もう半月になってる」

みたいに、月の満ち欠けをきっかけに時の流れをちょっとだけ感じたりする。

私には毎日月を見上げたりする習慣はなかったので、月を見る頻度もまちまち。

だから、前回見上げた月と自然と対比させて、
時の流れを実感して少し寂しくなるのです。

そして、次に月を見上げるときには、
また少し姿が違うんだろうなって。


私自身は、精神疾患とずっと付き合ってきました。

初めて精神科に通ったのは20歳のときですが、
生きづらさや症状を感じ始めたのは中学生くらいのとき。

何年経っても症状がなかなか治る気配を見せなくて、時の流れを実感するたびに、落ち込んでいました。

「ああ、あれからあんなに時間が経ったのに、まだ治らないんだな…」って。

だから、時間が過ぎたのを実感するのって、結構心が物悲しくなるんです。

確かに精神疾患になったことによって生きづらくなったし、できなくなったことも増えました。

そんな現実を呪いそうな気持ちになったことだって数知れずです。


でも、そんなに精神疾患としての自分を特別扱いしなくてもいいのかなって。
最近思い始めました。

精神疾患だから、仕事を頑張ってはいけない。
精神疾患だから、無理をしてはいけない。
精神疾患だから、楽しむ気持ちを持ってはいけない。

今まで、精神疾患である自分に対してそんな気持ちだった。

「精神疾患だから…」という前提条件を強く意識してしまい、

「精神疾患だから〇〇をしてはならない」「そんな資格はない」って、ひどく自罰的に思い込んでいた。

けど、そんなことないんだろうなって。

精神疾患だからって、
仕事を頑張りたいって思っちゃダメなわけない。

無理してまでだって頑張りたい、って思う気持ちだって湧くこともある。
楽しみたいって思うことだって、人間として至極自然な気持ちです。

確かに、精神疾患の影響があるなら無理はできないかもしれない。

現実、日常生活や仕事に支障や制限が出ることだってある。

でも、「精神疾患だから」って、感じちゃいけない感情があるのか?

って言われると、絶対にそんなことないと思った。そんなに自罰的になることない。


月は、日々姿を変えます。
一日ずつ同じペースで、ただただ淡々と。

でも、三日月の日も満月の日も新月の日も、
「月としてダメな日」になることはありません。

今までは自罰的な意味で「精神疾患である自分」を特別扱いしてたからこそ、

時間が経った=精神疾患の状況を良くするために前進してなければならない…
と思い込みすぎてたんだと思う。

でも、「精神疾患」だからって、自分をそんなに特別扱いしなくていいんじゃないかな。

それが自然なのかなって。
月について考えていたら、そんなふうにいろいろと思いました。


そういえば、最近はバタバタと忙しくて月を見上げる暇がなかった。

また見上げてみようかな。
…ちょっとセンチメンタルな気分になるのは承知の上で…。



今回もこちらの企画に参加させていただき、エッセイを書きました。
今回も素敵なお題、ありがとうございます!


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