
小4まで本1冊しか読まなかった僕が、noteを1年書き続けた理由
noteを始めて、今日で丸1年になった。
この1年で、気づけば123投稿もしていた。
フォロワーさんは今、49名。
本当は自分も書きたい、という人からよく聞かれる。
『なんで書き続けられるんですか?』
たぶんあれは、
『こんなにも反応のない中で、どうしてそんなに続けられるんですか?』
という意味まで含まれている。笑
その答えは、今日インスタの方にちゃんと書いてみた。
そっちは真面目に、ちょっとタメになるように、ちゃんと時間もかけて。
なぜなら、あっちはまあまあ読まれているのを知ってしまっているからだ。笑
一方、このnoteは違う。
ここでは、どんな幼少期が今のこの僕の
「読む」とか「書く」とかを
こんなにも好きにさせたのか。
そんな、どうでもいいような話を
時間をかけずに、垂れ流すように書いていこうと思う。
なぜならこっちのnoteは
全てを許してくれる、
ちょっとマニアックな人しか見ていないだろうという甘えのもと、
自由気ままに書く場所だと決めているからだ。笑
でも不思議なことに、こんな
ただ楽しんで書いているだけのものでも、
「自分もnote始めてみました」
そう言ってくる人が、この1年で何人も現れた。
どうやらこれは、
“すごい人の文章”じゃなくて、
“こんなやつでも楽しそうに書いている”
それだけで、
誰かの背中を押すことがあるらしい。
人の心を動かすのは
スキルではなく震えであることが
僕の中で明らかになった。
ということで今日は、
読んでくれた人がきっと
『こいつよりは絶対に本読んでるわ』
『こいつよりはもう少しマシな文章書けるわ』
と、自信を持てるような内容になっている。笑
ある意味、
ミンピロ史上もっとも人の背中を押す、
啓蒙作品になるかもしれない。
noteさんには、そろそろマージンの検討を
お願いしたい。笑
ーーー
僕は、本なんてまったく読まない人間だった。
子どもの頃、
6歳上の兄と5歳上の姉が
今日はどっちが僕と一緒に寝るか
争奪戦していた記憶はあるのだが、
あの頃の2人が僕に
読み聞かせなどをしてくれていた記憶がない… 笑
本の世界に
おもしろさを見出すことのないまま育った
僕の小学校一年生のときである。
夏休み明けに読書感想文というものを
提出する課題が与えられた。
それのために、かろうじて読んだ一冊が
忘れもしない
『かわいそうなぞう』
だった。
なんと僕は、この一冊だけで小4まで読書感想文を乗り切った男なのである。
「今年もこれでいけるだろう」
ピカピカの一年が読んだあのピカピカの本は
4年も使い回されクタクタとなっていた。
なんと僕は
小4になってもその本1冊で
感想文を書いたのだった。
小4の時にはもう
もはや読んですらいなかった。
なんと小4にして僕はすでに、
流用というスタイルを
身につけてしまっていたのだ。
忘れもしない
小4の夏休み明けの教室。
2年生、3年生の頃に感じていた
多少なりの罪悪感は、
もはや
『今年もイケる』
という根拠のない自信へと
代わり始めていた。
これこそが常習犯の心理状態なのだろう
まだ夏の匂いが残る教室
窓の外では、蝉がこれでもかというくらい鳴いていて、
扇風機の風が、紙の端をぱたぱたと揺らしていた。
いつもと変わらない、昼下がりの教室。
汗で、えんぴつが滲んだ読書感想文を
先生に差し出す。
先生はそれを受け取り
タイトルを読んだ時点で顔を上げた。
「田中くん。そろそろ違う本、読んでみようか」
忘れもしない。
その時の先生の目が
かわいそうなぞう
と同じ目をしていた。
世界の音が、一瞬だけ消えた。
永遠のような長い一瞬に思えた
遅れて蝉の声が戻ってくる
扇風機の音、クラスメイトのざわめきが
ゆっくり連れて戻ってくる
同時に背中にじわっと汗を感じた
暑さのせいじゃないことは、すぐにわかった。
(もしや……4年間……ずっと気づいてたんですか……?)
自分が何をしていたのかを、ようやく理解した。
4年もの長い間、この先生は怒りもせず、
何も言わず、ただただ
待ってくれていたのかと思うと、
子どもながらにいろんな想像がよぎった。
一年目で「これ絵本だよね」と思っていたのかなぁ。
二年目には「デジャヴかな」と思っていたのかなぁ。
三年目、どうやって心を保っていたのか。
そしてゾッとした。
四年生でさすがに絵本はないよな…と。
まだイケると思っていた自分の雑さに、
心底絶望しかけた。
もし、今回が大丈夫だったら
このまま来年も、再来年も
中学生になっても
〝かわいそうなぞう〟
のままの人生だったのか?
そんな自分に腹が立った
先生についに言わせてしまったことにも。
先生のその優しさに
少年だった僕の心は一度、静かに死んだ。
そこからというもの
少年は人生を改め、この世のありとあらゆる本を読み漁り――
のような展開にしたいところなのだが、
現実はそんなに甘くない。
少年の取った行動は
まずは図書室という未知の領域に足を踏み入れることからだった。
当時の僕にとって、そこは
なかなかに敷居の高い場所である。
恐る恐る扉をスライドさせると
そこには、まるで実家のリビングかのように
空間に溶け込んでいる存在がいた。
カセダさんである。
同じ4年生とは思えないほど、完成された人間に見えた。
まぶしかった。ただただ、まぶしかった。
(翌年、この女性と隣の席になるのだが
僕が急に100点取り始めて、
クラス全員からカンニングを疑われる事件が起きる)
その彼女が読んでいたのが、ヘレン・ケラー。
「あ、あのぉ〜、それ、、面白いの?」
プライベート中の芸能人に話しかける
一般人くらいの距離感で聞くと、
「わたしにとっては面白いけど…」
僕はその一言で察した。
これはきっと、選ばれし者の本なのだ。
純粋無垢すぎる眼差しで見つめる僕に、
彼女は少し誇らしげに続けた。
「わたし、日本人の伝記はもう全部読んじゃってて。
今は海外の伝記にハマってるの」
僕が初めて〝伝記〟という言葉を
耳にした日だった。
その時、僕の視界には
図書室の棚いっぱいに並ぶ
“日本の偉人たち”が映っていた。
坂本龍馬、織田信長、徳川家康、宮本武蔵…etc
ぜんぶ名前だけは聞いたことがある人たち
ずらりと並ぶその本の表紙の顔が、
まるで「私たちすでに攻略済みで〜す」
と言わんばかりに
かわいいキャラクターとなって
彼女の背後に召喚されいるようだった。
見えてはいけないはずの
日本を代表するお偉いさん達を
背中に抱えた彼女は
僕に優しく言った。
『最初は日本の伝記からがいいと思うよ』
正論である。
だが、
そのときの僕には、
もう〝ヘレン・ケラー〟しか見えていなかった。
ここで僕は、ひとつの重大な勘違いをしている。
日本の伝記を一冊ずつ積み上げるよりも、
いきなり海外に飛べば、
“カセダと同じステージに立てるのではないか”
という、とんでもなく都合のいい解釈である。
さっきまでのび太のようだった僕が、
急にジャイアンみたいになる。
「ねぇ、それ読みたい」
カセダさん戸惑う。
「え、でも日本の伝記からの方が…」
正論、2回目。
だが僕は聞かない。
なぜなら僕の頭の中は
もう“ヘレン・ケラーで人生を変える男”
になっていたからだ。
彼女はマザー・テレサを手に取り、
ヘレン・ケラーをそっと置いて去っていった。
彼女だけでなく
日本の歴史上のすごい人達
みんなを敵にしてしまった瞬間だった。
⸻
それからというもの、
僕は海外の伝記を読み漁り――
…と書き進めたいところだが。
現実は残酷で、
何も入ってこない。
一行も、入ってこない。
同じ日本という国の偉人も知らないのに、
海を渡った偉人なんて、なおさらだった。
インクの匂いって便意を催すんだなぁ〜
眠れない時って文字読むと寝れるんだぁ〜
そんな豆知識を身につけたのも
この頃からだっただろうか。
それから一年後。
偶然、隣の席になったカセダさんが言う。
『ねぇ、わたしあとヘレン・ケラーだけなんだけど、いつ読み終わるの?』
え?
全部…?
まさか外人全員?召喚しちゃったの…??
彼女はその後、私立中学に進学し、
その先の人生は知らない。
僕は今でも、
ヘレン・ケラーが何者なのか知らない。
そんな自分が
今は本を読むことも、文章を書くことも好きになっている。
そして、こんな自分の書く文章を
楽しみだと言ってくれる
ちょっとマニアックな人も、極々数名ほど確認している。笑
でも、別にいい具合に期待はされていなくて。
まるで、お遊戯会で発表する子どもを
優しく見守る親のような視線で、
ただそこにいてくれている感じ。
僕もまた、それに甘えながら、
なんの期待に応えようとすることもなく、
気楽に楽しんで書いている。
本当に、ありがとうございます。
これからも、こんなスタンスで
noteに限らず、すべてにおいて
こんな具合に続けていけたらと思っています。