
『東征伝』 八話 丘の上の別れ
一の巻 八話 丘の上の別れ
栄叡亡き後も、普照は鑑真一行と行動をともにしていた。
その普照が鑑真のもとを離れることを決めた。
かつて滞在した阿育王寺へ向かうという。

笈を背負った普照を鑑真と弟子たちが見送った。


普照の姿が見えなくなっても鑑真は動かない。
不審におもった祥彦が師の顔をのぞく。
「普照は、無事に出立したか」
と瞼を閉じたまま、鑑真が聞く。
「師父」と呼びかけたきり、祥彦が固まった。
「まさか、師父! お見えにならないのですか」
__杖を所望されたのは、そのためか?

後方にいた弟子たちが、なにごとかと取り囲む。
「案ずるではない。われらも先を急ぐぞ」
と、鑑真がくびきを返した。
思託はそっと歩み寄り、師の手を引く。
「託……おまえ」
祥彦が後ろから思託の肩に手をかけた。
「おまえ、わかっていたのか」
前に回り込んで思託をにらみつける。
__なぜ、知らせなかったと。
無言で見つめ返す思託の目が潤んでいた。それ以上なにも言えぬ祥彦をのこして、鑑真と思託が歩みをすすめた。
独り歩く普照は高い空をあおいだ。
割り切れぬ気持ちだった。
栄叡が亡くなったときの思託の態度が、どうにも腑におちなかった。和上がお泣きになることを、やめてくれ、やめてくれと止めていた。栄叡を師兄と慕っていたのに、あまりに薄情ではないか。
「あなたさえ来なければ……」
桂林の丘で、栄叡に投げつけた思託の言葉。
今も苦々しく蘇る。
結局、唐僧たちはわたしたちを憎んでいたのか。
唐へ渡った一七年間は、なんだったのか。
わたしは……と、普照が拳を握りしめた。
「若き日の栄達もあきらめて渡ってきた!」
そう叫んで歩みを止めた。
金色の鳶が上空で旋回している。
あぁ、すまぬ……栄叡。愚かなことを言った。
ふくよかな頬から、しずくが流れ落ちた。
そうであったな、栄叡。
わたしたちは鑑真和上にめぐり逢った。
なにを後悔することがあろう。
そなたの志が天に昇って、いつか運が開ける日がくるであろう。それまでわたしは、この国で仏典研鑽にはげみ、おのれの道を究める。
また会おうぞ。

夏の空には、白雲だけが、たなびいていた。
【後書き】
栄叡師 奄然遷化 大和上 哀慟悲切 喪送去
栄叡師 奄然して遷化す。大和上 哀慟悲切なり。喪を送りて去る。
思託は後に、栄叡が亡くなった場面をこのように書いています。
栄叡の死と、『服石の士』である鑑真。
このことが鑑真の視力の急速な衰えと、どう結びついていくのか。謎解きは、次回の九話まで、お待ちください。
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