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<創作小説>ぽっくりさん(1)

    <あらすじ>
    プロフィールのないSNSアカウントに、ある日老人の怪死遺体の写真が投稿された。
    オカルト雑誌へ寄稿しているフリーライターの菜帆は、この怪死事件を記事にすべく取材を始める。
    その矢先、同じSNSアカウントへ第2の怪死遺体写真がアップされ…。

    ふたつの怪死事件には関連があるのか?
    彼らはなぜ死ななければならなかったのか?

    生と死を問うオカルトミステリー小説。


    第1章 #怪死


     山で老人を見た。
     尋常な様子ではなかった。
     夢中で写真を撮る。SNSに上げれば、バズるに違いない。
     ハッシュタグは――【怪死】。

    ・・・・・
     
    「この記事、書かせてください」
     デスクでお茶を啜っていた編集長の鼻先へタブレットPCを突きつける。
     鼻眼鏡越しにちらりと菜帆(なほ)を見上げると、塙(はなわ)編集長が眼前のディスプレイへ目を移した。
     ディスプレイには、先週SNS界隈で話題になった一枚の写真が映っている。
     場所はどこかの山腹。
     快晴の下、高齢男性と思しき人物が空を仰いでいる。
     両掌を陽の光に翳し、まるで日光浴でも楽しんでいるかのようなのどかさだが――彼の首から下は落石に埋もれていた。
     死んでいるのだ。
    「遺体の写真ねぇ……」
     塙編集長がもさもさの顎髭をひと撫でする。菜帆はタブレットPCを掲げたまま、ずい、と編集長に顔を寄せた。
    「ただの遺体じゃないですよ、怪死遺体です。岩から頭と両手だけを突き出して死んでいるって、ナゾ状況すぎるでしょう? まさにオカルト雑誌《Fake moon》向けの事件じゃないですか! ちなみにネットでは《ど根性じいさん》ってあだ名がついてます」
     エアリーボブの髪先を跳ねさせながら菜帆が詰め寄る。ちなみに体を揺らしても、貧しい胸は微動だにしない。
     そんな彼女から距離をとるようにして、塙編集長は軽く腕を組んだ。
    「怪死だの猟奇殺人だの、あんたは本当にひとの死ぬ話が好きだわねぇ、土岐多(ときた)ちゃん」
    「あっ、ひとのこと病んだ変態みたいな目で見るのやめてくれます? 同じ穴のムジナのくせに」
    「あたしは死んだ後の方が専門だから」
     そう言ってごつい肩を竦める。口調だけはなぜかアレだが、五十がらみで筋肉デブの塙がおどけた仕種をしたところで、むさ苦しいことに変わりはない。
     そして彼の背後のキャビネットに並んだ《Fake moon》バックナンバーには、【青森県で見つけたゴーストホテル⁉】【死んだはずの愛犬が、毎朝起こしにくる……】といったタイトルが躍っていた。
    「ああ、まあ、そっちも嫌いじゃないですけどね」
     対する菜帆はスレンダーな身を起こすと、前髪の分け目からぴょこんと浮き出たアホ毛を指で摘まむ。
    「でも、死ぬとか生きるとかってなんなんだろうな、って、興味があるんですよ」
     ふと、物思わしい表情を見せた。
     一瞬後、
    「それに、この投稿イイネ一万ですよ?」
     再びズズイと編集長の鼻先へディスプレイを押し当てる。
     塙はそれを押し戻すようにしながら、指で画面をスクロールした。
    「同じくらい批判コメントもついてるけどね」
     遺体を撮影することの是非、延いてはそれをSNSにアップするとは何事か、という非難でコメント欄は溢れ返っていた。
    「これ、取材できるの?」
    「一応そのアカ主にはDMを送ってあります。ハンドルネーム以外なにも情報ないので、連絡待ちですけど」
    「期待薄だわね」
     今度は頭の後ろに手を組んで、塙が椅子の背凭れへ寄りかかる。
     菜帆はタブレットPCを手許へ戻すと、
    「ただ、遺族のほうには連絡がついて、今日この後お話を伺えることになってます」
    「あら、被害者の身元が判ってるの?」
    「喜本(きもと)宗篤(むねあつ)、七十一歳。精密板金加工を得意とする町工場の創業社長です」
     フォルダに突っ込んでおいた情報メモを読み上げる。
     そうして改めて塙編集長を直視した。
    「この事件とネットで拾ったそれっぽい話いくつか、後は有名な女性教員宅便槽内怪死事件あたりを抱き合わせにして、【現代日本で起きた怪死事件】のテーマで記事にしようかと。《怪死》は我々の常識を超えた超自然的な力によるものなのか、あるいは我々が知らないだけの自然現象なのか――世界はまだまだ未知なるもので溢れている、というところに帰着したいと考えています」
    「……炎上も反響のひとつではあるし、注目度が高いのは確かよね」
     面持ちだけは真剣に説明を聞いていた塙が、組んでいた手をほどく。
    「ま、やってみればいいんじゃない? ただし、人権には充分配慮すること! 《ど根性じいさん》なんて、死んでも口にしちゃダメよ!」
    「気をつけます、取材行ってきます!」
     気の逸るまま菜帆は事務所の戸口へと踵を返した。
    「……っと」
    「あれ、菜帆さん、来てたんすか」
     鉢合わせたのは、Tシャツにジーンズというラフな格好をした、三十歳手前くらいの青年。主にウェブのほうを担当している、この出版社の正社員・妙泉(よしずみ) 瑛太(えいた)だ。
    「菜帆さん来てると判ってたら、茶菓子でも買ってきたのに」
     申し訳なさそうに言う。
     ほぼ金髪に近い茶髪で見るからにチャラ男な彼だが、仕事には熱心で性格も人懐こい。月に一、二度事務所へ顔を出すか出さないかの菜帆を、いつも全力で歓待してくれる。なので彼のことを、菜帆は密かに《わんこ》と呼んでいる。
    「ごめん、わ……妙泉くん。これから取材行くとこなんだ。今、編集長から企画OK貰ったから」
     簡単に説明すると、
    「持ち込み企画すか。どんなの?」
     青年が眼鏡の奥の垂れ目を輝かせた。
    「まだ詳細は詰めてないけど、【日本・怪死事件簿】的な」
    「へぇ、面白そっすね!」
     テンポよく喰いついてくる。
     ならばも少し具体的にと、菜帆は小脇に抱えていたタブレットPCを起ち上げた。
    「でしょ? この投稿見た?」
    「あ、《ど根性じいさん》! 見ました見ました、イイネしたっす!」
    「したんか!」
     さすがはウェブ担当、宗篤の怪死写真もすでにチェック済みなようだ。
    「盛り上がってるところ悪いんだけど」
     部屋の奥から塙の声が割って入る。
    「まだOKとは言ってないわよ。つまんないもの持ってきたら掲載しないからね」
    「「えぇー……キビシイ~」」
     菜帆と瑛太の声がハモった。
    「菜帆さんの記事、いつも評判いいじゃないすか。ってか、いっそもうフリーやめて、うちの専属になっちゃったらどっすか?」
     瑛太が唇を尖らせて、そんなことを言う。
     菜帆は苦笑を浮かべると、
    「オイラには港々で待つ女達がいるんでね、ひとりに縛られるわけにはいかないのさ。アデュ!」
     懐く瑛太を振り払い、事務所を後にした。
     
    ・・・・・

     遠くから機械の駆動音が微かに聞こえる。
    「親父は山が好きでね」
     そう言ってテーブルの上へ古いアルバムを置いたのは、喜本清嗣(きよつぐ)。怪死した宗篤の息子だ。
     取材に訪れた菜帆が通されたのは、工場の敷地内にある社長室兼応接間だった。清嗣の見せてくれたアルバムには、どこかの山で撮られたのであろう若かりし宗篤の姿がある。
    「子供が産まれてからは行く暇がなかったって言うから、引退したら好きなだけ行けるじゃないかって私が勧めたんです。最近ですよ、また山へ行きだしたのは」
     菜帆が捲るページの写真を向かいのソファから眺め下ろし、清嗣がしんみりと語る。一重の目許と分厚い唇が、写真の宗篤とよく似ている。
    「宗篤さんが引退されたのは、いつのことなんですか?」
    「去年ですね。七十歳になったのを機にね。本人は納得いってなかったようですが、まあ、世代交代していかないとね」
     清嗣の口調から、おそらくその際ひと悶着あったのであろうことが窺える。敢えてそこを深掘りする気はないが。
    「事故に遭われた日は、宗篤さんひとりで登山を?」
    「いや、登山サークルに入ったとかで、その仲間と行ったはずですよ」
    「では、その方達も落石の被害に?」
     初めて得る情報に、菜帆がアルバムから目を上げる。
     清嗣は軽く眉を撓めて、
    「それが、親父とは途中ではぐれちゃったとかで。見つけた時には、もうあの状態だったそうです」
     膝の上で組んだ自分の両手を見つめた。
    「そもそもあの辺で落石事故なんて、そう起こるものじゃないらしいです。ただ、親父の埋まっていた場所のすぐ上に足場の崩れた跡があったから、もしかしたらそこから岩と一緒に滑落したのかもしれないって話で。詳しいことはよく判らないと警察も言っていました」
    「そうですか……」
     菜帆の調べた限り、その日、ほかに落石事故を見たり聞いたりしたという者の話はひとつも出てこない。
     つまり宗篤は、たったひとり、ひっそりと事故に遭ったのだ。《不運》と言えばいいのだろうか。
    「……宗篤さんの事故現場写真がネット上で公開されていることについては、どうお思いですか?」
     避けては通れない質問を、ここで切り出す。
     清嗣は反射的に答えようとして言葉を呑むと、暫し沈黙した。やがて、
    「最初は、意味が判らなかったです。なんでこんな写真を撮るんだ、って、腹も立ちました。でも、今は少し違いますね……」
    「と言うと?」
    「………」
     アルバムと共に持ってきていたノートを菜帆の前へ開く。
    「親父の日記です。日記って言っても、最初のほうは受注の納期なんかがメモしてあったり、備忘録的なものなんですけど」
     大学ノートの罫に沿って、少し角ばった文字がまばらに書きつけてある。
    「葬儀の時に誰を呼べばいいのか判らなくて、親父の遺品を調べていて見つけたんです」
     清嗣の指し示した頁にある日付は、今から一年と少し前のもの。ちょうど宗篤から清嗣へと社長の交代があった時期だ。
    「拝見しても?」
    「どうぞ、読んでください」
     清嗣の返事を待って、菜帆はノートを手に取った。
     
    【〇月〇日
    納期的に厳しいと判っている仕事を安請け合いして、工場員にむりを強いてしまった。
    難しくてもできると思ったが、いろいろな条件を見落としていた。やめたほうがいいと言う清嗣に耳を貸さなかった。
    明らかに俺の判断ミスだ。

    〇月〇日
    得意先への連絡、工場員のメンタルケア、そういった細かいことを清嗣がよくフォローしてくれている。
    最近俺は、いろいろ忘れる。

    〇月〇日
    今期を最後に、社長を息子の清嗣へ譲る。】

     ここで少し日付が空く。
     次の頁を開くと、数人の男女と共に山頂で撮ったと思しき写真が一枚、挟まっていた。
     
    【〇月〇日
    久しぶりに山へ登った。もう何十年も、ずっと登ってなかった。
    引退して暇になったのだから、これからは好きなだけ趣味の登山ができるじゃないかと清嗣に言われた。たぶん、工場のことに度々口を出されるのが嫌なんだろう。

    〇月〇日
    新規の顧客がずいぶん増えた。ホームページを変えたせいだとか。なんとかブックとかいうのも始めて、内輪な話を書いている。こんなもの誰が読むんだと思ったが、案外ウケているらしい。
    その分、広告費にだいぶ金がかかっている。昔は足で稼いだものだがなぁ。

    〇月〇日
    登山サークルに入った。俺のような年寄りも多いが、若いひとも結構いる。
    自分で撮った写真を載せるSNSを教えてもらった。ここでもか、と思ったが、みんな日常的にこういうものを使っているんだな。
    そう言えば孫の 啓介(けいすけ)も、なんとかチューバーとかいうのをやってる。それが仕事だと言われても、どうもよく判らん。
    俺はデジタルはあまり好かん。でも、デジタルなしにもはや世の中は回らない。その基盤の上で会社を大きくしなければならない今、俺にできることは、もうない。】

    「………」
     インターネットがここまで身近になったのは、せいぜいこの二、三十年の話だ。宗篤くらいの世代だと、現役時代はパソコンに触ることなく過ごした者もいる。菜帆ですら時々、速すぎる時代の変化に疲れを覚えることがあるのだ。高齢であればなおさらだろう。
     
    【〇月〇日
    山で道に迷った。こんなことは若い頃にはなかった。
    一緒にいた佐藤さんが正しいルートに戻してくれたが、意地を張って反対していたら危なかったかもしれない。何より、あの急所を俺ひとりでは登れなかった。
    老いては子に従えとは、よく言ったものだ。動作も判断力も最近頓に衰えてきた。
    その代わり、頑固ですぐ頭に血がのぼる。親父も晩年、そうだった。
    今はそういう輩を《老害》と呼ぶらしい。そう呼ばれる前に、早く逝きたいものだ。】

     日記はその頁で終わっていた。
     工場から洩れ聞こえていた機械音が、ふ、と途絶える。不意の静寂に心許なさを覚え、菜帆が顔を上げる。
     それを待っていたように、
    「親父がそんなふうに考えていたなんて、私はちっとも知らなかった」
     清嗣が口を開いた。
    「この工場を大きくするために親父がどれだけ苦労したか、私は見てきたからね。老害だなんて思ったこともない。だけど、気づかないうちに親父に疎外感を与えていたのか、ってね、ショックでしたよ、それを読んだ時。でもね」
     清嗣がポケットからスマートフォンを取り出す。画面に表示されたのは、くだんの写真だ。
    「これ、よく見てください。親父、笑ってるんですよ」
     言われてまじまじ見直せば、確かに岩から生えた宗篤の顔は微笑んでいるようにも見えた。
    「こんな穏やかな表情、生きてる間は見たことなかった。だからね、親父は大好きな山で逝けて満足だったんじゃないかってね」
     菜帆に向けていたスマホの画面を、清嗣は自分のほうへと向け直す。
    「この写真がなければ、きっと私は今でも親父に対して後ろめたい気持ちでいたと思います。ある意味、この写真に救われたんです。それにね、ここ、花が供えてあるでしょう?」
    「花?」
     指摘を受けて、彼の指差す部分へ目を凝らす。突き出された宗篤の右手と左手の間、その小石の上に、小さな白い野花が手向けられていた。
    「きっとね、撮影する前に花を置いて、親父の死を悼んでくれたんです。別に冒瀆するために撮ったわけじゃないんですよ」

    ・・・・・

     雨が降ってきた。
     電車の窓ガラスを雨滴が滑り落ちていく。
     腰をおろしたシートから菜帆はぼんやり向かいの窓を眺めていた。
     死を悼んで、その遺体を写真に収める。
     確かに十九世紀イギリスあたりでは、遺体に生きているかのようなポーズをとらせて写真撮影をする《ポストモーテム》と呼ばれるものが存在していた。当時は日常的に写真を撮る習慣はなかったから、《ポストモーテム》が故人の姿を長く記憶に留めるための唯一の方法だったのかもしれない。
     だが、現代ではどうだろう?
     スマホカメラの普及によって、写真は《特別な一瞬》を切り取るものでは、もはやない。ひとは一生のうちに何枚ものポートレートを撮っている。わざわざ死に顔を遺す必要はないのだ。
     逆に、遺体どころか葬儀の様子でさえ撮影するのは憚られる――それが、現代の常識的感覚ではないだろうか。
    《死》はケガレ。
     だからなるべく自分の傍から遠ざけたい。
     そういう意識もあるのか。
     日本は災害や戦争の報道でさえ遺体にモザイクをかける国だ。《死》そのものに、ひとびとが慣れていない。実際、宗篤の怪死写真についたコメントには、「ショックだった」「気持ちが悪い」といった内容のものも多かったはずだ。
     菜帆はスマホを取り出し、SNSを起ち上げ……。
    「……え?」

     ♪♪♪~
     
     突然鳴りだした着信音に驚いて、思わずスマホを取り落としかける。
     発信元は、伯母の麻子(あさこ)。
    「はいっ」
     慌てて応答すると同時に、なぜか椅子から立ち上がる。そのままドア付近へと移動した。
    『菜帆ちゃん? あたし、麻子おばさんだけどね、あなた明日、なに着てく?』
     挨拶もなしに麻子が質問を投げてよこす。
    「明日って、なんでしたっけ?」
     まずいな、なにか約束してたかな、と大急ぎで脳内メモリを検索する。
     明日は祭日の金曜日……。
    『ちょっと、忘れてたの? 会わせたいひとがいるから、お昼にサンホテルのロビーで待ち合わせって言ったでしょ!』
     検索結果を待つまでもなく、甲高い声で叱責された。
    『お相手はあなたよりみっつ上の三十五歳。弁護士さんですって! あなたの話をしたら、ぜひ会ってみたいっておっしゃってくださったのよ』
    「あー……」
     そう言われればそんな話があったな、と思い出す。つまりは《見合い》というやつだ。
    「ごめん、明日取材入れちゃった」
     正確には、これからアポイントメントを取るのだが。
    『だって明日は祝日よ?』
     麻子が胡乱げに問い返す。一般的な反応だ。
     ただ残念ながら、菜帆の仕事はあまり一般的ではない。
    「フリーのライターに日祭日関係ないっす」
    『だからそんな変な仕事やめなさいって言ったじゃないの!』
     藪蛇だった。
    『そんなんだったら、まだ前の出版社?のほうがよかったわよ。ちゃんと正社員だったんだし』
    「普通に休日出勤あったけどね。終電で帰っても、翌朝時間どおりに出勤しなきゃなんなかったし」
     それを考えれば、締め切りまでに原稿さえあげればいつなにをしていようが構わない今の労働条件のほうが、菜帆にとっては都合がいい。
     だが『企業に属するのが当たり前』という価値観の麻子には、納得できないようだった。
    『心配するこっちの身にもなってちょうだい。弓弦(ゆづる)くんは弓弦くんで、なんだかワケの判らないことやってるし』
    「いや~、大学在学中にベンチャー企業を起ち上げるとは、我が弟ながら気骨のあるやつだと……」
    『この先どうなるか判らないじゃないの! 今は好き勝手なことして楽しいかもしれないけど、いつまでも若くはないのよ? あなたにはハンデもあるんだから、しっかり考えなきゃダメよ!』
    「はぁ」
     弟の話題にすり替えようと画策したが、秒で戻ってきてしまった。
     麻子がわざとらしい溜め息を吐く。
    『あたしはあなた達より先に死ぬんですからね。もちろん、うちには子供がいないから、遺産はあなた達に行くけど……』
    (アテにしてねーわ)
     声に出さず即答し、
    「あ、電車が駅に着いたので降りないと。すみませんが明日はキャンセルということでよろしく」
     言うだけ言って菜帆は通話を切った。
     世話焼き気質の麻子は去年夫を病気で亡くしてからというもの、いっそう菜帆達に干渉するようになった。本人は百パーセント善意なのだが、正直、鬱陶しい。
     スマホを乱暴にバッグへ放り込むと、元いた座席へ目をやる。当然ながら、すでに別の乗客が座っていた。
     ドア横の手すりへ寄りかかる。自宅の最寄り駅まで、あと四駅。
     一度はしまったスマホを再び取り出す。先ほど開いたSNSの画面を表示する。
    『怪死だの猟奇殺人だの、あんたは本当にひとの死ぬ話が好きねぇ』
     塙編集長は菜帆をそう評した。
     確かに菜帆は、死んだ後の話より《どう死んでいったのか》のほうに興味がある。
     遺体は彼女の想像力を掻き立ててくれる。そこに清嗣の言ったような追悼の意思は、ない。
    (そしておそらく、この投稿者にも……)
     SNSには、宗篤の写真の隣に新たな怪死写真があがっていた。

    第2章 美しい遺体


     最初に感じたのは、冷たさだったか。
     遠退く光に手を伸ばす。
     纏わりつく水流で四肢は重い。暗い川底へと、体が沈んでいく。
     苦しい。
     怖い。
     我知らずもがく右手を、その時、女が掴んだ。
    「――っ!」
     肩を跳ねさせて菜帆は目を覚ます。
     ダイニングテーブルと自分の頭に挟まれていた両掌が、じわりと汗で湿っている。その脇に、手帳とスマホが無造作に置かれていた。
    (なんか、変な夢見た……)
     のろのろと身を起こす。
     窓の外にはすでに夜の帷が降りている。
     ダイニングキッチンから続くリビングに灯りがついていた。弓弦だ。
     どうやら風呂上がりであるらしく、生乾きの髪のままソファで缶ビールを飲んでいる。彼の視線を辿って初めて、テレビから流れてくる人声に菜帆は気づいた。
    「お帰り。いつ帰ってきたの?」
    「さっき。鍋の火、止めといた」
     振り向きもしない弓弦の返事に、菜帆のほうが背後を振り返る。
     コンロに載せられた鍋と、まな板の上へ放置されたままの野菜くず。帰宅後すぐ夕食の支度にとりかかった痕跡だ。
    (肉じゃがつくろうと思ったんだよな……)
     時短のためにジャガイモをレンジで加熱したことは覚えている。でもその後、鍋を火にかけた記憶はない。
    「働きすぎじゃね? 最近症状酷いじゃん」
     ソファから目線だけをよこし、弓弦が言葉を続ける。
    「こないだも、玄関のど真ん中にかじりかけの食パン落ちてて、あんたその先の階段で寝こけてたろ」
    「いや、お恥ずかしい。帰りに寄ったスーパーで六枚切りパンが安くなってたから買ったところまでは覚えてるんだけど、袋開けて喰った記憶はないんだよね……。お腹減ってたのかしらね、てへ」
    「てへ、じゃねーよ。三十歳過ぎの女として、どうよ、それ?」
    「歳は関係――」
     あるか。
     女子高生ならドジっ子かわいいで済むかもしれないことも、三十路でやったら、ただのだらしないひとだ。
    「すんません……」
     ひとまず素直に謝っておく。
     幸い鍋の中身は焦げついてなかったが、完全に火が通ってもいなかった。
    「肉じゃが食べる? 食べるなら煮直すけど」
    「俺、外で喰ってきた」
    「はよ言えや」
    「たこ焼き買ってきたけど喰う?」
    「弓弦くん、ステキ」
     弓弦がたこ焼きを持って立ち上がる。
     菜帆も比較的長身なほうだが、弓弦はさらに背が高い。色白な肌と切れ長のアーモンドアイは母親譲りだ。
    「そう言えばさ、今日、麻子おばさんから電話があって、死んだらわたし達に遺産くれるってさ」
    「ふーん……あのひと百歳まで死ななそう」
    「だよね」
     弓弦がたこ焼きをレンジにかけている間に、菜帆は作りかけの肉じゃがを鍋ごと冷蔵庫へしまう。
    「わたし明日取材で出ちゃうから、昼ご飯適当に食べなね」
    「お構いなく。なんなら晩飯も外喰い行くから、慌てて帰ってこなくていいよ。親父もカップ麺でも喰うだろうし」
    「それな。放っとくとあのひと本当にカップ麵しか食べないんだもん。野菜喰えよ野菜」
    「喰うようになっただけマシ」
     チン!という音の合図で取り出したたこ焼きを、弓弦は菜帆の前へ置いた。
     湯気の立つそれを、菜帆がはふはふしながら頬張る。
    「で、おとーさん、まだ帰ってないの?」
    「なんじゃね? 明日休みだから」
    「あー……チラシ刷ってんのかな」
     それには応えず、
    「テレビ、つけとく?」
     弓弦はリビングへ戻ると、一方的に会話を打ち切った。
    「ううん、消していい」
     菜帆のほうも特段答えが欲しかったわけではないので、蒸し返すことはしない。
     弓弦はリモコンでテレビを消すと、おやすみも言わずにリビングを出ていった。
    「……つれないぞ、弟よ」
     閉ざされた扉へ向かって独りごちる。
     でもまあ二十五歳にもなって姉といつまで団欒されても、それはそれで心配だ、と思い直して、菜帆もたこ焼き片手に自室へと引き上げた。
     
    ・・・・・

     その死にざまは、まるで絵画のようだった。
     薄暗い部屋の中、アンティークなカウチに横たわる女。左手を枕に、右腕は床へだらりと垂らしている。
     華奢な肩からまろやかな腰のラインまでを覆うレースのショール。射干玉の髪もしどけなく、伏せた睫毛は濃い翳を刻む。
     そして彼女の周囲には、まるでフラワーシャワーでも浴びたかのように白い花びらが散らばっていた。
     新たにSNSへアップされた怪死写真。
     故人の名は、《槙野(まきの)綾(あや)》。
     趣味で球体関節人形を制作販売しているらしく、写真に写り込んだ人形を画像検索することで身元は簡単に調べられた。
    「どうぞ」
     マホガニー材でできた応接セットの卓上に、しゃれたティーカップが置かれる。
     菜帆の対面へ腰をおろしたのは、椋橋(くらはし)冴子(さえこ)という四十代半ばくらいの女性だ。
     綾は人形制作の工房として彼女の家の倉庫を借りていた。怪死写真の舞台となったのもその倉庫だった。
    「突然の依頼でしたのに、取材にご協力いただいて本当にありがとうございます。いろいろ大変だったんじゃないですか?」
    「そうですねぇ、綾ちゃん、身寄りがなくてね。遠くに遠戚にあたるひとはいるんですけど、ご遺体の引き取りを拒まれちゃって。もうわたしが葬儀も埋葬もやろうと思ってるんです」
     冴子はぽっちゃりとした手で自分の頬を撫でる。ぎりぎり都内とは言え、広大な敷地に立派な家屋、さりげなく並べられた高級家具調度の類が、彼女の裕福な暮らし向きを物語っている。
    「綾さんのご遺体は、今は警察に?」
    「いいえ、葬儀社の安置所に預けてあります。急性心臓死?で、事件性がないからって。夫はわたしが喪主になるのを許してくれたから、焼き場が空くのを待ってるの」
     鷹揚に答えて、冴子はティーカップへ口をつけた。
    「失礼ですが、椋橋さんと綾さんはどういったご関係なんですか?」
     大屋と店子、それ以上のものを期待して尋ねてみる。
     その質問に、冴子は何かを思い出したように、うふふ、と口許を覆った。
    「五年くらい前だったかしら、友達に誘われてハンドメイドクラフトのグループ展へ行ったの。そこで綾ちゃんがお人形を展示してたのよ」
    「球体関節人形ですね」
    「そう、等身大の。ほかのひとの作品はバッグとかアクセサリーとかだからそこそこ買い手がついてたんだけど、彼女の人形、ひとつも売れてなくて。正直、人形よりも彼女自身のほうが印象深かったしね。だって彼女、黒いゴスロリ衣装着てたのよ。当時四十六歳よ? でも、似合ってたの」
     眉をハの字にして冴子が笑う。
    「綾さん、綺麗な方ですものね」
    「でも人形のほうは、綺麗なんだけど、なんかこう、あまり特徴がないって言うか。そもそも等身大の人形なんて、普通のひと、家に置けないしね。だから小さいサイズの人形を作ってくれたら買うわ、って言ったの。わたし、不思議の国のアリスが好きで。テニエルの挿絵のやつ。ああいう感じの人形が欲しいって言ったんだけど、彼女『そういうのはやりません』って。受注販売って言うの? やりたくないんですって」
    「それは……また」
    「このひと本当に芸術家なんだわ、って、その時思って。それ以来のつき合いなの」
     言って菓子皿に盛ったクッキーを摘まむ。
     菜帆は紅茶を飲みながら、さりげなく室内を見回した。壁や棚の上にハンドメイド作品らしきものがいくつか飾られている。だが、球体関節人形はどこにもなかった。
    「椋橋さんもハンドメイドでなにか作られるんですか?」
     壁へかけられたフラワーリースを見ながら尋ねてみる。
     冴子は自分のスマホを取り出すと、
    「わたしは買う専門。不器用だから、細かいことするよりも登山とかヨガとか、体を動かすほうが好きなんです」
     動画を見せる。
    「あ、これはフラのだわ」
     首にレイをかけて腰を振る冴子の姿が再生された。
    「フラダンスですか、楽しそうですね。あの、綾さんが使っていた工房を見せていただくことはできますか?」
    「ええ、構いませんよ」
     もう一枚クッキーを頬張ってから、彼女は菜帆を倉庫へと案内した。
     
     広い庭の片隅に置かれた倉庫は、建売住宅程度の大きさだった。
     半地下風の鉄筋コンクリート造の一階と木造の二階を合わせた、ハイブリッド構造になっているのだそうだ。
    「工房は二階なんですけど、一階にあった荷物を詰め込んじゃってるので今は入れないんです、ごめんなさいね」
     冴子がそう説明しながら鉄の扉を開ける。ひんやりとした冷気が漂ってくる。
    「そうなんですか」
     よく意味が判らないまま、冴子の後ろから中を覗き込む。途端、予想を裏切る光景に、思わず菜帆の動きが止まった。
     窓のないコンクリート剝き出しの壁は、ここが確かに倉庫であることを主張している。
     だが、その壁の前にはレトロな振り子時計が置かれ、部屋の中央にはロココ調の長机が設えられている。そして、まるでその中で生活しているかのように配置された等身大人形達。
     美しくも異様な光景が、仄暗い燈火の下に展開されていた。
    「昨日は綾ちゃんの個展の初日だったんです」
     入り口から短い階段を下りて、冴子が人形達の世界へと紛れ込む。
    「だからお客さんは、最初綾ちゃんのことも展示品だと思ったそうです」
    「では、綾さんが亡くなられているのを発見したのは、展示会に来ていた客だったんですか?」
    「ええ。お客さんに呼ばれて行った時には、綾ちゃんはもう息をしていませんでした」
     壁際のカウチの前で冴子が足を止める。綾の怪死写真に写っていた、あのカウチだ。
    「来客名簿とかってありますか? 結構ひとは来てました?」
     昨日来た客の中に、れいの怪死写真をアップした人物がいる。そう考えての質問だったが。
    「さあ……? わたしはずっと会場にいたわけじゃありませんし、見学料も取ってませんでしたから」
    「そうですか」
     空振りに終わった。
     溜息まじりに冴子がカウチを指でさする。
    「このへんの家具、レンタル料高かったそうよ。最後の個展だからって奮発したのに、本当に残念……」
    「最後、ですか? それはどういう……?」
    「彼女ちょっと病気しちゃってね。なんて病気だったかしら……忘れちゃったけど、最近はあまり人形作りも捗ってなかったんです。仕事もうまくいってなかったみたいだし」
    「綾さん、普段はどんなお仕事を?」
    「確かデータ入力の派遣って言ってました。短期契約の。展示会に合わせて休んだりできるからって。でも病気してからは、だいぶお金にも困っていたみたいで。ほら、五十歳過ぎると急に仕事ってなくなるじゃない? もともとね、作品を預けている倉庫代が大変って聞いてここを貸したんですけど、いっそ住んじゃえば家賃が浮くわよ、って言ったことがあるんです。だけどそれは嫌だったみたい。プライドだったのかしらね」
     しみじみと語って冴子がカウチに腰かける。
     ふとした違和感。
     それがなにによるものなのか、菜帆には判らない。
    「……椋橋さんは、どうしてそこまで綾さんの面倒を……?」
     先程と同じような質問を、もう一度重ねてみる。
     冴子は軽く小首を傾げてから天井を見上げた。
    「わたし、人形を作っている時の彼女のキラキラした目が好きで。普通はこんなお金にもならないこと、そんな一生懸命できないじゃない? でも、彼女の生活の中心は、間違いなく人形制作だったんです。わたしにはそんなに情熱を注げるものなんてないから、憧れちゃったのね、きっと。応援したくなっちゃったの。それだけよ」
     彼女の視線を菜帆も辿ってみる。
     先にあるのは、二階の工房だった。

    ・・・・・ 
     
    (ついてたな)
     自室のデスク上に写真二枚のプリントアウトを並べる。
     落石に埋まった宗篤。
     カウチで急死した綾。
     怪死事件記事のラインナップとしては、いい組み合わせだ。
     正直《ど根性じいさん》だけでは絵面が悪い。ネットで《アート死》のタグがついた綾怪死写真は、菜帆にとってありがたかった。
     後は、この写真をアップしたSNSアカウントの持ち主と連絡がつけば憂いなしだが。
    「……ん?」
     ふと。
     菜帆の視線が綾の写真の上で留まる。それからゆっくりと宗篤の写真へと移動する。
    「え、いや、これ……」
     この時見つけた《奇妙な符合》のせいで、彼女は明け方までパソコンと睨み合う羽目になった。 

    ・・・・・

    「記事の趣旨を替えたい?」
     揚げ饅頭をかじりながら塙が上目遣いに質す。
     週が明けて火曜日。菜帆は再び事務所を訪れていた。
    「菜帆さんがこんなに何度も来るなんて珍しいすよね。お茶、ここ置きます」
     わんこ瑛太が尻尾をぶんぶん振りながら、編集長のデスクの隅へ湯飲みと桜餅を置いてくれる。
    「あの後いろいろ新事実が出てきまして……」
     菜帆は塙のデスク前へオフィスチェアを引き寄せると、鞄からファイルを取り出した。
     先週末、冴子に取材した後。
     宗篤と綾の怪死写真を見比べて、彼女はあることに気がついた。
     花だ。
    「花?」
    「はい。ここ、見てください」
     大きく引き伸ばした写真の一部分を指し示す。
     宗篤の両手の間と。
     綾の髪や床に散らばる花びら。
    「どちらも同じ花なんです」
    「立て続けに起きた怪死事件の現場に、偶然同じ花が落ちていた、と」
     塙が口をもぐもぐさせながら二枚の写真を見比べる。
    「なんの花すか?」
     菜帆の後ろから瑛太が覗き込んだ。
    「たぶんキリンソウ。でも、普通は黄色の花なんだけど」
    「よく山に咲いてるやつよね」
     解せんという面持ちで塙が桜餅へ手を伸ばす。
    「あっ、それ菜帆さんのっすから!」
     すかさず死守する瑛太。
    「なによ、お金払ったのあたしじゃないの」
    「うわー、ケツの穴小せーわー、このひと」
    「お下品なこと言うんじゃないの! だったらあんたのみたらしよこしなさい!」
    「いやっすよ、やっと買えたんだから、新製品のクリームみたらし団子!」
    「クリームとみたらし……」
     菜帆はファイルからもう一枚写真を取り出し、
    「……って、合うの?」
    「そりゃ合うから販売されてるんじゃ……」
    「………」
     じとーっと睨め上げる。
    「すんません、お話続けてください」
     瑛太がしゅん…と項垂れた。
    「これは?」
     新たにデスク上へ置かれた写真を塙が注視する。そこには、鬱蒼と繁る木々の間を流れる用水路と、水中に沈んだ少女の姿が写っていた。
    「抱き合わせに使おうかと思っていた写真です。ネットのまとめサイトで拾ったので、真贋含め詳細はまだ不明なんですが」
    「まるでオフィーリアね」
     写真の少女は、あたかも夢でも見ているかのように穏やかな表情をしている。
     開けるとも閉じるとも意思の定まらない瞼。
     水底に広がる長い髪。
     そして……。
    「あっ、花だ」
     瑛太が息を呑む。
     少女の髪にも白いキリンソウの花飾りが挿してあった。
    「確かに、みっつの怪死現場に同じ花があるとなると、関連を疑わざるを得ないわね。この写真がやらせか否かの判断は別として」
     腕組みをして唸る編集長へ、
    「いえ、よっつです」
     菜帆はもう一枚の写真を提示した。
    「うわ、なんすか、これ?」
     覗き見た瑛太が眉を顰める。
    「キリンソウで画像検索をして引っかかった写真なんですけど、これ、警察の捜査資料を誰かがリークしたものみたいで。なので記事に使うのは難しいですが、情報は豊富でしたよ」
    「キリンソウで……ねぇ。よくそれで引っかかったわねぇ」
     まじまじと写真を見つめて、塙が顎髭を絞る。
    「で、なにが判ってるの?」
    「被害者は近江(おのえ)俊郁(としふみ)、四十二歳。H大の教授です。死亡したのは今から半年ほど前。学内の研究用温室で、ゼミ生と一緒にいる時に急死したのだとか」
    「死の瞬間を目撃した者がいるってこと?」
    「はい。目撃者はその後失踪しているそうですが。ただ、この写真をネットへ上げていたアカウントの中に、同じゼミの学生がいました。連絡もつけられます」
    「……その事件、警察はなんて言ってるの?」
     いつもより幾分低い声音で塙が問う。殺人の可能性があるなら、うかつな扱いはできない。
     だが。
    「『不審だが自然死』。検視でも毒物などは出てこなかったそうです」
    「いや、でもこれ……」
     菜帆の後ろから写真へ手を伸ばし、瑛太が割って入る。
    「目撃者がいたのに、なんでこんなになるまで放っておいたんすかね?」
     汚いものでも触るかのように写真を指で摘まみ上げた。
    「それ、死亡直後に撮られた写真だよ」
    「え、だって……」
     戸惑う瑛太へ、菜帆はにやりと笑って見せる。
    「だから《怪死》なのよ」
     近江俊郁は、胎児のごとく手足を丸めて死んでいた。両腕の間に溢れるほどのキリンソウを抱え込むようにして。
     だが、それが奇異なわけではない。
     不可解なのは、俊郁の全身がうっすらと光り輝いている点だった。
     粘菌に覆われているのだ。
     確かに動物の死骸に寄生するバクテリアやカビを餌として、粘菌が生えることはままある。だが、短時間で成人男性ひとりの体を覆い尽くすまで繁殖するのは尋常ではない。
    「だいぶオカルト(うち)っぽくなってきたじゃないの」
     塙編集長の食指が動いた。
    「いいわ、特集組みましょう。掲載する方向で取材進めてちょうだい。瑛太、土岐多ちゃんのサポート!」
    「アイアイサ!」
     わんこの尻尾が再びぶんぶん振り回された。
    「ありがとうございます。でも、ちょっと意外。編集長はこういうの、実は嫌いなんだと思ってました」
    「ご遺体の撮影が死者の尊厳を傷つけるのではないか、という感覚には賛成よ」
     菜帆の疑問を受けて、塙が宗篤の遺体写真を取り上げる。
    「遺体然り、葬儀然り、それらは本来閉じられた空間、関係性の中でしか見ることの叶わないものだったはずなのよ。だから神秘的なのよね」
     デスクへ頬杖をついて眺める。
    「でもあたしはそういう神秘的なものを、この目で見たい性分なの。だから死者に敬意を払いつつ、撮影者にも感謝するわ」
     写真を菜帆のほうへ返してよこすと、髭に覆われた口角を吊り上げる。
    「売れる記事、期待してるわよ」
    「損はさせませんぜ、げへへ」
     かくして編集長からの完全ゴーサインをゲットした菜帆は、瑛太と共にH大へと向かうことになった。

     
    ・・・・続く 

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