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上手さより つながり

    八田 零

    成果主義の洗脳、趣味まで完璧じゃないといけないと思い込んでいた

    完璧主義、0か100かの思考、プロとの比較、成果や結果、マネタイズの欲望

    本来シンプルなモノを勝手に複雑に解釈して、なにも楽しめなくなってた。

    このnoteもそう。standFMも。文章力をあげたい。うまく話たい。やればやるほど、プロには全くかなわない、自分の稚拙さばかりが気になる。

    もっとうまくならなきゃ届かない。伝わらない。意味がない。

    いつの間にか趣味のはずのnoteは苦行になった。文章力の本は、レベル差を感じすぎて読めなくなった。書く技術、伝える技術を途中でほっぽりだして、文章術100は80で停止した。

    自分では気づいていない。楽しめてないとも思ってないし、思考が片寄ってるとも気づいていない。

    ただただ、うまくならないと意味がない。

    そう本気で信じていただけだ。
    1年以上続けたブリッジやベース、写経などは全く上達しない(そんなことはない)のに辟易して捨てた

    実際は、自分なりにはかなり上達していたのだが、見本にしている動画のインフルエンサーと比較して絶望して辞めた。

    トッププロの動画を参考にしてるから、比較しても仕方ないのに、ああはなれないと思った。いや、そりゃそうだろ

    当たり前のことを受け入れられなかった

    情報が溢れすぎた時代

    スキルや上手さだけを追求すると上には上がいくらでも見つかる。いつの間にか自分の得意なこともクソにしか見えなくなった。

    なにやってんの?コレ?

    自己否定の沼。ただ、メンタルは強いので努力で限界突破するだけだ。とやり続ける。壁がよりはっきりと見える。絶望ループ。

    やればやるほど、面白くなくなった。

    執着を手放す

    最近、いろいろあって、自分の情熱だと思っていたことが執着だったり、好きが欲望だったり気づきました。

    うまくなりたいのも、よく見られたい、スゴいと言われたい。そんな自己承認欲求の表れかなと思うようになりました。

    内面を深掘っていくとうまくなりたい欲求はどこから来てるのか?

    うまければうまいほど、仲間ができると思ってた。いや、うまくないと仲間なんてできないと思ってた。

    求めてたのは、スキルよりつながりだったんだと気づいた。

    うまさよりつながりの方が強い

    競技や仕事ではなくて、趣味だからね
    スキル追求よりも、一緒にやって楽しいね
    と言える人がいるだけで良かった。

    そして、仲間がいると続けられる

    学生時代の部活や趣味で知ってたはずのことをいつのまにか忘れてた

    うまさより繋がり

    こんな簡単なことを理解するまで
    48年間使い切りました。

    とはいえ、コレが最速
    今日からも楽しくなりそうです

    ありがとうございました。

     
     
     
    長期・分散・インデックス投資。 正解は、たぶん知っている。 それでも、自分で何かを試したい。 誰に聞けばいいのか、わからない お金の話。 『投資が今より楽しくなる』 そんな小説を書いています。 寄付を文化にする「かつおクラブ」も応援中。 ※Amazonアソシエイト利用

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