椿呪
子供の頃から、僕は同じ夢を何度も見ていた。
見知らぬ窓辺に立ち、少し高い場所から外を眺めている。
早朝だったのか、世界はうっすらと光に滲んでいた。
畦道の脇、草に沈んだ古びたバス停。
その前に、一人の男が立っていて、使い古した鞄を片手に静かにこちらを見ていた。
どうしてだろう、目が逸らせない。
僕を見ているようでもあり、別の誰かを見ているような……そんな気がした。
風が吹き、風鈴のような音が朝靄に溶けていく。
部屋には、椿のような甘い香りがほんのり漂っていた。
夢はいつもここで終わる。
湿気が肌にまとわりつくたび、僕は幼い頃のある出来事を思い出す。
親が共働きだったので、学校が終わるとまっすぐ祖父母の家に帰るのが日常だった。
祖母は穏やかで、僕と妹が来るたびに色んな甘いお菓子を用意してくれた。
僕と妹の話をにこにこしながら頷いて聞いてくれるので、妹はどんどん饒舌になっていった。
あの日も、僕はいつものように祖父母の家に立ち寄った。
妹は習い事で帰りが遅くなるので、その日は僕一人だけだった。
居間でテレビを眺めていると、祖父が誰かと話す声が聞こえた。
物静かで口数の少ない祖父だったので、なんだか物珍しさに興味が沸いて、僕は静かに縁側を抜けて庭へ向かった。
庭には一本の椿の木がある。
風に混じって、椿の香りが鼻をくすぐった。
こっそり顔を出してみると、祖父はその椿の木に向かって一人で立っていた。
祖父以外、誰もいなかった。
いつも寡黙な祖父だったが、その時ばかりはゆっくり頷いたり時々天を仰いでは笑っていた。
なんだか知らない人のように思えてしまう。
祖父は僕の気配に気付いたのか、ゆっくりと振り返った。
「……おぉ、悠真。」
笑顔の余韻で目尻が垂れ下がっていた、あまり見た事のない祖父が真っ直ぐこちらを見ていた。
笑っているけど、どこか上の空のような、目は合っているのに合っていない、そんな顔をしていた。
ゆっくりと手招きをしながらこっちにおいでと言ってるような視線を送られ、少しためらいがちに祖父のもとに駆け寄った。
しわしわの掌で 頭を撫でられた感触は、いつもと変わらない。
「見ろ、綺麗に咲いてるだろ」
「…うん」
僕にとってはただの椿だったけど、祖父は毎年こうやって椿が咲くと毎日のように愛おしそうに眺めていた。
笑顔なのに細めた瞳はどこか悲しそうにも見えて、僕はそんな祖父の服の裾をぎゅっと握った。