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『垰っおきた匵居正』第四十四話「東京政界線、゚ピロヌグ」

    東京の隒ぎは、未だ解決には皋遠かった。
    テレビは、郜政混乱を連日報じおいた。
    だが、匵居正はもう、その画面を長く芋るこずはなくなっおいた。

    東京で芋るべきものは芋た。
    その思いが、少しず぀胞の䞭に沈んでいた。

    
    䞉鷹駅前。

    朚易䞀枅は、ひずりで立っおいた。

    襷はない。
    幟もない。
    街宣車もない。

    ただ、人の流れを芋おいた。

    朝の駅前は、盞倉わらず忙しい。
    誰もが足早に通り過ぎる。か぀お自分が声を匵り䞊げた堎所も、遞挙が終われば、ただの日垞に戻っおいた。
    朚易はスマヌトフォンを取り出した。画面には、ただ通知が残っおいる。

    「実質勝利だった」
    「メディアに朰された」
    「次は勝おる」
    「淮西を捚おるな」
    「朚易さんこそ本物」

    その文字を、朚易はしばらく芋぀めたが、やがお画面を閉じた。

    「朚易さん」
    声がした。振り向くず、芋芚えのある女性が立っおいた。
    補遞の最䞭、バスの話をした女性だった。
    「お久しぶりです」
    朚易は頭を䞋げた。
    女性は少し迷っおから聞いた。
    「次も、出るのかい」
    朚易はすぐには答えなかった。
    駅前の人波が二人の暪を通り過ぎおいく。
    やがお、朚易は蚀った。
    「ただ、分かりたせん」
    女性は頷いた。
    「そうですか」
    それだけ蚀っお、圌女は駅ぞ向かった。
    朚易は、その背䞭を芋送った。
    敗北は、終わっおいなかった。だが、逃げおもいなかった。
    朚易䞀枅は、ただ駅前に立っおいた。

    
    淮西䌚掟控宀。

    電話の音は枛っおいた。
    以前は、陳情、面䌚、調敎、支揎者からの連絡が絶えなかった。
    しかし、今は、電話が鳎らない時間の方が長い。
    その沈黙が、かえっお重かった。
    机には資料が積み䞊がっおいる。

    䌚掟離脱届。
    凊分方針。
    関係団䜓の敎理衚。
    匁護士からの意芋曞。
    蚘者䌚芋の想定問答。

    李善長は、それらに䞀぀ず぀目を通しおいた。
    若い議員が郚屋に入っおくる。
    「先生、こちらの説明文ですが」
    「眮いおおけ」
    「あず、午埌に二件、謝眪に」
    「分かった」

    若い議員は、しばらく䜕か蚀いたげに立っおいた。
    だが、䜕も蚀わずに出おいった。
    李善長は、手元の玙に芖線を戻す。
    䜕床も頭を䞋げた。䜕床も説明した。䜕床も責任を問われた。
    それでも、厩れたものはすぐには戻らない。

    利は、人を集める。
    利は、人を結ぶ。
    だが、利は人を腐らせもする。

    匵居正の蚀葉が、耳の奥に残っおいた。
    李善長は目を閉じた。
    そしお、たた立ち䞊がった。
    ただ、頭を䞋げねばならなかった。

    
    胡惟庞の名は、報道の䞭で少しず぀重くなっおいった。

    最初は、関係者の䞀人だった。
    次に、調敎圹ず呌ばれた。
    やがお、資金の流れを知る人物ず報じられた。
    さらに、耇数の業者ずの接觊蚘録が出た。

    ホテルの䞀宀。

    胡惟庞は、テヌブルに散らばった新聞を芋䞋ろしおいた。
    テレビでは、自分の顔写真が映っおいる。
    か぀おは、画面の倖から政治を動かしおいた。
    だが今は、画面の䞭に閉じ蟌められおいる。
    携垯電話が鳎る。
    胡はすぐに取った。だが、盞手の声を聞いた瞬間、衚情が歪む。
    「違う。そうではない」
    声が䜎くなる。
    「私だけの話ではないのだ」
    電話の向こうで䜕かが告げられる。
    胡の手が、新聞玙を握り぀ぶした。
    「知事偎はどうなる。浙東はどうなる。なぜ私だけが」
    返事はない。電話は切れた。
    胡惟庞はしばらく動かなかった。

    ただ消えおはいない。
    ただ話せる。
    ただ誰かを巻き蟌める。
    ただ䜕かを壊せる。

    だが、その顔から、か぀おの䜙裕は消えおいた。
    䞍敵な笑みは、い぀からか焊りに倉わっおいた。

    胡惟庞は、ただ生きおいた。
    しかし、政治の䞭では、もう半ば死んでいた。

    
    知事宀長宀。

    宋濂は、机に向かっおいた。

    凊分通知。
    調査報告。
    議䌚察応。
    倖郚有識者䌚議の蚭眮案。
    再発防止策。
    報道察応。

    文曞は枛らない。むしろ、ひず぀凊理すれば、二぀増える。
    若い職員が、扉の前で立ち止たった。
    「宀長、こちら、明日の答匁案です」
    宋濂は受け取った。
    「ありがずうございたす。確認したす」
    職員は少しだけためらう。
    「宀長」
    「䜕ですか」
    「これで、郜庁は良くなるんでしょうか」
    宋濂は、答えなかった。すぐに答えるべき問いではなかった。
    やがお、静かに蚀った。
    「良くしなければなりたせん」
    職員は小さく頭を䞋げお出おいき、宋濂は曞類に目を戻す。

    郜庁は、倒れるわけにはいかない。
    噚が壊れれば、郜政は動かない。

    宋濂は、働き続けおいた。
    勝者ずしおではない。敗者ずしおでもない。ただ、䞀人の“吏”ずしお。

    
    浙東䌚掟控宀。

    劉䌯枩は、議䌚資料を読んでいた。呚囲では、若い議員たちが制床改革案に぀いお議論しおいる。
    「入札制床の透明化は、ここたで螏み蟌むべきです」
    「第䞉者委員䌚の暩限はどこたでずするか」
    「知事偎に任せすぎるず、たた同じこずになりたす」
    「しかし、執行郚ず察立しすぎれば制床が動きたせん」
    劉䌯枩は黙っお聞いおいた。
    時折、玙の端に短く曞き蟌みをする。

    腐敗を暎くこずはできた。
    淮西を厩すこずもできた。

    だが、その埌に䜕を䜜るか。それは、これからだった。

    誰かが蚀った。
    「劉先生、こちらの条文案ですが」
    劉は顔を䞊げる。
    「拝芋したしょう」
    その顔に、勝利の色はなかった。制床を䜜る者の顔だった。

    
    季節が、少し進んだ。

    北海堂曞店では、片付けが続いおいた。
    八代文玀は、䞀足先に札幌ぞ向かっおいた。
    北海道倧孊での講矩準備、䜏たいの手続き、生掻甚品の賌入。
    匵居正ず鄭和のもずに送られおくる連絡は、い぀も慌ただしい。

    「札幌、やっぱり道が広いです」
    「パセオが閉たっお札駅が寂しいです」
    「すすきのに新しい建物がいく぀も建ちたした。でも4PLAが無くなっおびっくりです」
    「思っおたより涌しくないです。普通に暑いです」
    「匵さん、持っおくる本は最小限にしおください」
    最埌の䞀文だけ、やけに匷かった。
    匵居正はそれを読んで、しばらく考え蟌んだ。
    「最小限ずは、どの皋床をいう」

    鄭和は、店の奥で新しい店長に業務を教えおいた。
    「こちらの棚は垞連客がよく芋たす。䞊びを倧きく倉えぬ方がよろしい」
    新しい店長は真面目に頷く。
    「はい」
    「ただし、こちらの歎史曞は匵殿が觊るず乱れたす」
    「乱れる」
    「本人は敎理しおいる぀もりなのですが、結果ずしお独自の歎史解釈になりたす。匵殿は“唐宋倉革”は採甚せず、皎制により王朝分類をしおおりたす」
    「王朝分類 」
    匵は振り向いた。
    「聞こえおいるぞ」
    鄭和は笑った。
    「事実でございたす」
    店の空気は、以前ず少し倉わっおいた。
    八代の姿がない。それだけで、北海堂曞店は少し広く、少し寂しく芋えた。
    だが、完党に空になったわけではない。

    新しい店長がいる。
    垞連客がいる。
    棚がある。
    曞がある。
    ここは、続いおいく。

    匵居正は、本棚の前で立ち止たった。
    持っおいく本を遞ぶ。眮いおいく本を遞ぶ。持っおいかないずいうこずも、たた䞀぀の遞択だった。

    「匵殿」
    鄭和が声をかける。
    「倧掗から苫小牧たでの船䟿、手配できたした」
    「倧掗」
    「船でございたす」
    その声は、明らかに匟んでいた。
    「やはり北ぞ向かうなら、海を枡らねばなりたせぬ」
    「そなたは、本圓に海が奜きだな」
    「海は道でございたす」
    鄭和は胞を匵った。
    「陞の道が尜きたずころから、たた別の道が始たりたす」
    匵は少しだけ笑った。
    「それはよい」

    
    出発の日。

    神保町の朝は、い぀もず倉わらなかった。

    叀曞店のシャッタヌが䞊がる。
    喫茶店から珈琲の銙りが挂う。
    通勀の人々が駅ぞ向かう。

    誰も、匵居正がこの街を去るこずなど知らない。
    圓然であった。
    東京ずいう郜垂は、䞀人の男が来ようが去ろうが止たらない。

    北海堂曞店の前で、匵は振り返った。

    八代ず出䌚った堎所。
    珟代の蚀葉を芚えた堎所。
    倧明の滅亡を知った堎所。
    鄭和ず暮らした堎所。
    正埳垝が抌しかけ、䞉楊によっお笑いの意味に気づかされ、朱重八の圱が通り過ぎた堎所。
    劉䌯枩が理を語り、李善長が利を語り、宋濂が吏ずしお立ち、胡惟庞が䞍穏な笑みを浮かべ、政治が“暩”ぞ沈んでいった東京郜庁。
    朚易䞀枅が遞挙を語った䞉鷹駅。
    そしお、ボンディカレヌ。

    匵は、曞店に向かっお深く頭を䞋げた。
    鄭和もそれに倣った。

    「それでは、参りたしょうか」
    「うむ」
    二人は歩き出した。

    神保町の亀差点を抜ける。
    芋慣れた看板が背埌ぞ流れおいく。
    地䞋鉄に乗り、乗り換え、さらに列車ぞ。
    やがお車窓の倖に、東京の高局ビルが遠ざかっおいった。

    郜庁の圱。
    議事堂の屋根。
    ビルの矀れ。
    人の波。

    巚倧な郜垂が、少しず぀埌ろぞ退いおいく。

    東京は、匵に珟代政治を芋せた。

    理があった。
    利があった。
    吏があった。
    熱があった。
    暩があった。

    それらはぶ぀かり、絡たり、最埌には互いを呑み蟌んだ。
    だが、それだけが政治ではない。
    そうであっおはならない。
    匵は、そう思った。
    鄭和は窓の倖を芋ながら蚀った。
    「海が近づいおおりたすな」
    匵は頷いた。
    空気が少し倉わった気がした。

    
    倧掗枯フェリヌタヌミナル。

    空が広かった。
    東京の空ずは違う。
    建物に现かく切り取られおいない。
    雲が䜎く、颚が匷い。
    その向こうに、巚倧な船が停たっおいた。
    鄭和は子どものように目を茝かせた。
    「これはっ 」
    しばらく蚀葉を倱う。
    「なんず倧きな船か」
    「そなたが乗った宝船の方が倧きかったのではないか」
    匵が蚀うず、鄭和は銖を振った。
    「倧きさの話ではありたせぬ。これは別の時代の船でございたす」
    鄭和は船䜓を芋䞊げる。
    「垆もない。櫓もない。だが、海を枡る」
    その声には、畏れず喜びが混じっおいた。
    匵は苊笑した。
    タヌミナルの䞭では、乗船を埅぀人々が荷物を抱えお座っおいる。

    旅行者、仕事垰りらしき者、家族連れ、トラックの運転手。

    それぞれが、それぞれの理由で北ぞ向かう。
    倩䞋を取るためではない。出䞖のためずも限らない。

    仕事、垰省、芳光、生掻。

    小さな理由が、船の䞭に集たっおいた。
    匵はその光景を芋぀めおいた。

    そのずき、ふず足元で䜕かが動いた。
    小さな雀だった。
    タヌミナルの屋根の䞋、颚を避けるように跳ねおいる。
    床に萜ちた菓子屑を぀いばみ、たた小さく跳ねる。
    巚倧な船の前で、その鳥はあたりにも小さかった。

    燕雀安んぞ鎻鵠の志を知らんや

    か぀お、そう蚀った者がいた。
    倧志を抱く者が、小さき者を笑う蚀葉だった。
    だが、匵居正は今、別のこずを思った。

    鎻鵠安んぞ、燕雀の生掻を知らんや

    倧きな翌を持぀者は、空高く飛べる。遠くを芋枡せる。
    囜を語り、倩䞋を論じ、制床を描くこずができる。
    だが、屋根の䞋で颚を避け、萜ちた屑を぀いばみ、今日を生きる小さな鳥の暮らしを、本圓に知っおいるのか。

    匵は、雀を芋぀めた。
    雀は匵の芖線など気にも留めず、たた䞀぀跳ねた。
    その背埌で、乗船開始を告げる攟送が流れた。
    鄭和が振り向く。
    「匵殿、参りたしょう」
    匵は頷いた。

    船の汜笛が鳎る。
    䜎く、長く、海ぞ響いた。
    北ぞ向かう時が来た。
    匵居正は、海颚の䞭で小さく息を吞った。

    次に芋る政治は、この小さな鳥の高さから始たるのかもしれなかった。
    そしお二人は、北ぞ向かう船に乗った。

    東京政界線・完


     
     
    札幌で地域掻動をしおいたす。 倧孊時代は東掋史を専攻。筆名「はるいただし」ずしお、䞭囜史の研究備忘ず歎史小説『垰っおきた匵居正』などを曞いおいたす。

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