
世界線の海で⑥
~世界線の海で~
あらすじ
すべての声には、届く先がある。
彼女の声だけが、十数年、届く先を持たなかった。
——しのはら……とおるくん。
呼び止めている、と観測者たちは思っていた。
違った。あれは、送り出しの声だった。最後の一語だけが、千切れて、届かなかった。
季節が一つ巡り、数値は線を越える。篠原透の席が、静かに、回収され始める。婚姻届から。名簿から。同僚の記憶から。
幼なじみの記憶だけが、それに抗う。
起点を失っても揺らがない、理由のない想い。
無数の具体で編まれた、理由だらけの想い。
装置は、もうない。操作盤も、ない。あるのは——覚えている、という、たった一つの動詞だけ。
「——何回消えても、俺が、覚えてる」
これは、千切れた一語が、ようやく届くまでの話。
そして、世界線の海で始まった物語が、世界線の海で、終わる話である。
プロローグ 合ってる音
時間の、ない場所で、彼女は、音を探している。
何万本の、同じ旋律。
全部が、少しずつ、違う調で鳴っている。半音。四分音。もっと細かい、名前のつかない、ずれ。
その中に、一つだけ。
ぴったり、合った音が、ある。
彼女は、それが、どの音か、知っている。
知っているのに——届かない。
彼女は、ずっと、一つの言葉を、言い続けている。
名前の、続き。
たった、一語。
言うたびに、千切れる。
千切れた分だけ、声は、強くなっていく。
強くなった声を、地上の観測者たちは、長いあいだ、別の名前で、呼んでいた。
——これは、その声が、ようやく、届くまでの話だ。