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カラフルとモノクロのはざまで③

    第1章 2.ハンカチ箱

    彼女にはお気に入りの場所があった。

    洗面所の片隅に置かれたハンカチ箱の前だった。

    箱の中には家族が使うハンカチが入っている。

    けれど彼女にとって、その箱はただのハンカチ入れではなかった。

    宝物箱だった。

    母が使い古して捨てた口紅。

    どこかで見つけた割れた手鏡。

    宝石のように光るガラスのかけら。

    道端で拾った鳥の羽。

    誰かにとってはゴミでも、彼女にとっては大切な宝物だった。

    それらを箱の底に隠していた。

    時々、箱を開ける。

    割れた手鏡を取り出し、残った口紅を唇に塗る。

    鳥の羽を髪に飾る。

    すると自分が少しだけ別の誰かになれた気がした。

    ハンカチ箱の前は、彼女だけの秘密基地だった。

    そして同時に、別世界への入口でもあった。

    そこに座っていると、意識がゆっくりと遠くへ行く。

    身体は洗面所にある。

    そのことは頭の片隅でわかっている。

    だから眠っているわけではない。

    夢でもない。

    けれど現実は遠ざかり、別の世界が広がっていく。

    その世界はいつも同じだった。

    何もない広い空間。

    そこには色のついた巨大な積み木がある。

    赤。

    青。

    黄色。

    緑。

    彼女はそれを積み上げる。

    高く。

    もっと高く。

    崩れないように慎重に。

    積み木はやがて塔になり、城になり、大きな建物になる。

    彼女はその作業が好きだった。

    夢中になって積み上げ続けた。

    けれど完成が近づくと、決まって何かが起きる。

    ある瞬間、建物が壊されるのだ。

    誰が壊したのかはわからない。

    何が壊したのかもわからない。

    そこに生き物がいたのかどうかさえ思い出せない。

    ただ、彼女が大切に作り上げたものは崩れてしまう。

    それだけははっきり覚えている。

    そして彼女は泣いた。

    怖かったからではない。

    悔しかったのだ。

    悲しかったのだ。

    怒っていたのだ。

    時間をかけて積み上げたものが壊される。

    大事なものを奪われる。

    その理不尽さが許せなかった。

    彼女は泣き叫ぶ。

    声にならない声をあげる。

    怒りながら走る。

    悲しみながら走る。

    何かから逃げているようでもあり、どこかへその怒りをぶつけようとしているようでもあった。

    何から逃げていたのかはわからない。

    追いかけてくるものがあったのかどうかもわからない。

    ただ、胸の中にはどうしようもない感情だけが渦巻いていた。

    悔しい。

    悲しい。

    許せない。

    その感情はどんどん大きくなる。

    走っても消えない。

    叫んでも消えない。

    そして怒りと悲しみが頂点に達した瞬間。

    突然、現実へ戻る。

    気づけば洗面所だった。

    ハンカチ箱が目の前にある。

    家の音が聞こえる。

    母の気配がする。

    外を見ると、昼だったはずなのに夕方になっていることもあった。

    何時間もそこに座っていたこともあったと思う。

    今思えば五時間くらい過ごしていた日もあったかもしれない。

    けれど彼女は不思議だとは思わなかった。

    みんなにも同じ世界があると思っていたからだ。

    だから誰にも話さなかった。

    今になっても、あれが何だったのかはわからない。

    空想だったのか。

    意識の奥にあった世界だったのか。

    子どもだけが行ける場所だったのか。

    ただひとつ確かなことがある。

    彼女は何度もその世界へ行き、何度も建物を作り、何度も壊されて泣いた。

    そして怒りが頂点に達するたび、現実の世界へ戻ってきたのである。

     
     
    水辺が好き 絵を描くことが好き 言葉が好き 匂いと色と記憶を集めていきています 不器用で衝動的で人との距離感が少し苦手だけど その時々で夢中になれるものを見つけてきました 『カラフルとモノクロのはざまで』連載中 時々、魚を追いかけています

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