呪われし初心
僕が小説を書こうと思い立ったのは、小学五年生の内にいわゆる「中二病」を卒業し、中学生に入って「物語を作りたい!」となったのがきっかけだ。
そもそも中二病というものは、精神が発達する過程で理想と現実の間のギャップに苦しみ、その不可に耐えられなくなった人間が罹る病である。
儘にならない現実を前に、それでも自らの心を守るため、自分い様々な設定を付加することで、かりそめの強い自分を創造する訳だ。
小学五年生にしてそれを愛剣した僕は、その時点で、自分が変わり者であることを自覚して来ていたのだろう。
当時はスマホはもちろん、旧来の携帯電話もパソコンすら、一般家庭には普及していなかった時代。手書き以外で文字を出力するすべは、親が持っていたワープロだけ。
だから僕は、親にねだって当時の記録媒体であったフロッピーディスクを一枚融通してもらい、空いた時間にワープロを膝に乗せて、拙いタイピングでカタカタと物語を綴っていたのである。
もちろん、当時の僕はまだ夢見がちな子どもに過ぎなかったので、『僕の考えた弱点なんてない最強の主人公』が登場するだけの、稚拙なものだった。
当時は絵を描くことも好きだったし、マンガ家を目指そうと思ったこともある。
専門学校に通って絵の勉強をし、卒業後も絵を描く練習を続けてはマンガを描く日々。
しかしそうこうしている内に自分が本当にやりたいことは違うという違和感が膨らんで行き、結局、専門学校卒業から二年で、マンガ家への道を自ら断ってしまった。
再び創作の道に戻って来たのは、社会人になり、ストレス社会に惨敗して、うつ病を発症した後のこと。自分には何も成すことはできないのだと日々管を巻いていた当時の僕は、自己嫌悪の末に、それでも残った何かを形にしたくて、唐突に筆を執ることになる。
そのころには実家にも家族共用のパソコンが一台設置されており、比較的執筆を再開する環境が整っていたことも、大きな要因であったのだろう。取り憑かれるようにして紡いだ物語は、度重なるリライトと推敲の末、第二十八回電撃小説大賞で二次選考通過まで行く結果となった。
今の僕からすれば、それすら拙い文章であったと思うところではあるが、あの日芽生えた熱量は、今もこの胸の内を熱く焦がしている。
あれから何度も壁にぶつかったし、くじけそうになることもあった。しかし、それでも筆を止めることはなかったのだから、創作こそが僕の生きる意味なのだと、そう思ったのは間違いない。
世の中には「楽しく書く」がモットーの人もいるだろうが、僕はそうはなれなかった。僕にとって執筆とは、自分の心の傷をえぐり取って、その血肉を言の葉に変換する行為。
物語世界に深く潜れば潜るほど、払うべき代償は膨れ上がり、強烈な痛みを伴う。
僕の物書きとしての師になってくれた人は、いつも僕にこう言った。「俺たちはどこまで行っても人生の復讐者だ。だから孤独であり続けるしかない」と。
それは一種の呪いであり、呪縛でもあるだろう。人生の不幸こそが僕の魂を動かす燃料に他ならず、当たり前の幸せを求めたら、その時点で自己が崩壊する。
真っ当に生きるには邪魔で、しかし今の僕を生かしているのはそれでしかなく、創作をする上では欠かせない重要なもの。
今更それは変えられないし、返るつもりもない。故にこそ、誰にも認められず、誰かの祝福を得られずとも、僕は創作し、物語を綴り続けるだろう。この身、この心がすり減り、動かなくなるその時まで。
変わり者であるが故に人と馴染めず、変わり者であるが故に生じた周囲との摩擦で心が壊れ、そのくせ自ら命を断ち切ることもできず、這いつくばるようにして惨めに生き延び、結局生きる意味を創作にしか見出すことができなかった人生の敗北者。
創作は、かつての幼い僕が抱いた夢であり、今年で四十一を迎えた僕を生かす呪いであり、いずれ辿り着く僕の人生の終着点と言えよう。つまり、初心にして奥義。それが僕の創作観だ。
幼い頃に描いた夢の残滓は、形を変え、確かにこの胸の内で、今も負の色をした炎を燃え上がらせているのだから。
この不幸に煮凝りから生じた物語が、いつか誰かを不幸のどん底から救い出す祝福に変わることを信じて、今日も僕は筆を執る。
こんな悲しき獣に等しい僕の覚悟が、この文章を読んだあなたの胸に少しでも刻まれたとしたら、それはとても喜ばしいことだ。