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「ちゃんと喜んだかな?」が強かった|与える人の承認欲求

-以前はもっと「役に立てた」か確認していた-


以前はもっと
「相手がちゃんと喜んだか」
を気にしていた。




例えば、弱った相手に
会いに行き、用事をする時




どこかで相手を励ましたり
元気づけたりポジティブな影響を
与える必要性を感じていた。




愚痴をたくさん聞いてあげ
受け入れて、明るい思考に
もっていくとか。




そうなんだ。
大変だね。
希望は叶うよ。
大丈夫だよ。




締めをプラスにすることで
自分自身が安心していた。





相手の反応、表情や
「喜んでくれたかな?」
「来てくれたって思ったかな?」
など、確かめようとしていたはず。





でも、今はそれがほとんどない。
いつものように話して終わり。
ただそれだけ。





気遣いはしたとしても
自分が相手を「大丈夫」にする
必要性は感じてない。





愚痴も聞くけど、ただそれだけ。
明るい話題に切り替えたり
ポジティブに話を終わらせようと
あまり思わない。




いつも通り。
普通のまま。




「それじゃあね」と別れてから
そういえば、昔だったらもっと
自分が与えた印象を気にしてかもと
思いました。




そういうのがなくなると
「せっかくやってあげたのに」
と思わなくなると感じます。




誰かの事を一生懸命
「大丈夫」にしてあげると
「やってあげた」差額を
どこかで欲しくなると思うので。




自分が自分であるだけで
助かってると感じます。




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