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“時間がない”という言葉に、自分への無関心が隠れている

    はじまりの時間、自分に戻る小さな行動

    朝、水を飲む。背筋を伸ばす。深く深く呼吸をする。その瞬間、私はようやく「自分に戻った」気がする。それは、誰かに見せるためでも、生産性を上げるためでもなく、ただ「私が私であること」を確かめる時間。

    日々の暮らしの中で、私たちは、気づかぬうちに自分を見失ってしまう。だからこそ、静かに自分を呼び戻す時間が必要になる。私はこの自分のための時間と行動ルーティンを儀式と読んでいる

    燃え尽きた私 ― 生産性に支配された日々の果てに

    かつての私は、すべてを「うまくやろう」としていた。仕事を詰め込み、睡眠を削り、人より早く長く動くことで、すごい人みたいになろうとしていた。。いつも誰かの目を気にして、分かりやすい成果ばかりを追いかけていた。効率とスピードを追い求めるうちに、心が疲れていることにさえ気づけなくなった。

    やることリストを消化することが目的になり、自分の感情や身体の声は、どこかに置き去りになっていた。そしてある日、ぷつんと糸が切れたように、何も手につかなくなった。起き上がるのも億劫で、心も身体も動かなくなった。そんな日々が、しばらく続いた。何やってんだろう、布団の中で弱い自分をなんど責めたことか。

    ゆるやかに変わっていった ― 国を越えて出会った新しい価値観

    燃え尽きたあとの私は、自然と場所を変えるようになった。呼ばれるままに台湾、ベトナム、そして今いるインドネシア。暮らす場所を移す中で、異なる文化や人との出会いが少しずつ、「こうあるべき」や「常識」と思い込んでいたものをほどいていった。

    そのうち自然に、私は毎朝決まったことを行うようになった。水を飲み、瞑想し、ヨガをして、ジャーナリングをする。そして部屋を整える。以前の私にとっては、それらは「効率のため」の行動にすぎなかった。瞑想を始めたのは10年前だったけど、それは最先端と当時の私が思い込んでいたシリコンバレーで流行っていたから…だったし。

    しかし今は、それらの時間を通して「私はここにいる」と、自分を呼び戻している。だからこそ私は、それらを“儀式”と呼んでいる。

    忙しいときにルーティンなんてできないって思うけど

    もしかすると、こう思う人もいるかもしれない。「そんな儀式に時間をかけるなんて、忙しい毎日には無理だ」「いいのは分かっている。でも、やっぱりできない」と。それは、よーく理解できる。実際、私も長くそうだった。朝は慌ただしく、やるべきことに追われていた。そんなゆったりした時間を持つなんて、とてもじゃないけど無理と思っていた。

    だけどあるとき、私は自問した。本当に「時間がない」からできないのか?それとも、無意識に自分を“後回しにする癖”があるだけじゃないの?って。

    自分を後回しにする癖 ― 小さな誤解が習慣になる

    今だから分かる。心を整えることや、自分に戻る時間をつくることは、特別なことではない。だって自分はここにずっといるんだからね。

    大げさな準備も、立派な道具も必要ない。白湯を飲む、背筋を伸ばす、深呼吸する。たったそれだけでも、自分との関係は静かに変わり始める。時間がないのではない。みんな「自分のことは後回しでも大丈夫」と思い込む癖が根付いてしまっているだけ何だと思う。

    私は、そうした長年の思い込みに気づいてから、ほんの数分の儀式(ルーティン)を大切にするようになった。どうしても予定が入る朝は儀式をスキップして夜に回すし、立って背伸びをするだけでOKとする朝もある。小さな小さな儀式。

    それでも効率を求めていた頃よりも、心は穏やかで軽やかになった。そして何より、「自分を無視していない」という感覚が、確かな自信と安心を育ててくれる。

    呼び戻すという儀式 ― ほんの数分で世界は変わる

    今の私にとって、朝の習慣は「祈り」というよりも、“自分を回収するための呼び戻し”である。起きて活動している間、そして寝ている間にフラフラどこかへ飛んでいってしまった意識、昨日の出来事に引っ張られた思考、人の言葉に染まりかけた感情。それらを、静かに少しずつ手放し、私を自分の中心へと戻していく。それが、私にとっての“儀式”である。

    誰にも見られなくても、何も生み出さなくても、関係ない。私が私として生きるために淡々としているだけ。

    最後に ― あなたは、いつ自分に戻って来るの?

    忙しさに追われる毎日の中で、自分を置き去りにしていない?「やるべきこと」に支配され、「どう見られるか」に疲れ、気づけば“自分の声”がどこかへ消えてはいない?

    儀式とは、誰かのためのものではない。あなたが、あなた自身に還るためにある。特別なことをする必要はない。水を飲む。部屋を整える。静かに目を閉じる。そうした小さな行動に、「私はここにいる」という意志を込める。それだけで、自分とのつながりは徐々に回復していく。

    自分と向き合う時間を、ほんの少しでも持つこと。それは、人生をやわらかく、確かなものに変えていく最初の一歩である。

    あなたにとっての“儀式”は、なんであろうか。効率のための朝活ルーティンじゃなくて、自分のための儀式を始めよう。
    それを、今日から始めてほしい


     
     
    バリ島で暮らしながら、心と現実を自由に遊ばせる。自然に抱かれ、自分を生きる力を育むヒントを届けています。セルフラブ / 海外生活 / 子育て。

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