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【自己紹介】あたしは死とともに生きる───2026年3月4日

物心ついた頃にはすでに、
死にたいと願っていた。

子どもの頃から、
まともさの欠片もない、
生き地獄の人生。

いまも、両親が勝手につけた(下の)名前と、
両親と同じ(上の)苗字が記載されている、
戸籍とかいう社会制度を、
あたしは激しく嫌悪しており。

戸籍上の本名であたしを呼ぶことは、それじたいひとつの侮辱行為として受け取ります。





♡♡





子どもの頃からずっとずっと、
あたしはこの世が大嫌いで、
はやく死にたいと願ってきた。

とはいえ、
激しすぎる自殺願望は
いつしかすっかり消え失せて。

おもしろいですよね??
『死にたい』というのだって、
ひとつの“願望”ですからね。

もしも、
前向きな、明るい気持ちで
それを願うことができるのなら、
『前向きな願望を抱くのは良い事です』
ということになります。

おそらく、
これを体験した者はきわめて少数で、
多くの者には共感される内容ではなく、
言葉で記述して意味が伝わるものなのかは、
まったく定かではないのだが。








『死にたい』とか
『生きていたくない』という、

あたしにとっては、
きわめてきわめてきわめてありふれた、
『いつもどおりの想い』を
いつものように想うとき。

むかしは、
とくに子供の頃はね、
それはそれは『嫌な気持ちとともに』
死の願望を味わっていたものです。

それに対して、
いまでは、
死を想起することそれじたいが、
あたしにとって心地よい安らぎの時間。

あぁ!やっとお迎えがやってくる💕💕💕
とでもいうような。




あたしは
『引き寄せの法則』や
それ以外の願望実現法を
たくさん学んできたので。

そちらの尺度を用いて説明すると、
『なにかを願ったときに』
明るい気持ちになるか、
暗い気持ちになるか。
あるいは、
気持ちが軽くなるか、重くなるか。

これはじつに重大な差異であり。




『引き寄せの法則』のエイブラハムによれば

なにかを願って(=思考をして)、
そのときに明るい気持ちになるなら、
その願望(=思考)は現実化するし、
暗い気持ちになるようなら、
それは現実化しない。

このような“基本原則”があるようです。




それに照らして考えてみるとですね、
『死にたい』と願って(=思考して)、
とても嫌な気持ちになっていたあの頃は、
『死にたい』と願って(=思考して)も、
それが現実化することは無かったが。

いまのあたしにとっては、
死にたい、と思う(=思考する)ことは、
なんというか、
願い事の範疇には無くて、
寝たい、とかと同じ感覚なのですよね。

死を想起すると、
とても気持ちが安らぐので、
とくに理由もなくそれをしている、
という感じ。

死、を想起していても、
『死にたいという願望を実現したい』
というよりかは、
死、という素晴らしい現象のことを思い浮かべているのが心地よい、という感覚です。





そぅして??

そのようになってみると、
死、というのは、
やはり“お迎え”のようですよ??

この世、という因業な世界に耐え抜いて、耐え抜いて、耐え抜いて、耐え抜いて。
ついにそのときがやってきて、

『よくがんばりましたね✨✨✨』
『さぁ!還りましょう💕💕💕』
─────そんな感じ。

いったいいつ、それがやってくるのかは、
まったく定かではないが、
知りたいとも思っていない。

それがいつだったとしても、
いつかかならずやってくることだけは、
確実で。

“お迎え”はかならず来てくれるから、
そのときのことを思い浮かべては、
心地よい平穏に浸って。

いままさにそれが起こったかのような感覚とともに、まだそれが来ていないことは気にせずに、きょうという日を生きる。

この世には、価値のあるものは何も無い。
けれど、いつかかならず、
『すべてがある』その場所へと、
あたしは連れ去られるのだ。

あぁ!なんて素晴らしいのでしょう!!
あたしはお迎えを待っています。
あたしはお迎えを待っています。

そんなふうにしてあたしは、
きょうという日を
しずかに過ごす────────。





【この世は救いの無い空疎な“偽り”だが】
【あたしにもいつかお迎えが来るから💖】

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