
私はただ、私の人生を歩いている
53歳の私から、18歳の私へ
53歳の今、18歳の自分を思い浮かべる。
幸せそうに笑っている。
まだ何も知らない顔で。
そんな彼女に、
「大丈夫だよ」とは言えなかった。
大丈夫じゃない日も、きっとたくさんあるからだ。
だから私が伝えたいのは、
「よく、歩いてきたね」
その一言だった。
『幸せなのに、なぜか少しだけ怖かった』
18歳の冬。
私は幸せだった。
大好きな人がいて、学生生活も充実していた。
友人たちと笑い合い、家に帰れば家族がいる。
特別な何かを持っていたわけではない。
けれど、当たり前の日々がちゃんとそこにあった。
未来は明るい方へ続いている。
そう信じて疑わなかった。
それなのに、時々ふと胸の奥がざわついた。
理由は分からない。
何か悪いことが起きる気がしていたわけでもない。
ただ、幸せであればあるほど、なぜか少しだけ怖かった。
今なら分かる。
あれは未来を予感していたのではない。
今この瞬間も永遠ではないことを、本能のどこかで知っていたのだと思う。
人生は思い通りには進まない。
守りたかったものを、守れないこともある。
でも、18歳の私はそんなことを知らなかった。
知らないまま笑っていた。
だからこそ、あの頃の自分が愛おしい。
『自分で立てる』
今も、忘れられない言葉がある。
「自分で立てる」
43歳の私は、そう言って山ちゃんの手を振り解いた。
体は思うように動かなかった。
立ち上がろうとしても力が入らない。
誰かの手を借りれば楽だったのだと思う。
けれど、そのときの私は、それを受け入れられなかった。
自分のことは自分でやることにこだわっていた。
できることが減っていくたびに、悔しかった。
助けてもらうことが悪いわけではない。
頭では分かっていた。
それでも、
自分の足だけで立つことを諦めたくなかった。
私が守りたかったのは、
「立つこと」そのものだけではなかった。
失いたくなかったのは、
自分で生きているという感覚だったのだと思う。
結局、私は一人では立てなかった。
差し伸べられた手を借りた。
支えられた。
助けられた。
そして人生は続いた。
誰かの手を借りながら立つことも、一つの強さなのだと、頭では理解している。
けれど、53歳になった今でも、
私のなかにある「自分で立ちたい」という頑固な思いは、完全に消えたわけではない。
誰かの手を借りるたびに、
今だって小さな葛藤や悔しさが胸をかすめる。
きっと私は、これからもずっと、
この思いと折り合いをつけながら生きていくのだろう。
だから、あの時の必死だった私を、今の私も笑う気にはなれない。
失われていくものの中で、
最後まで守ろうとしていたものがあった。
だから今、あの日の自分に、こう伝えたい。
ひとりで立てなくてもいい。
そう思えない日があっても、それでいい。
葛藤しながらでも、格好悪くても、あなたはまぎれもなく、
あなたのままだから。
「自分で立てる」
あの言葉もまた、あの日の私には必要だった。
そして、今の私にとっても。
『桜はまだ、蕾のままだった』
春になれば桜は咲く。
私もまた、元の生活に戻らなければならない。
21歳の私は、ずっとそう思っていた。
頑張れば報われる。
耐えれば終わる。
時間が経てば元に戻せる。
今だけ。
もう少しだけ。
また元の身体に戻らなければ。
そう思いながら毎日を過ごしていた。
けれど現実は違った。
季節は巡るのに、私の時間だけが止まったようだった。
友人たちは進学し、就職し、恋をして、大人になっていく。
その背中を見送りながら、私は同じ場所にいた。
焦った。
羨ましかった。
悔しかった。
そして何より、寂しかった。
私もずっと、いつか満開にしなければ。
そうできると、信じたかった。
でも、
私の桜は満開にはならなかった。
結婚すること。
子どもを産むこと。
働くこと。
健康になること。
人と同じように生きること。
それらを「満開の桜」だと思っていた。
だから手に入らないものばかり見ていた。
でも人生は不思議だ。
咲かなかったと思っていた場所に、別の花が咲いていることがある。
誰かと分け合う朝ごはんや、病室で交わした何気ない言葉。
差し伸べられた手のぬくもり。
そして、母と手を合わせた、ルルドの祈り。
失ったものばかりを見ていた私の足元にも、
数え切れないほどのささやかな幸せが、確かに芽吹いていた。
あの頃の私に伝えたいことがある。
焦らなくていい。
春は思った形では来ないかもしれない。
けれど、蕾のまま終わるわけでもない。
桜はまだ、蕾のままだった。
そう思っていたあの日にも、
確かに春は近づいていたのだから。
『私は、私の人生を歩いている』
「かわいそう」
そう思われたことがある。
実際に、そう言われたこともあった。
19歳で病気になった。
あの日を境に、長い入院生活が始まった。
思い描いていた未来は何度も形を変えた。
もし私が他人だったとしても、そう思ったかもしれない。
でも、不思議なことがある。
53歳になった今、
私は自分の人生を不幸だったとは思っていない。
もちろん、病気にならなければよかったと思う日はある。
健康な体が欲しかったと思うこともある。
人を羨ましく思うこともある。
それでも、他の誰かの人生と取り替えたいとは思わない。
病気は私の一部ではある。
けれど、すべてではない。
父と母がいた。
山ちゃんがいた。
仕事ができる日もあった。
笑った日もあった。
旅をした日もあった。
何気ない会話が楽しい日もあった。
それなのに私は長い間、
自分の人生を病気という物差しで測っていた。
けれど、ある日ふと思った。
私は誰の人生を歩いているのだろう、と。
ないものばかりを、探していた。
変えられない過去に縛られ、
手に入らなかった未来ばかりを見つめていた。
けれど、それだけが私ではない。
遠回りでもいい。
立ち止まってもいい。
人と違っていてもいい。
山ちゃんに、髪を切ってもらいながらふと吹き出した瞬間。
音楽に涙があふれた夜。
静かな午後に、透き通った赤紫蘇ジュースを瓶に詰める時間。
誰かと比べるまでもない、
そんなちっぽけでたまらなく愛おしい一つひとつが、私の人生だ。
『ルーペを二つ買うことから始まった』
41歳の春。
私はもう一度、働いてみようと思った。
そう書くと前向きな決意のように聞こえるけれど、実際はそんな立派なものではなかった。
本当にできるのだろうか。
迷惑をかけないだろうか。
また途中で続けられなくなったらどうしよう。
不安の方がずっと大きかった。
それでも、このままではいられないとも思っていた。
運転もできなくなった。
一人で行ける場所は少しずつ減っていた。
このまま、自分の世界が小さくなっていくのが怖かった。
だから、もう一度だけ外へ出てみようと思った。
面接を終え、
採用の連絡を受けた帰り道。
私はルーペを二つ買った。
首から下げるものと、手元用の小さなもの。
以前なら必要なかったものだ。
少しだけ寂しかった。
若い頃の私は、
再出発とはもっと劇的なものだと思っていた。
でも実際は違った。
あの時は、ただ必要だから買っただけだった。
けれど今振り返ると、
あの小さな買い物が、気づかないうちに未来を選んでいたのだと思う。
大きな出来事よりも、小さな選択の方が、後になって意味を持つことがある。
朝起きる。
仕事へ行く。
帰ってくる。
また明日の準備をする。
そんな毎日が、また始まった。
再出発とは、特別なことではなかった。
私にとって、その始まりはルーペを二つ買うことだった。
たったそれだけのことだった。
それで、十分だった。
『それでも、歩いていく』
38歳の夏。
私は病院の玄関の前で立ち止まっていた。
焼けつくような陽射し。
アスファルトから立ち上る熱気。
久しぶりの外の空気は、思っていたより重かった。
退院の日だった。
本当なら嬉しいはずだった。
けれど胸の中にあったのは喜びよりも不安だった。
この身体で、また暮らしていけるのだろうか。
普通の生活に戻れるのだろうか。
また働ける日は来るのだろうか。
先は、何ひとつ見えなかった。
家に帰ると、山ちゃんが整えてくれた部屋が待っていた。
洗いたてのシーツ。
干したばかりの布団。
母が届けてくれた夕食。
その温かさに、胸が少しだけ緩んだ。
けれど翌日になれば現実は変わらない。
顔を洗う。
食事をする。
ストーマ(手術によりお腹に作られた排泄口)のケアをする。
たったそれだけのことが重かった。
私は、「前向きに生きる」という言葉が好きではなかった。
前を向けない日が多くあったから。
泣く日もある。
弱音を吐く日もある。
もう嫌だと思う日もある。
そんな日にまで前向きでいようとすると、余計に苦しくなる。
ただ、その日を生きていた。
今日を終えようと思った。
そうして迎えた翌日を、また生きた。
振り返ると、その繰り返しだった。
病気になった日も。
手術を受けた日も。
未来を失ったと思った日も。
私は強かったわけではない。
立ち直りが早かったわけでもない。
そのたびに、ただ今日を生きていた。
そして気づけば、53歳になっていた。
今も怖い。
けれど、
人生は、見通しが立ったから歩けるわけではないのかもしれない。
迷いながら。
立ち止まりながら。
それでも、道は少しずつ続いていく。
38歳のあの日。
病院の前で立ち尽くしていた私に、今ならこう伝えたい。
大丈夫とは言わない。
あなたは歩いていく。
一歩ずつ。
時には半歩ずつ。
支えられながら。
遠回りをしながら。
その先を、まだ知らないから。
だから今日も、
それでも、歩いていく。
『おかえりの声が待つ場所』
若い頃の私は、幸せとは何か特別なものだと思っていた。
夢が叶うこと。健康になること。
普通の暮らしプラス、何か得られるものがあること。
そんな大きな出来事の先にあるものだと。
けれど今、少し違う気がしている。
私にとって幸せとは、
「おかえり」と言ってくれる場所があることなのかもしれない。
人生は思うようには進まなかった。
何度も病院の天井を見上げ、退院してもまた別の問題が起きた。
そんな日々の中で、不思議と支えになったのは、特別な言葉ではなかった。
「頑張れ」でも、「大丈夫」でもなく、ただ、
「おかえり」
だった。
病院から帰れば、玄関に明かりが灯っていた。
先生や看護師さんたちは、いつも優しく迎えてくれた。
職場へ行けば、「待っていましたよ」と声を掛けてもらえた。
実家へ行けば、母がお茶を入れてくれた。
山ちゃんは、いつもと変わらない顔で「おかえり」と言ってくれた。
その普通さが、何より嬉しかった。
一人の部屋に帰る日もあったけれど、棚の上の大切な写真を見るたびに、その声が聞こえるような気がした。
家に帰るだけではない。
自分が自分としていられる場所があるだけで、
『ここにいていいんだ』
と感じることができる。
人生には、自分の力ではどうにもならないことがある。
そんなとき、私は前を向く力を失うというより、
自分の居場所を見失ってしまうのだと思う。
帰る場所は、人それぞれ、その時々で違う。
家ではなくても、心のなかの大切な記憶が、帰る場所になってくれることもある。
今も、私はその声に助けられている。
私自身もまた、誰かにとっての「おかえり」になれたらいい。
そう願いながら、今日も明かりを灯している。
『想像すらできなかった未来を、いま歩いている』
18歳の私に、53歳の今の暮らしを話したら、きっと信じないと思う。
病気になることも。
何度も手術を受けることも。
入院を繰り返すことも。
視界が霞み、ルーペを二つ持つようになることも。
想像すらできなかったはずだ。
けれど、それだけではない。
山ちゃんと出会うことも。
大阪のお義母さんとのやり取りも。
北海道の風に吹かれながら、「ほんとに来られたんだね」と笑う日が来ることも。
想像していなかった。
真っ直ぐ前を向いていた頃には、見えなかった景色がある。
病気になったとき、私は未来を失ったと思った。
みんなと同じようには生きられない。
そう思った。
実際、諦めたこともたくさんある。
叶わなかった願いもある。
もし体が丈夫な人生があるのなら、一度くらい覗いてみたい気持ちもある。
でも、それを私は知らない。
知っているのは、ここまで歩いてきた人生だけだ。
振り返ると、不思議なくらいたくさんの人の顔が浮かぶ。
父。
母。
山ちゃん。
先生や看護師さんたち。
名前も覚えていない誰か。
私は一人でここまで来たわけではなかった。
支えられながら。
背中を押されながら。
立ち止まりながら。
気がつけば、ここまで来ていた。
そうして歩いてきた先には、思いがけない景色が待っていた。
忘れられない光景がある。
51歳のお正月──。
父と母と三人で『キャッツ』を観に行った。
客席に降りてきた猫たちに向かって、父は誰よりも先に手を伸ばしていた。
その姿がうれしくて、私も手を伸ばした。
帰り道の車の中では、父が同じ話を何度も繰り返していた。
母は笑い、運転席の山ちゃんもバックミラー越しに目を細めていた。
――痛みの先に、こんな時間があった。
18歳の私には想像もできなかった。
こんな、ささやかな光景が、
こんなにも愛おしく感じることを。
今も、不安がなくなったわけではない。
病気も消えていない。
未来のことは相変わらず分からない。
それでも、
この頼りなく揺れる毎日のなかで、人生は時折、思いもよらない美しい景色を見せてくれることがある。
18歳の私が思い描いていた未来とは、ずいぶん違う形になってしまったけれど。
格好よく前を向けない日があっても、いい。
この不完全で、迷いだらけの今の暮らしも、もう私の暮らしなのだと思う。
だから今の私が、あの日の私に伝えるなら、こう言うだろう。
未来は、あなたが考えている形にはならない。
たくさん泣くし、たくさん迷う。
それでも、その先には思いもよらない景色が待っていることもある。
まだあなたが知らない出会いがある。
まだあなたが知らない幸せもある。
そして、気づいたときには、想像すらできなかった未来を、今日も歩いている。
私も、まだその途中にいる。