
【エッセイ】愛情を原液で飲み干せない話
あなたは普段、カルピスを濃いめに作って飲みますか?
あれってちょっと贅沢で、わたしにとって愛はカルピスみたいなものだと思う
わたしは性別、関係性を問わず純粋な優しさや愛情を与えられることに困惑というか恐怖すら感じ、受け取ることができない
幼少期から自分の欲求よりもその場の空気を壊さないことが最優先で、常に親の顔色を伺って機嫌を損ねないような言動を心がけていたからだと思う
それは「今この場の空気を壊してしまったら居た堪れなくなり、自分が苦しくなる」という自分のための行動だった
だから見返りを求める概念などなく、たまに降り注ぐ小雨のような愛情を避けるよう走り抜けた
雨を受け止める傘を、わたしは持っていない
濡れた肩だけが冷え、その温度差でやっと自分に与えられたものがあたたかいものだと気付く
そして、話は最初のカルピスに戻る
カルピスは薄めて飲むことを前提に作られているため、そのまま飲む人はほとんどいないと思う
わたしにとって愛情も同じだ
原液のままでは飲めなくて、自己否定や社交辞令のような言い訳という形の水で薄めて、薄めまくって、やっとひとくち飲むことができる
自分の渡す愛もほぼ原液だ
薄めているつもりはない
でも「迷惑かもしれない」みたいな気持ちで濾過された水が数滴入っているかもしれない
飲む側に濃さを調節してもらいたい
嬉しい、おいしいと思ってもらえるなら濃いめで飲んでほしいし、負担に感じるなら「心地よくおいしいと思える飲みやすい濃さ」まで薄めてほしい
自分が受け取るときにやっていることもきっと同じことなのだろう
薄めすぎて元の味がわからなくなってしまっているだけで
でも今はまだ、それくらい薄めないと甘すぎて飲めないや
傘を持っていなかったわたしは、カルピスを入れられるグラスを手に入れた
弾くためのものではなく、受け入れられる器を