
民泊をやりたい理由:父の愛した妙高高原を未来へつなぐ☆Vol.7
忘れられない妙高高原の思い出
亡き父は、生粋のスキー好きでした。
家族旅行といえば決まって妙高高原。
今から50年ほど前の話ですから、高速道路もまだ恵那にも開通しておらず、大阪から車で片道10時間もかけて通っていました。
4人姉弟の私たちにとって、当時のスキー旅行は一大イベント。
スキー板は木製で、ストックは竹製。
ウェアも今のように機能的なものはなく、両親は4人分のウェアを揃え、スキーブーツを履かせるだけでも、さぞかし大変だったことでしょう。
想像するだけで、頭が下がる思いです。
そんな父の熱心な指導のおかげで、私は学生時代にスキー部に入部し、インターハイにも出場することができました。
(…とは言っても、大阪代表レベルですがwww)
このような妙高高原での思い出は、私の人生を彩るかけがえのない宝物です。

父がこよなく愛した地、妙高
父は、スキーシーズン以外にも妙高高原を愛し、足繫く通っていました。
キャンプや野外活動を楽しみ、音楽好きが高じて、山荘で仲間とバンド活動をしたり、近くの旅館でライブを開催したりもしていました。
妙高の豊かな自然と温かい人々は、父にとってかけがえのない存在だったのでしょう。



99歳で大往生を遂げた祖母も、夏が来るたびに避暑を兼ねて長期間妙高で過ごしていました。涼やかな風が吹き抜ける高原で、祖母は何を想っていたのでしょうか。

父の想いが詰まった「みみずく山荘」
「みみずく山荘」は、そんな父が私たち家族に残してくれた大切な場所です。かつて研修施設として利用していた法人では運営が難しくなり、閉鎖の危機に瀕していました。
しかし、父の想いが詰まったこの場所をどうしても残したい。
そこで、別法人を立ち上げ、運営を引き継ぐことを決意しました。
父が愛した妙高高原の自然、家族の思い出が詰まった「みみずく山荘」。
私の目の黒いうちだけでも、この場所を守り続け、未来へとつなげていきたい。
それが、私が民泊をやりたい一番の理由です。
訪れる人々にとって心安らぐ場所、忘れられない思い出が生まれる場所となるように、精一杯努めていきたいと思っています。
